Life 3



 はるかの首元に当たる髪の毛が、みちるの動きに合わせて波打つ。柔らかく押し付
けられたり、不意に乱れたり。


「あ・・・」

 ベッドの上に投げ出されたはるかの脚の間にみちるを座らせて、後ろからぎゅっと
抱きしめる。時折震える髪に頬を寄せて、布地越しに柔らかな胸元へ手のひらを這わ
せると、全身がまどろみそうになるくらい心地よかった。

 ボタンを外しながら、うろうろとまた膨らみを包み込むと、くすぐったいのかみち
るが小さく笑う。


「・・・そういえば」

 蕩けちゃいそうになりながら、ぼんやりと思いついたまま呟いていた。

「子どもは、こういうことしないよね」

 覗き込んでそう言うと、みちるは目をぱちくりとさせてから、今度こそ吹き出して
笑った。相当おかしかったらしい、彼女にしては珍しく身体を折り曲げて笑いつづけ
ていた。あんまりにも長々と続くものだから、何となくおもしろくなくて、笑い声を
零す唇に口づけて塞いでやった。

 唇を離して少しだけしかめっ面でみつめてから、「しぃ」と念押しすると、彼女は
笑いをこらえるように唇を噤んで、その前で人差し指を立てて見せた。この部屋にい
るのは二人だけれど、この家にいるのは二人だけではない。特に。みちる、はるかと
もに溺愛している小さな女の子に、こんなくすぐりあいを聞かれてしまうのはやっぱ
り問題だろう。多分今頃は、いい子で寝てくれていると思うけど。新しいお仕事をし
ていく上で必要性にかられて、という注釈は付く。けれど、パパ、ママ、と慕ってく
れるあの子の前では、そのように振る舞いたいと思っていた。


「本来はね」

 ようやく笑いの波が治まったのか、みちるがさっきの言葉を継いだ。「だから、は
るかは子どもじゃないのよね?」とも。


「他に、大人だったらできることって・・・お酒とか、煙草とか?」

 ボタンを外すのに焦れてきて、裾を持ち上げて引き抜く途中で何となく、思いつい
たままを口にする。腕を上げてそれを手伝いながら、「あまり嗜好したいとは思わな
いわ」と彼女は答えた。でも、前に旅行行った時には口にしてたんじゃなかったっけ。
熱出してうなされているはるかを放っといて。部屋に帰って来てこちらを覗き込んだ
際に、香水の匂いに混じって微かにアルコールの匂いがしていた。別にいいけど。


「じゃあ、ケッコンとか」

 下着姿になった彼女を眺めていたら、またそんなことを思いついて言った。にへら
と顔がゆるんでしまう。ああ、でも、ホーリツで決められてる年齢に色々違いがある
から、一概には言えないんだっけ。だけどまあ、例え年齢が幼かったとしても、そう
言う手続きをした以上は色々な義務が発生してくるんだろうし。


「そうね」

 つらつらと思考を流していたら、みちるは短くそれだけ答えて、はるかのパジャマ
の襟を指先で撫でた。


「みちるは、したい?」

 ボタンを外してもらいながら、今度はさっきみたいに言ってくれないのかなと、わ
ざわざ重ねて問いただしてみる。


 はだけた肩に口づけていたみちるは、はるかの言葉に少し考えるように目を閉じて、
それから顔を上げた。


「したくないわけではないけれど、特別したいわけでもないわね」

 何ですか、それは。食後のデザートが食べられなくもないけれど、別に食べなくて
もいいみたいな口調は。それとも仮想の話になんて興味がないのだろうか。事実、二
人にとっては、まったく現実的ではない単語ではあるけれど。


 何となく言い淀んで、彼女の髪を指先に巻き付けていると、そっとその唇が近づい
てきた。


「死んでしまうまでの約束なんて、いらないわ」

 柔らかく押し付けられながら、華奢な身体を抱きしめる。

 間近に目が合うと、彼女は勝気に微笑んで告げる。

「死んでも一緒にいるもの」

 その声がはるかに届いているかを確かめるように、みちるが優しく耳朶に歯をたて
た。その感触に、煽られたようにもう一度、彼女の素肌に手のひらを這わせる。背中
にも、肩にも。それだけじゃ物足りなくなって、密着していた身体を少し離すと、向
かい合って座っているみちるの姿がやけに可愛らしく映って、やっぱり頬が緩んでいく。


(お・・・)

 唇と一緒に、手のひらを彼女に近付けると、柔らかな胸元に触れる。

(おお!)

