Lovers 2



(前にも、こんなことあった・・・)

 宙をさまようような足取りで、はるかは呼び出された場所へとやってきていた。こ
れがデートのお誘いだったなら、さまようどころか完全に浮き足で走っていくんだけど。


「悪い、待たせて」

 のどかな公園の裏手、人通りの少ないそこは昼間でもどことなく薄暗い。女の子一
人で歩いたりはしない方がいいんじゃないかな。そんな雰囲気。そんな場所にはるか
を呼び出したのは。


「よくってよ。あなたが時間にルーズなのは知っているもの」

 軽くそう告げるその子は、振り返りもしない。

 女の子一人で突っ立ってるわけじゃない、もう一人、というかもう一匹、彼女と向
かい合うように対峙しているものがある。一人じゃないから危なくないとは限らない。
つまるところ、これはお仕事。


「もしかして、苦戦してるとか?」

「まさか」

 合流して二手に分かれる直前に視線を送ると、走る彼女の肩が、呼吸に合わせて上
下している。


「その割には、時間食ってるみたいだけど」

「あら、あなたが来るのを待っていたのよ」

「え・・・」

 こちらに向かってくる気っ持ち悪い物体をかわしながら、彼女がそんなことを言う
ものだから聞き返してしまった。


(心細かったってことっ?)

 一瞬目を輝かせてしまった。が。

「日増しに強くなっていると思わない?こちらもパターンを練らなきゃ駄目だわ。実
践が一番よ」


 真剣な顔で、はるかに視線一つよこさず彼女はそう言って腕を振り上げた。

(・・・仕事脳にでもなってんのか?)

 わからんでもないけど。実際気を抜いたら危ないし。はるかだって言葉を耳に入れ
ながらも、手を緩めることはしなかった。

 彼女から放たれた力のせいで異形がのたうつ。続けざまにはるかが腕を振り下ろす
と、それが完全に崩れ落ちた。


 こちらに気づかれないぎりぎりの距離まで近寄りながら、みちるが崩れ落ちたそれ
を確認する。異物に取り込まれていたらしい人間が苦しそうに顔をしかめていた。


「・・・もう少し、力を加減することも覚えて」

 先ほどまでの衝撃のせいだろう、倒れた人影は身を捩りながら転がっていた。けれ
ど、それ以外に異常がないことがわかると、彼女は振り返ってそれだけ言った。


「わかってるよ」

 倒れ込んでいる人影が意識を戻すよりも前に、木蔭へ向けて走りながらはるかはそ
う答えた。


 犠牲者が確実に出ることはわかっている。けれど、それを最小限に食い止める義務
だってあるはずだ。彼女はそう言いたいのだろう。


(わかってるよ・・・でも)

 はるかだって、人を傷つけたりなんてしたくない。元々痛みに弱いことを自覚して
いる分、できるだけ相手に痛みを与えるようなことも避けたい気持ちはある。けれど、
敵対するものが目の前に現れると、それを完全にせん滅しなければいけないような使
命感に駆られることがしばしばあった。


「・・・でもきっと、これが僕の戦士としての本能なんだ」

「はるか・・・」

 鬱蒼と生い茂る木々の中で立ち止まってそう呟くと、向かい合ったみちるは、先ほ
どまでの冷静な表情を崩して、はるかをみつめ返した。


(・・・・・・・・・)

 その視線を受け止めながら、はるかは先ほどの自分の言葉を反芻する。

(・・・戦士としての?)

 頭の中で再生されているのは自分の声で。自分の言葉。けれど、目の前に見えるの
は、彼女の身体。


(・・・・・・・・・本能・・・)

 その単語が自分の視線と結びつくと、先ほどの言葉がまったく色を変えて、はるか
の身体の中を駆け巡って行く。


 目の前のみちるの。艶やかに彩られた唇や。いつもよりもずっと開いた胸元。それ
から、できたら制服の時にもそれくらいの丈でお願いします、と言いたくなるような
スカートから伸びた脚。


「あなたを責めているわけではないの・・・まだ少し、慣れていないだけよ」

 立ち尽くしたはるかに近づきながら、みちるは声を和らげてそう告げる。それから。

「私の言葉が足りなかったわ。だから、・・・そんなに思い詰めないで」

 黙り込んだ様子から、はるかが沈んでしまったと思ったのだろう彼女は、あろうこ
とかその姿のまま腕を伸ばしてはるかを抱きしめた。


「・・・・・・・・・!!」

 血液が逆流していくような音が、確かに耳の奥に聞こえた。それくらい、凶悪に心
地よい感触。


 本能的に喉元に食い付きたくなるような姿の彼女が腕の中にいる。だから。つまり。

(その前に僕はちっぽけな人間なんだあぁ・・・!!)

