涼風凛凛 4




 午後八時。遅めの夕食は、焼き魚に水菜のお浸し、お野菜の煮物にお吸い物という純和風な
もので、シンプルだけれどとってもお上品に盛り付けられていた。お夕食を祥子さまと一緒に
持ってきてくださった清子小母さまと少しだけお話をしたけれど、今は祥子さまのお部屋に祥
子さまと二人きりだった。小笠原家で頂く夕食はとっても高級なものなのだろうけれど、祥子
さまと一緒にいただいていることが祐巳にとっては何よりも贅沢なことだった。だから祐巳は
うれしくてうれしくてずっと一人で話し続けていたのだけれど、祥子さまの相槌がだんだんと
曖昧なものになっていくのに気づいて向かい側を窺った。


(あ・・・)

 なんと、祥子さまは熱心にお皿の上で口に運ぶものをより分けているではないか。

(祥子さま、しいたけ嫌いなのかな・・・)

 味付けにもよるのだろうけれど、お野菜自体あまり好きではない感じ。だってさっきから、
しいたけはお皿の端の方へ移動させているし、にんじんは細かく裁断されているけれども少し
ずつしか口に運んでいない。梅肉が和えられている水菜のお浸しにいたってはまったく手をつ
けていない状態だ。半ば感心したかの様に、まじまじと眺めていると気配を感じたのか祥子さ
まが顔を上げた。


「何?」

「いえ・・・お姉さま、お野菜嫌いなのかなと思いまして」

 正直に口にしてから「しまった」と口に手を当てるがもう遅い。向かい側の祥子さまは途端
に眉を吊り上げた。


「ば、ばかなことを言わないで。子どもじゃあるまいし・・・!」

 吐き捨てるようにそう言うと、祥子さまにしては珍しく一気に野菜を口に運ぶと忌々しげに
数回咀嚼してからグラスの水を大急ぎであおった。


「食べられるわよ」

 ごっくんと、水と一緒に野菜を飲み下してから一言そう言ったお姉さまの顔は真っ赤だった。
「そんなわけないでしょう」ではなく「食べられるわよ」なんて、それでは自分は野菜が嫌い
だと言っているようなものなのだけれど。小さな子どもみたいな仕草が何だか微笑ましかった。


(可愛いなぁ)

 お姉さまに向かって可愛いなんて恐れ多いにも程があるが、祥子さまのこういう弱みが垣間
見られることも祐巳にとってはとても幸せなことなのだ。


「にやにやするの、おやめなさい」

 ぴしりと命令するそのお姿はいつものように凛々しいものだけれど、こみ上げてくる愛しさ
は止まりそうになかった。


「はい、ごめんなさい。お姉さま」

 祐巳が何とか零れ落ちそうになる笑いを抑えながら謝るのを見届けると、祥子さまはまた野
菜と格闘を始めた。こんな風に祥子さまを眺めながらする食事も楽しい。

 祐巳を包み込むように守ってくれる祥子さまが大好きで、祐巳の前で弱いところを見せてく
れる祥子さまが大好き。そんなことを思いつつ祥子さまをみつめながらする食事もやっぱり大
好きだった。



                        *     *     *


「ごちそうさまでした」

 格闘すること一時間。祐巳に「食べられる」といった手前、祥子さまは嫌いなものもすべて
胃の中に収めた。この前、別荘に行く車の中で食べたお弁当の中にも祥子さまの嫌いな梅干と
アスパラガスが入っていたけれど、そんなこと気づかないくらい祥子さまは平然と食べていた
のに、今日はまったく不快な顔を隠そうともしない。水菜のお浸しを食べて終わったときなん
て、祥子さまは二分ほど一切の動きを停止してしまっていた。お弁当をおいしく食べたのは祐
巳のお母さんが作ったものだからなのか、運転手の松井さんがいたからなのか。


「もう、さっきから何がそんなにおかしいの」

 疲労困憊といった感じで食後の紅茶を飲んでいた祥子さまが拗ねたような顔で祐巳に尋ねて
くる。


「いいえ、お姉さま別荘に行く車の中では嫌いなものも普通に食べられたのになと思うと・・・」

「だから嫌いではないといっているでしょう」

 あらら、本当に拗ねてしまった。祥子さまはあまり食べ物の好き嫌いを指摘されるのはお好
きではないらしい。まぁ、言われてうれしい人も珍しいだろうけれど。


「ごめんなさい。でも、別荘に行った時のことを思い出すとなんだか楽しくて」

 ハプニングもあったけれど、一週間もお姉さまを独り占めできたのだ。ゲームをしたりお話
をしたり、それから・・・。


(あ・・・・・・)

 そこまで考えたところで祐巳は赤面した。別荘滞在最後の夜、祐巳と祥子さまは恋人同士の
時間をすごしたのだ。いや、正確には梅雨が明けてから、二人は姉妹という関係から、晴れて
恋人同士になっていたのだけれど。寄り添いあったり、キスをしたりするだけではなく、抱き
合い、もっと深くお互いを求めあったのはあの日が初めてだった。ただ機会がなく、あの日か
らそういう触れ合いはしていなかったのだけれど。


