Lovers 3



「何だか最近眠れないんだ」

「あら、悩み事でもあるの?」

「ううん。・・・でも、胸も痛くなるよ。それに苦しくって」

「まあ、かわいそうに」

「センセーなら治してくれると思って、ここに来たんだ」

「どうやって?」

「ここにいさせてよ・・・。朝までなんで言わないから。・・・センセーの側にいた
い・・・」


「それは嬉しいわ・・・・・・でも、サボり癖がついたら困るんだけど?天王さん」

 弱々しく項垂れて見せたはるかの前で、彼女はにっこりと笑った。白衣の天使、と
いうよりは白衣の女王様のような佇まい。


「午前中だけよ。昼休みに入ってまで寝ていたら叩き出すわよ」

「はぁい」

 きびきびとした動きでそれだけ告げると彼女は机に向き直った。サボり癖がつくど
ころか、もうすっかりサボる気でここ、保健室を訪れているはるかは、お礼ににっこ
りと笑いかける。


「ありがと。センセーのそう言う優しいところ、ダイスキだな」

「私もあなたみたいに子どもらしい甘えたちゃんはダイスキよ」

「・・・・・・」

 書き込んでいる書類から顔を上げることもないセンセーに、適当にあしらわれなが
らはるかはカーテンで仕切られた端っこのベッドへと向かった。


 消毒液のにおいが微かに漂うようなシーツに身体を沈めると、ひどく心地よくはな
いけれど瞼はゆっくりと下がっていく。それなのに、眠りたい身体を裏切って、頭は
冴え冴えと思考し始める。


『学校ではあまりこういうことしないで』

 何でそんなこと言うんだよと聞いたとしたら、「人前だから恥ずかしい」って答え
が返ってくるに決まってる。実際ちょっと調子に乗り過ぎたかもと反省だってしてる。


(でも・・・)

 どんなに抑えようって思っても、みちるの姿が視界に入っただけで、触れたくて仕
方がなくなる。


 蝕まれているのか、満たされているのか、わからなくなっちゃうくらいに胸がざわ
ついて止まらない。息苦しくて、ひどく熱い。吐き出せたらどんなに楽だろう。けれ
ど、どこか甘い味のするその感覚を、無理やり切り離すことすらできない。


 でも、それを解放する術は知ってるんだ。きちんとわかってる。どうしてこんなに
胸がざわつくのか。何が欲しくて、こんなになるのか。


(・・・・・・次って、いつ?)

 同じ疑問ばかりが頭の中でループする。そんなこと一人で悶々と考えたって、どう
にかなるものでもないのに。


(みちる)

 声に出さずに呟いたら、瞼の裏に彼女の笑顔が浮かびあがる。けれど本当は、今目
の前に、彼女が欲しい。腕の中に閉じ込めたい。


『まるでオオカミさんね』

 そうだよ。お腹がすいて、背中とくっついちゃうよ。焦らさないで、早く食べさせてよ。

 みちるが欲しいんだ。

 包まりながらシーツを抱きしめると、やっぱり消毒液の匂いがする。欲しいのは、
こんな味気ない匂いなんかじゃない。けれど手のひらや頬に当たるシーツの感触が、
あの夜を思い出させてくれるような気がして強く強く握りしめた。


 次はいつ。彼女を独り占めできるんだろう。

 いつも通りの生活を繰り返していたら、いつかそれは訪れるのだろうか。けれど、
そんな曖昧さじゃ、反って切なくなる。こんなにも苦しくて仕方がないのに。その日
がいつかもわからないなんて。


(・・・・・・正直に言ったらいいのかな?)

 病気でも何でもないけれど、熱に浮かされそうな感覚をもてあましていると、不意
に思いついた。けれど。


(お願いしたら、聞いてくれるのかな・・・)

 優しい彼女に甘やかされている自覚はある。だからって、わがままが過ぎれば、し
かめっ面だけでは許してもらえないことも、一応は理解している。今湧き上がってい
る欲求がわがままなのかどうかまではわからないけど。伝え方にもよるんだろうか。
そんなことを考えながら、取り留めもなくシュミレーションしてみる。


『今夜は帰さない』

(・・・わかりにくいか。帰らずおしゃべりすることだってあるもんな)

『君と繋がっていたい』

(手、繋ぐだけとかだったらどうしよう・・・)

『エッチしよ』

(・・・バカじゃん!)