 ここで彼女を草むらに押し倒したりしなかった自分は、いろんな人から褒められて
もいいんじゃなかろうか。昂ぶりそうな息遣いを必死で押し殺しながら、はるかはそ
う思った。



                              


 木目の床を蹴りあげる音。走り込む度にシューズが擦れて上げる悲鳴。コート外か
らの怒号。


「まわせ!天王」

 その声がきちんと聞こえていたにもかかわらず、はるかは振り向きざまに手にして
いたボールを鋭く放った。


 誰も追いつけないくらいに速く高く弧を描いて、ボールがゴールネットに吸い込ま
れる。


 コートの中と外両方からの歓声と、相手チームのざわめきが、ひどく心地よい。滴
りそうになる汗を手の甲で拭ってから顔を上げると、壁際には彼女の姿。顔の前で小
さく手を叩くようにして、こちらへ笑いかける姿は可愛いなんてもんじゃない。


 はるかとみちるが一緒に体育の授業を受けることなんて皆無と言っていい。クラス
が遠すぎるから、接点なんてほとんどないし。それなのに、何故、同じフロアに二人
揃っているのかと言えば。


(球技大会・・・ナイス企画じゃないかっ!)

 これまでの短い人生の中で、はるかは学校行事に興味を抱いたことなんてまったく
なかった。それなのにこの気合の入れようなのは、そこにみちるがいるから。それだ
け。でも、結構楽しいな。


 終了の笛が鳴ると、どちらのチームの人間も、ぐったりと床に倒れ込む。ブロック
ごとの勝ち抜き戦は、勝ち進むほどに選手の疲労が増していく。が。


(よっし、次。次勝ったら優勝じゃん)

 一人、床に倒れ込むこともなく、はるかは息まきそうになりながら振り返る。もち
ろん振り返った先にいるのはみちる。結構前から友人たちと同じ位置に座って試合を
眺めているから、最初の方の試合で敗れたのだろう。でも、きちんと体操服のまま。


 隣の子とおしゃべりしていたらしいみちるは、はるかの視線に気が付くとにこりと
笑った。


(・・・やる気出た、めっちゃ出たっ)

 単純と言われようが何だろうが、俄然張り切っちゃいそうだ。が。

「前半はペース落としていこう」

 屍と化していたチームメイトたちが起き上がりながら口々にそんなことを言う。

「・・・・・・」

 冷静に周りを見渡せば、フロアのうだるような熱気の中で、選手どころか応援の生
徒までどこかぐったりとしている。


(まあ・・・朝からしてるしな・・・)

 ただいまの時刻午前11時過ぎ。そろそろ昼食が待ち遠しくなる時間だと言うことも
ある。生徒たちのやる気も体力も底辺に近いらしい。


(うーん、これは、やっぱりあれかな・・・)

 周囲のダレ具合を眺めながら、はるかは思いつく。一応青春真っ盛りなお年頃であ
る自分たちですら疲れるようなこの大会。審判だったり雑用だったりをこなしている
教諭たちの疲弊はその更に上を行くはずである。それに、日々の授業だって、かなり
お互いに疲れるもののはずだ。頭と身体を交互に使い込むような毎日。その上、部活
動にいそしんでいる生徒だっている。それでも両者は突っ走る。これは、あれだ。


 ―――お宅のお子さん、非行に走らせません。ほとばしっちゃうような情動にも駆
らせません。くったくたにしてお家におかえしします。―――


 その意気込みはわかる。一定の効力も発揮しているはずだ。少なくとも、これらを
真面目にこなしている生徒たちは、家に帰れば課題に追われ、疲れて眠るだけ。


 だが、しかし。けれど、でも。

 人事のように考えながらはるかはまた、視線をみちるの方へ向けた。

 彼女も少し疲れているのだろうか。壁に背を預けるようにして座っている。そらせ
ているような白い首元が、いつもよりもずっと無防備だ。相変わらず横を向いて隣の
子とおしゃべりしている彼女は、そんなこと気づきもしないだろうけど。


(・・・・・・)

 ちらちらと盗み見ていたはずなのに、いつの間にか凝視しそうになってしまって、
はるかは慌てて視線をそらす。


(・・・・・・な、なんかやる気でたって言うか・・・)

 元々はるかは、体力にせよ、脚力にせよ、周囲の人よりもずっと身体が強いという
自覚がある。その上、覚醒してからは更に身体能力が高まっていた。はっきりいって、
こんなお遊びで疲弊疲労するなんてこと有り得ない。


 だから、湧き上がってくるこの感覚は、闘志なんかじゃない。

 要するに。

(・・・違うヤル気がでちゃいそう・・・)

 通常であれば、この爽やかな活動の中で沈静化されるはずの衝動が、彼女の姿を見
ただけで沸き起こってほとばしる。人より元気が有り余ってるって、こういうときに
辛いのね。


 発散しきることの出来ない情熱をとりあえずは目の前のボールにぶつけながら、は
るかはなんだか脂汗が流れてきそうだった。



                              


「すごいわ、はるか。スポーツは何でも得意なのね」

 はるかの隣で、みちるはそう言って笑った。どことなくはしゃいでいるような表情
が珍しくて、もちろんうれしくて、はるかもはにかむ。


 くたくたどころかぐったりの生徒達は、試合終了のホイッスルの後、屍のまま表彰
式を乗り越えて解散した。各自が必要に応じて昼食を取るか、家路につくか。どちら
にせよ、やっと訪れた週末の午後に、皆一様に喜びを噛みしめていた。