 その感触に、はるかは唐突に思いついた。

 大人になるってどういうこと?


                             


「やっぱり、目で見てわかりやすい基準が必要だと思う」

「・・・・・・」

 深夜にふさわしいボリュームで、はるかはみちるにそう申し立てた。

「その上、色々なデータとかもあったら、すっごく理解が得やすいと思う」

 答えてくれない彼女に、もう一度、自分の行動の正当性を訴えてみる。すると、彼
女はこちらへ背を向けたまま、多大に怒りを含んだ声で言った。


「・・・だから他人の下着を物色すると言うのは間違っていると思うわ」

「・・・そんな言い方は止めてください」

 心外な。まるで変質者みたいじゃないですかっ。と叫び出したい気持ちをぐっと抑
える。今は深夜だ。愛娘や厳格な同居人を起こしてしまう。


「だから、僕なりに考えた結果なんだ」

 そう、はるかは思いついた事案を確認するべく、行動しただけで。

(さっきまでは可愛かったのに・・・)

 一向に機嫌を治してくれそうもない雰囲気に、はるかはひっそりと涙を呑んだ。

 シーツの上で、みちるは時折切なげに眉を顰めて、はるかと目が合うと優しく微笑
んで、何度も口付けをねだった。真っ白な布地の上に柔らかく広がった髪。細い手足。
その光景をいっつも覚えておこうって思うのに、どうしてだか霞掛かったようにしか
思い出せない。ふわふわしちゃいそうな気持ちだけはしっかり覚えてるんだけど。


 溶け合いながら抱きしめあってまどろむと、まるで夢の中でまで一緒にいるような
気持ちになった。


 いつもなら、はるかはそれで朝までぐっすりなんだけど。ふと目が覚めてしまった
のだ。それが気になっていたのかもしれない。


 仄暗い部屋の中で静かに起き上がると、隣で眠っているみちるが微かに声を上げた。
驚いて視線を移したけれど、目を覚ます風でもない。はるかが身体を起こした拍子に、
寝息に音がついただけのようだ。


 様子を伺うようにじっと眺めてみると、その寝顔が日中の印象よりもいくらか幼い
ことに気がついて笑みがこぼれた。


 はるかの方へ身体ごと向けて、安らかな寝息を零しているその姿に胸がいっぱいに
なる。安心してくれてるんだろうなと思うと、彼女が眠っていることも忘れて、力い
っぱい抱きしめたくなった。


 が。

 気になる。とにかく気になるのだ。さっき思いついたことが。だからって今シーツ
を引っぺがしたりしたら、彼女が起きてしまうかもしれないし。引っぺがさなくとも、
触って確かめてたら、やっぱり目を覚ますかもしれないし。だから、そう。これは最
大限に彼女を気遣ってみたが故に発生した事態なわけ。

 いつまでもみちるを眺めていたい気持ちを何とか押さえ込んで、他に視線を移して
みると、ふと、ベッドの脇に落ちているそれが見えた。


 はるかに脱ぎ散らかされたままの、みちるの服たち。だからって、別にそれを見た
だけで興奮したりはしない。彼女がそれらを身につけている姿を見て、脱がす時のこ
とを考えて思考があらぬ方向へ飛んでいくのは日常だけど。


 でも気になるの。すっごい気になるんだもん。

 その欲求を抑えることは難しく、はるかはベッドの下へと指先を伸ばした。その勢
いのまま、彼女の胸元を艶やかに彩るそれを摘み上げる。で。


(・・・タグとかついてないのかなー)