(うわぁ・・・お、思い出しちゃうよ・・・)

 しかし、一度始まってしまった記憶の再生はもはや自分の意思では止められない。
 祥子さまの甘い声とか。温かくて白い肌とか。シーツの上に広げられた絹の様な綺麗な黒髪
とか。まるで夢の様なひと時だったけれど、祐巳の貧相な記憶回路はそれでもしっかりとその
時のことを焼き付けているようだ。


「そうね、楽しかったわね」

 一人であの時のことを思い出して真っ赤になっている祐巳を、祥子さまは咎めたりしなかっ
た。ちらりと様子を窺うと、落ち着いた様子で優雅に紅茶を口に運んだりしていて、まったく
動揺した様子なんて見られない。


(も、もしかして、舞い上がっているのって私だけ・・・!?)

 まぁ、ここで祥子さままで真っ赤になってしまっていたら祐巳の力では収集できそうもない
のだけれど。そんなことなんてまったく考えていませんというような祥子さまの態度が少し寂
しかった。祥子さまは祐巳とそういうことしなくても平気なのかな、なんて思って一人で落ち
込んでいるとタイミング良く(悪く?)祥子さまと目が合ってしまった。


「あ、えっと・・・」

 顔に出ていただろうか、だとしたら恥ずかしすぎる。祐巳一人舞い上がってそんなことを考
えていたなんて知ったら、潔癖症の祥子さまのお怒りに触れるかもしれないし。そう思ってな
んとか取り繕おうとしたところで、祥子さまの瞳がすっと細められた。微笑んでいる、という
よりは悪戯っ子の様な表情だ。


「祐巳の可愛いところも見られたものね」

「な・・・!!」

 前言撤回。しっかり祥子さまもあの日のことを思い出しているではないか。しかもどちらか
というと聖さまのような台詞まで付け加えちゃって。


「お、おねっ、お姉さま!?」

「楽しかったわ」

 もう、なんて言ったらいいのかわからなくなっている祐巳に祥子さまはそう微笑んでから、
また紅茶を口に運んだ。


(か、からかわれてるのかな・・・)

 そうだとしても、祐巳は真っ赤になって祥子さまをみつめるしか出来ない。

「あの、お姉さま・・・」

 祥子さまは紅茶を飲み終わると、カップをソーサーに置いてゆっくりと祐巳に向き直った。
さっきまでのからかうような微笑はもうない。真剣な眼差しが祐巳の心を射る様にみつめてく
る。


「祐巳は、そういうことは考えてなかった?」

「え?」

 どきんと大きく心臓が鳴ったのが自分でもわかった。

「お姉さまは・・・その・・・」

 お姉さまも、祐巳に触れたいって思ってくれていたのだろうか。期待と喜びに胸が詰まる。

「・・・・・・祐巳はどうなのかわからないけれど、私は、あの日から・・・祐巳に触れたく
て仕方がなかったわ・・・」


 祥子さまは一瞬視線を机に落としたけれど、すぐにまた祐巳をみつめてはっきりとそう言っ
た。


「だから・・・今日だって祐巳が泊まってくれることになってからずっと舞い上がってしまっ
て・・・でもあなたったらそんな素振りまったく見せないんだもの」


 一気にそれだけ話すと、祥子さまは少しだけ拗ねたように眉を顰めて、赤くなった顔を今度
は横に向けた。


 どうしよう、うれしすぎて言葉が出ない。とくとくと自分の鼓動が早くなっていくのだけが
わかる。祥子さまも祐巳に触れたいって思ってくれていたんだって思うと、胸がきゅうって締
め付けられた。


「祐巳は・・・そうではないの?」

 祐巳の様子をさぐるようにみつめてきた祥子さまの瞳が揺らめいている。潤んだその瞳の中
にさっきまでの優しいものだけでなく、静かだけれど激しい感情が隠されているみたいだった。


「・・・あ、えっと・・・」

 何と言ったらいいのか。祐巳の気持ちは祥子さまと同じで。だけどそのことに舞い上がって
しまっている頭では、もう、うまく言葉を捜せそうにない。


「お姉さまは、どうなんですか・・・?」

「質問に質問で返すの、おやめなさい」

 今のはちょっとずるい言い方かなと思っていたら案の定祥子さまから抗議の声が上がった。

「・・・・・・さっきから言っているじゃない」

 祥子さまはテーブルの上で組んだ指に少しだけ力を込めると、頬を赤く染めて少しだけ怒っ
た表情だったけれど目をそらしたりせずにまっすぐに祐巳をみつめてくれた。


「祐巳が欲しいの」

 甘く響くような声で、だけど真摯に祥子さまがそう囁くから。まるできらめく風が全身を駆
け抜けていくみたいに感じた。大切な人が自分と同じように感じてくれていると、どうしてこ
んなにも幸せな気持ちになるんだろう。


 もう、祐巳は真っ赤になった顔をこくこくと上下に振り続けることしか出来なかった。



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