Past is 2



 一緒に出かけて、出先で食事をして。取り留めなく会話に花を咲かせている。少し
前なら当たり前のことだったのに、ひどく懐かしい気がして、はるかはいつも以上に
はしゃいでしまった。


「明日のご飯の買い物をして帰りたいのだけれど」

 彼女がそう言ったのは、穏やかな海を二人静かに眺めながら、はるかの腕に、彼女
の右手がそっとからめられたすぐ後のことだった。


「何か所帯じみてるな、それ」

 そう呟いてから、浜辺でも何でもない、すぐ脇やら頭上を大量の車が行きかうこの
シチュエーションも随分と甘さかさに欠けているなと気が付いた。


「生きることは食べることでしょ。何言っているの」

 自分の方こそほとんど食べることに欲のない癖に、みちるはそう言って唇を尖らせ
た。はるかに三食規則正しく摂らせることが彼女の日課であるらしい。


「はいはい。じゃ、車まわしてくるから。いい子で待っていられる?」

 すぐそこのタワーパーキングに視線を向けると、それと同時に行きかう人々の波ま
で視界に入り込んでくる。


「もう。はるかはそうやってすぐ子ども扱いする。私、迷子になったことなんてない
でしょう?」


 珍しく拗ねたような表情を浮かべながら、少し頬を膨らませる様子が可愛らしくて、
はるかは苦笑してしまった。


「そりゃ、僕がいっつもくっついているからね」

「そうじゃなくても平気よ」

 つんと澄まして彼女ははるかから視線を外す。その瞳には、街灯に照らされたこの
夜の海がどんな風に映っているのだろう。


「本当に?」

 波の音も聞こえないような喧騒の中で、はるかは呟く。

「・・・・・・」

 彼女が何も答えないから、二人の間には、車の通り過ぎて行く音や、不自然な風の
流れ、それから、行きかう人たちの息遣いが好き放題に流れていく。こういう時にも、
静かだなと、感じるものなのだと思った。


「僕がいなくても平気なんだ?」

 たっぷり黙り込んだ最後に、はるかはポケットへ手を突っこんだまま、もう一度問
いかけた。何て、余裕のなさなんだろう。


 何で、余裕がなくなっちゃうんだろう。

「意地悪」

 不貞腐れたような表情を作って、彼女がこちらへ振り返る。今の彼女の瞳に映って
いるのは、夜の海でも、街の喧騒でもない。そのことに、思っていた以上に満足して
いる自分にすぐに気が付く余裕もないから笑ってしまう。


「じゃあ、いい子にしてな」

 いつかと同じように彼女の頭を撫でた。殊更くしゃくしゃとかき乱すように荒っぽ
く撫でたら、みちるはまた怒ったように「もう」と声を上げた。でも、はるかの手の
ひらを振り払うようなことはしなかった。


 パーキングへと向かって歩きながら、彼女の方へと振り返りたくて仕方がない。す
ぐに同じ場所へ帰ってくるのに。そう自分に言い聞かせて、彼女の髪の感触がまだ残
った手のひらを、仕舞い込むように握りしめた。



                              


 最初は身間違いだと思った。彼女の立つ遊歩道には、それなりの人通りがある。た
またますれ違った誰かが、彼女と向き合っているように見えたのだとさして気にもし
ていなかった。けれど、はるかの車のライトにも気が付かず、みちるがずっとその人
の方へと顔を向けていたのを見てやっと、誰かと言葉を交わしているのだと理解した。


 ゆっくりと停車しながら目を凝らすと、夕闇の中に見えるのははるかと同じような
背格好の男だった。もちろん、はるかはそいつのことを知っているはずもない。


 わかるのは。はるかの知らない男とみちるが楽しそうに談笑しているということだけ。

 それは別段珍しい光景じゃないはずだ。整い過ぎた容姿が、時に彼女を周囲から遠
ざけることもある。けれど、大らかな内面からだろう、周りと打ち解けるまでの時間
は、はるかよりもずっと、彼女の方が短い。


 きちんとわかっているはずなのに。笑いあう二人に胸の中がざわついて堪らない。

 嫉妬か。独占欲か。

 そのどちらとも、はるかの持つべき感情じゃないはずだ。

 だけど、多分そのどちらともが入り混じったまま、はるかは苛立ったようにパッシ
ングさせた。


 気が付いた彼女がこちらへ振り返る。それから、特に慌てる様子もなく、むしろ名
残惜しそうに彼へ向けて会釈をしてから、淑やかにこちらへと歩み寄ってくる。


 彼女がドアを開けると、どこか温かいような風が一緒に入り込んだ。

 はるかの隣に腰を下ろす。シートベルトに手をかける。背筋を伸ばして座りなおす。
その一連の動作の後に、彼女ははるかを飛び越えて、遊歩道に佇んで見送る彼にもう
一度頭を下げた。見えやしないだろうに、花のような微笑を咲かせながら。


「・・・誰?あれ」

「?」

 発進する際のエンジン音がいつもよりも高いことに、彼女は気が付いていないのだ
ろうか。おっとりと、みちるがこちらへ顔を向けた。


「さっきの。話してたろ」

 それにすら苛立ってしまいそうになりながら、はるかは低い声で重ねて問いただした。

「この間共演した方」

 悪びれる様子もなく告げる彼女に、また胸がざわざわとさざめいていく。

 この間、なんて言われてもわからない。この前の地方公演のものなのか、それより
も前後しているのか。一緒にいる時間の方が少ないのだから、わかるはずがない。だ
からと言って名前を出されても同じことだった。


「・・・知らなかった。そんなに仲いいんだ?」

「そう見える?」

「やけにうれしそうにしてたじゃない」

 吐き捨てるはるかの声に含まれた刺が、彼女を傷つけること等ないらしい。それど
ころか、からかうような声で尋ね返されて、はるかはまた不機嫌になる。


 髪に絡まる夜風を振り払うように、彼女は後ろ髪を掻き上げた。

「彼のね。奏でる音が好きなの。だから、お近づきになれてうれしいわ」



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