涙があふれても 土曜日




 色とりどりのアゲハ蝶達の中にいても、祥子さまは誰よりも華やかだった。ひっきりなしに寄ってく
る客人一人ひとりに優雅に応える様子があまりにも自然で、この蝶達の中こそが祥子さまがいるのにふ
さわしい場所ではないのだろうかとすら思った。

 また一人、きれいな蝶がやってきて祥子さまとにこやかに談笑を始める。その光景を眺めながら、き
っと祥子さまに抱かれたとしてもこの距離は埋まらないのだと改めて認識する。

 だけど。
 蝶が帰り、また別の蝶が飛んでくるその合間に、祥子さまは目線だけで祐巳へ振り返る。そして何事
もなかったかのように、また談笑を始める。いつも、祐巳に触れては自分の世界へ戻っていく時のよう
に。祥子さまは祐巳がそこにいることを確認して、安心したみたいに微笑んでからまた視線を客人へと
戻す。それは、祥子さまと祐巳の間でしか交わされない仕種で。その様子に、やっぱり祥子さまに抱か
れたとしても、この距離は変わらないのだとうれしくなった。

 すれ違うたくさんの人にあふれていても、祥子さまは祐巳の傍にいる。世界から自分たちを切り離す
わけじゃなく、周りを一切締め出すのではなく。例えそこがどんな場所だとしても、祥子さまは祐巳の
手をとり、まっすぐに前を見ていた。

 逃げるのは大嫌い。祥子さまはいつだってそう言って前をみつめて進んでいる。
 なんて格好良いんだろうって思った。
 それでこそ祥子さまだって思った。
 それから、それを少しでも支えているのは自分かもしれないと思うと、胸がはぜるぐらいに誇らしく
思えた。


 祥子さまって素敵でしょう?

 広いホールの中、誰に聞かせるでもなく、祐巳は心の中でそう叫んでいた。


                           *     *     *


「おやすみ」

「おやすみなさい、お姉さま」

 ここへ来てから毎晩のように交わされるその挨拶は、まるで儀式のようだ。
 『おやすみ』の挨拶をして、頬へキスをする。夜、眠る前に、祥子さまはそれ以上のことは絶対にし
なかった。


「・・・・・・はぁ・・・」

 部屋の中に一人いると、朝からずっと祥子さまと一緒にいたくせに寂しくて仕方なくなる。それもこ
こへ来てからの日課のようなものだ。

 祥子さまの代わりじゃないけれど、ふかふかの枕を抱きしめて祐巳はベッドへずるずるとへたり込む。

『祐巳を抱くわ、きっと』

 はじめの夜に言われた言葉は、頭の中でもう何回巡ったかわからなくて。思い出すたびに体中の血液
が沸騰しそうになる。どきどきして、そわそわして、まったく落ち着けない。それなのに、まるでエコ
ーがかかったみたいに祥子さまの凛とした声が何度も何度も祐巳の中で響いて、体中が甘く痺れていく
ような錯覚を覚えた。


―――祥子さまに抱かれたとしたら、・・・・・・

 その言葉に蕩かされそうになるたびに、その呟きもまた祐巳の胸をよぎった。
 だけど、祐巳にももうわかっていた。その先に続く言葉が不安や恐れによるものではなくなっている
ことに。

 祥子さまに祐巳だけを見て欲しい気持ちは相変わらずあるけれど、それは言ってみれば子どもの独占
欲のようなもので。祥子さまの祐巳への気持ちとはまったく別次元の話として考えられた。

 だから。

―――祥子さまに抱かれたとしたら、・・・・・・

 その呟きの先に続く言葉は、期待とときめきとほんのちょっとの焦れったさ。

 祥子さまに触れられたら、どんな感じがするんだろうとか。

 逆に、祥子さまに触れたら、どんなに気持ちいいんだろうとか。

 祥子さまとキスしたい。力いっぱい抱きしめたい。抱きしめて、あの豊かな胸に頬で触れて祥子さま
をもっともっと感じたい。

 気がつけば、そんなことばかり考えている。

(・・・あれ?)

 いつもなら、そこまで考えるだけで身悶えてしまってそれ以上のことは想像すらできなくなるのに。
今日はそこではたと気づいてしまった。

 あの指先や唇が、自分の身体に触れてくると思うだけで全身が熱くなる。だけど、それと同じくらい、
祥子さまに触れることを想像して胸が痺れそうになる。


 抱かれるってなんだろう。

 祥子さまにいっぱい愛されて、触れてもらって、気持ちよくなるってことなんだろうか。
 祐巳だって、こんなにも祥子さまに触れたくて仕方がないのに。それでも、言葉にするとやっぱり抱
かれるってことになるのだろうか。

 頬が熱い。
 祥子さまにキスされた頬に手を当てると、まるで火傷した後みたいにとても熱くて。やっぱりそれ以
上何も考えられなくなって目を閉じた。

 目を閉じると思考が勝手に再開を始めようとするけれど、答えの出ない問題に祐巳の頭はぐるぐると
回るだけで、繰り返される思考にただただ身体が熱くなるだけだった。


「おねえさま・・・」

 自分の身体を抱きしめながら、隣にいるはずもない祥子さまを呼ぶ。甘い囁きよりも、蕩けるような
キスよりも、その時のことを想像して一人身悶える時間の方がよっぽど淫らな気がした。


「お姉さま、大好き・・・」

 暖かい綿毛布にくるまれながら、これが自分を抱きしめてくれる祥子さまの腕だったらいいのにと願う。

 明日はきっと、祥子さまの部屋へ行くのだろう。

 眠りに落ちる瞬間祐巳は漠然と、だけどどこか強くそう思ったのだった。



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