 もしかして、悶々としているこの状態がすでにバカなのでは?やっとのことでそこ
に気が付いたはるかの耳に、近づいてくる足音が聞こえた。足音が、仕切られたカー
テンの向こう側で止まる。


「・・・せっかちだなぁ。・・・もう出なきゃだめ?」

 退出勧告だろうか。そんなに長い時間考え込んでいたつもりはないんだけどと、は
るかは目をつむったまま、自分を起こしに来たらしいセンセーに向かってそう尋ねた


 はるかの声を無視するように、カーテンを開ける音がする。

「ねぇ、もう少しだけここにいてもいいでしょ・・・。センセーと離れたくないんだ」

 いつまでも繰り返される疑問に疲れていたからだ。今しばらく目を瞑ったまま休み
たい。そんな気持ちを込めて、はるかは腕で顔を覆ったまま、開けられたカーテンの
方へと寝がえりをうった。ら。


「ふぅん。・・・それじゃあ、私はお邪魔だったみたいね。そんなに体調が悪かった
だなんて」


「・・・!!!」

 聞こえてきた声が、予想していたものとは違う、耳慣れた愛しい声だったことに驚
いて顔から腕を退けると、視界に飛び込んできたのはみちるの姿。カーテンを開けた
状態のまま、そこを握りしめて固まっている。何。何のトラップ?これ。


 みちるの肩越しに見えるのは、おかしくてたまらないとでも言いたげに笑いをこら
えているセンセーの姿。


 なあ、あんた保健室のセンセーだろ。生徒の修羅場に心躍らせるなよ。


                              


「だから、待ってよ」

 凍りついたはるかの表情をみつけると、みちるは開け放った時よりもずっと乱暴に
カーテンを閉めて、静かに部屋を出て行った。慌てて飛び起きて追いかけようとした
ら、腕を組んでその様子を眺めていたセンセーが「もう体調は良くなったの?」と優
しい声でたずねてきた。にやにや笑いながら。その声に感謝の気持ちでいっぱいにな
りながら、ベッドから転がり落ちて全力疾走。


「待ってってば、みちる」

 扉を開けて勢いよく体を飛び出して左右を確認すると、遥か向こうを歩いて行く彼
女の姿を見つけて呼びかけた。けれど、みちるがその声に気付かないかのように歩い
て行くものだから、はるかは追いかけながらおろおろと言い訳を重ねた。


「本当に遊んでただけだって。あ・・・えっと、先生に遊んでもらってただけだよ」

「同じ事じゃない」

 歩きながら、振り返りもせずに彼女が言葉を吐き捨てる。怖い。

「だから、からかったりとか、冷やかしたりしてるわけじゃないんだって。向こうだ
ってわかってるし」


「・・・そうじゃなければ、どんな甘言をまき散らしてもいいとでも思っているの」

「・・・・・・そういうわけじゃないけど」

「はるかはいつもいつも、ふざけてばっかり」

 怖いんだけど、後ろ姿のみちるがそんなことを言うものだから、徐々に近づいた距
離のまま、はるかはつい言ってしまった。


「そういうみちるは、いっつも駄目駄目言ってばっかりじゃん」

「何ですって?」

 後数歩で追いつくという距離で、彼女は立ち止って振り返った。はるかの言葉に、
明らかに気分を害した様子で。その表情に気が付いてしまうと、カチンと自制のはじ
け飛ぶ音がした。


「だってそうじゃないか。何でもかんでも、僕のすることに駄目出しするじゃない」

「・・・・・・」

 どちらかと言えば、何でもかんでも受け入れてもらっているくせに、ここ最近の出
来事で欲求不満がたまっているような気持ちになって、そんな言い方をしてしまう。


「こっちだって色々我慢してるよ!まだ一回しかしてないしっ」

 色々どころかそれ一つしか我慢していないはるかは、静かな廊下の真ん中でそう口
走った。ずらりと並んでいるカウンセリングルームや検査室にまで聞こえていたら恥
ずかしすぎる、なんて考える余裕もない。


 向かい合ったみちるが、元々ご機嫌斜めだった表情を、更に不快の色を濃くして顰
める。目を見開いて、そのまま眉を吊り上げた。


「はるかはそう言うことしか考えていないの?」

「何だと?」

 言いあてられたはるかも同じように目を見開いて、次にカッとなってそう突き返す。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 お互いに無言でにらみ合うと、廊下の静けさが余計に強調されて耳が痛い。

「いいわ、もう。自分の非も認められないなんて」

 その全ての風景が馬鹿馬鹿しくなったのか、みちるは視線をはるかから外すとそう
言ってまた、踵を返して歩き始めた。


「ちょっと待てよ」

「嫌よ・・・っ」

 遠ざかって行こうとする彼女に腕を伸ばすけど届かなくて。けれど、はるかがまた
追いかけ始めるよりも前に、それを押しとどめるように彼女はもう一度振り返った。


 怒っている、でも少し泣き出しちゃいそう。それから頬っぺたが真っ赤な顔で、彼
女ははるかを睨んだ。


「・・・はるかのスケベ!」

「はあっ!?」

 はっきりと、いつもより少し大きな声でそれだけ指摘すると、今度こそ彼女は足早
にはるかから遠ざかって行った。


(な・・・な・・・?)

 未だかつて、はるかは人様からそんな単語を投げつけられたことがない。その上、
みちるからそんな言葉を聞く日がこようなんて思ってもいなかったはるかは、呆然と
その場に立ち尽くした。だって、スケベって。子どもの喧嘩か。


「・・・・・・・」

 遠くなっていく彼女の後姿。いつもはおっとりと品よく歩いているのに。今日は少
しだけ肩を怒らせるようにして早足で歩いて行く。プンプンとかいう擬音が聞こえて
きそうな姿を、はるかは追いかけることも忘れて眺めていた。


(何でそんなに可愛いんだ・・・!)



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