「みちるだって、嫌いじゃないだろ」

「すごく好きでもないわよ。だから、ずっと応援席にいたんじゃない」

 更衣室やシャワールームが配置されているフロアは、ビルの中にあるにもかかわら
ず、採光面積が広いためか、どこか開放的だ。


「あれ、それってサボりなんじゃないの」

 とりあえずは顔くらい洗いたいと、洗い場へ向かいながら、隣を歩く彼女の顔を覗
き込んだ。


「違うわよ。うちのクラスは女子が多いから、二チームに分かれていたの。スポーツ
が得意な子とそうでない子に」


「で、みちるは後者だったってこと?」

「そ、そうよ・・・でも、もう一つのチームはブロックで準優勝だったわ。その応援
をしていたんだもの」


 これまた珍しく、彼女は少し拗ねたような顔をして言った。意外に負けん気が
強いらしい。普段見られない表情を眺めながら、ふにゃりと顔が緩んじゃいそう。


「そう。じゃあ、みちるの応援のおかげだね」

 唇を尖らせてる彼女の頭を撫でながら、洗い場の蛇口をひねると、勢いよく飛び出
た水流がタイルへ当って、跳ねた水沫が素肌を濡らした。顔に水を浴びせかけると、
そのまま頭まで突っ込んでしまいたくなる。

 ばしゃばしゃと水を浴びながらふと横を見ると、はるかとは対照的に、みちるが小
さな仕草でお上品に顔を洗っている所だった。


 蛇口を閉めて、タオルに顔を埋める姿をじっと見つめていたら、視線に気が付いた
らしいみちるが顔を上げた。


「・・・タオル、忘れたの?」

「え?」

 ずぶ濡れのまま自分を凝視しているはるかの姿に、みちるは首をかしげる。それか
ら思いついたように、自分の頬に当てていない方のタオルの端っこをはるかの顔に押
し付けた。


 はるかの頬を優しく拭って、額に軽く押し当てて、くしゃくしゃと前髪を撫でるタ
オルの感触。もっとしてほしくて、吸い寄せられるように彼女の方へと屈んでいく。


(何か猫みたい)

 最後に顔全体に軽く布地を押しあててから、みちるは「おしまい」と告げて微笑んだ。

(・・・むしろ猫になりたい)

 彼女の膝の上で丸くなる猫にするみたいに、もっといっぱい撫でてほしい。タオル
の向こう側に見えるみちるの笑顔をみつめながらそんなことを考える、天王はるか、
コーコー一年。大人の階段をきちんと昇れるのでしょうか。・・・なんて、そんなこ
とに不安を感じるわけもなく、はるかは引き寄せられるまま、布地を通り抜けてみち
るの頬っぺたに唇をくっつけた。それから、そっと彼女の肩に手のひらを乗せて、す
ぐ傍の唇へも口付けようとした。


 けれど、その瞬間、彼女はふいと横を向くようにしてそれを避けた。

「あっ。もしかして汗くさい?」

 その仕草に思い当って、はるかは慌てて尋ねたけれど。

「それは、気にならないけど・・・」

 みちるは言い難そうにそれだけ答えて俯いた。これ以上構って嫌がられたらどうし
ようと考えることはできるのに、後ろで髪を一つに結わえているせいで覗いている耳
元が微かに赤くなっているのが見えると、はるかは目の前の彼女を抱き寄せてしまっ
た。


 いつものように勢いをつけて抱きしめるんじゃなくて、擦り寄って甘えるみたいに
彼女を両手で包み込む。


 少しだけ汗ばんだ首元に顔を埋めると、緩やかな動作とは反対に、胸の中が昂ぶっ
て行きそうになる。


「待って」

 くっついたままこんなにドキドキしてたらみちるにばれちゃうよ。そんな心配をし
てしまうくらいじっと抱きついていたら、彼女は慌てたようにはるかの肩を押し返し
た。


「・・・あ、汗をかいているから、私・・・」

「?気にならないんでしょ?」

「はるかのは気にならないけど・・・っ」

「???」

 拒絶のこもった表情ではないけれど、みちるが大きな身振りではるかを押しのけよ
うとするものだから、びっくりして腕を離してしまった。


「・・・・・・」

 傷つく、というのとは違う。純粋に驚いて固まっていたら、みちるが気まずそうな
視線を向ける。


「とにかく・・・学校ではあまりこういうことしないで」

 周囲のざわめきの中で、彼女は消え入りそうな声で言って、顔を伏せた。

 そりゃ、周りに人が全然いないわけじゃない。けれどお互いの言動なんて注視しな
ければわからないくらいに入り組んで広すぎるフロアの中なのに。撫でてはくれるけ
ど、抱っこはさせてくれないって。その辺の線引きはどこにあるの。視線をそらせた
ままの彼女に、クエスチョンマークでいっぱいになる。


(何でだよっ!?セニョリータっ!!)

 とりあえず、心の中で叫んでみた。



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