 そんなことを考えながら後方のフックの辺りを眺めてみた。

 その時だ。

『・・・・・・何しているの?』

 地獄の底から這い出てきたかのような声がして振り返ると、さっきまでキュートな
表情を浮かべて寝ていたはずのみちるが上半身を起こしてこちらをみつめていた。


 怒りに瞳を燃えさせて。

「・・・どういう風に」

 はるかの言葉に、しばらく黙り込んでから、みちるはそう問いかけた。冷静を装い
ながらも怒りを抑えられない様子が、発せられた声からありありとうかがえる。その
背中に、はるかはたじろぎそうになりながらも、この重たい雰囲気を払拭すべく、極
力明るい声で自分の研究結果を告げた。


「みちる。背は伸びないかもしれないけど、おっぱいは確実に大きくなってるよ」

 その答えに自信はある。結局タグを確認することはできなかったけど。手のひらで
包み込んだ時の感覚とでも言おうか。ほぼ途切れることなく肌を重ねていると、中々
気がつかないもんなんだなー。と納得しながら、はるかは拳を握りしめて自分を誉め
てやりたくなった。よく気が付きましたと。


 だが、しかし。

 ふと見ると、彼女の肩が震えてる。泣いているとかではない。何かを押さえつけて
いるような震え。そりゃもうぶるぶると。


「みちる・・・?」

 恐る恐る、はるかが呼びかけた。けれど、それが良くなかったのだ。その声を合図
にしたかのように、みちるが勢いよく振り返った。それと一緒に、高速で彼女の両手
がこちらめがけて飛んでくる。


「痛いっ、頬っぺたイタイ!!!」

「ばか!最低!!」

 ひっぱたくなんて一瞬で終わらせることも腹が立つのか、みちるが両手ではるかの
頬を抓り上げる。いや、本気で痛いんですけど。涙が出ちゃうんですが。それから、
大きな声出さないで。子どもが起きちゃうじゃないのっ。


「現行犯逮捕されておいて、開き直るなんて!」

(犯罪者扱いかよ!)

 声には出さない。というか、声が出ない。痛い。おろおろと彼女の両腕に手をかけ
てみる。だけど無理やり引っ剥がすこともできない。なぜなら怖いから。


「だ、だって・・・みちるがなぞなぞなんて出すから、気になったんじゃないか」

 本当に涙を浮かべ始めたはるかに気がついたらしいみちるが、手の力を緩めたタイ
ミングで、はるかはそう訴えてみる。


「何が」

 まだ怒りが治まっていないらしい。問いただす声にはたくさんのトゲトゲがくっつ
いている。だけど、頬から手を離そうと動かした際、反射的にはるかがびくりと目を
瞑ったのをみつけたらしく、治まらないながらも彼女は戦闘態勢を緩めてくれた。


「大人になるってどういうことって、言ってたじゃない」

 じんじんと痛みを訴える頬っぺたをさすりながらそう続ける。

「・・・ああ」

 目を潤ませたままのはるかの姿に、さすがにやりすぎたとでも思ったのか、みちる
は一つため息を吐くと、今度はそっと手のひらをはるかに押し当てた。寝起きで温も
っているはずの手のひらが、今のはるかの頬には少しひんやりと感じる。・・・どん
だけ力入れて抓ってんだよ。


「もっと優しくして欲しいな・・・」

「あなたがいい子にしているのならね」

 とりあえず多少はお怒りが解けたらしいことを察知して擦り寄ってみると、やっと
優しく抱きしめてもらえた。


「それで、はるかの言う大人って身体が大きくなること?」

 お腹から下が、彼女の腿の上に寝そべっているような状態で抱き寄せられると、頬
っぺたにそのふわふわがあたる。細い腰に腕を回しながらそこへ顔を埋めると、手の
ひらがはるかの頭を撫でた。


(・・・やっぱ大きいに越したことはないな)

 さっきまで怒られていたことは一旦脇に置いてそんな感想を抱く。すくすく育って
くれてありがとうって言ってみてもいいけど、今度は本当にひっぱたかれそうなので、
大人しく抱き寄せられるままにしておこう。


 でも、抱きしめられるとこんなにも心地いいのは、多分そのせいだけじゃないんだ
ろうな。


「・・・違うみたい」

 自分を包み込む腕を感じながら、はるかはそう呟いて目を閉じた。



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