恋に落ちたら 9




 伸びをしながら見上げた空は、朝と同じように雲がいくつか浮いているだけで、青く眩
しい。

 校舎の側面にある中庭には、天気がいい日のお昼時だというのに祐巳以外の人の姿は見
当たらない。いい場所をみつけて、なんだか得した気分だった。


(でも、一人で食べるとなんだかなぁ・・・)

 もそもそとお母さんの愛情弁当を頬張りながら、ふとそう思う。おいしいけれど、味気
ない。仕事が終わってからでも、急いで薔薇の館に行けばよかっただろうか。


(でも・・・)

 確かに一人でとる昼食は寂しいけれど、今朝の今で祥子さまと隣り合ってご飯を食べる
のは少々きつい気がした。


 思い過ごしだっていうのはわかっている。

 今朝の祥子さまの態度だって、祐巳がいつも以上に意識していたから、突き放されたよ
うに思ってしまうのだ。


 祥子さまと、キスしようとした。

 それだけで、あんなにはしゃいで、舞い上がっていたのは祐巳一人なのだきっと。祥子
さまにとってはただのスキンシップの延長だったかもしれないのに。もしかしたら、それ
すらも祐巳の思い違いかもしれないのだ。

 だから。

 祥子さまと一緒にいるのが、今はつらい。

 つまるところ、積極的ではないにしろ、祐巳は祥子さまを避けているのだった。

 こつん。

「へ?」

 ぐるぐると思考のどつぼにはまっていきそうになったところで、頭に軽い衝撃が訪れて
顔を上げた。


「・・・由乃さん」

 見上げた先には、お弁当箱を手にした由乃さんがなんだか拗ねたような顔で立っていた
。どうやらお弁当箱で小突かれたらしい。


「私も一緒に食べる」

「え?あ、うん・・・?」

 確か由乃さんはお弁当箱を持って薔薇の館へ行ったんじゃなかったっけ。そんなことを
祐巳が考えている間に、由乃さんはさっさと祐巳の隣へ腰を下ろすとお弁当箱を開き始め
た。


「私、祥子さま嫌い」

 祐巳が大好きな玉子焼きを頬張ろうと摘み上げたのを見計らったかのように由乃さんが
ぼそりと呟いた。


「え``・・・っ」

 由乃さんの爆弾発言の衝撃で摘んだ玉子焼きがお弁当箱の中にぼとりと落ちてしまった。

「・・・いつもは好きだけど、今の祥子さまは嫌い」


 祐巳の慌てぶりに気がついたのか、由乃さんは少しだけそう濁して言い直した。それから。

「祐巳さんに悲しい顔をさせるから」

 視線をお弁当箱の方へ落としたまま、由乃さんはもう一度呟いた。

「それは・・・それはちがうよ、由乃さん」

「・・・わかってる。でも嫌だもの」

 芝生の上で、空に浮かぶ雲の陰が流れている。微かな風の音に乗って時折聞こえてくる
小鳥のさえずりが、祐巳と由乃さんの間で揺れているみたいだ。


「でも、祥子さまの言いたいことは何となくわかった気がする」

「?」

 唐突に、由乃さんはさっきまでとは違う、元気なトーンでそう切り出した。

「祐巳さん。祥子さまと言えば?」

 嫌いといったかと思えば、今度は祥子さまクイズ。

「え?えっ・・・えっと負けず嫌い」

「それから?」

 顔中にはてなマークを浮かべたまま何とか答えたけれど、由乃さんは更に質問を重ねて
くる。


「・・・高飛車?」

 こんなこと、本人のいないところで言っていたら、なんだか悪口みたいだ。いや、目の
前でなんて、口が裂けてもいえないけれど。


「しかも?」

 一体このクイズはどこへ繋がっていくのだろう。問われるままに答えながら、それでも
祐巳は祥子さまのわかりやすい特徴を上げていく。


「う・・・っ、ひ、ヒステリー・・・」

 ・・・ごめんなさい、お姉さま。なんて心の中で謝りながらそう答えたところで、由乃
さんが真面目な顔をして、もう一度質問を繰り返した。


「元を正せば?」

「・・・・・・潔癖症?」

 祥子さまは潔癖症。衛生面とか、そういうことだけではなくて、何に対しても筋の通ら
ないことが大嫌いな人なのだった。


「そういうことなんじゃない?・・・祥子さまが何を考えているのかなんてわからないけ
ど。他人の気持ちを逐一試すような人ではないし」


 また、風に乗って小鳥の微かな鳴き声が耳に届く。由乃さんは、ここへ来る前に一度薔
薇の館へ行ったのかも知れない。なぜだかそう思った。


「それなのに近づいたり突き放したりしちゃうのは・・・葛藤があるのかもしれないって」

 今の祥子さまは嫌い、そう言った由乃さんは、それでもきちんと祥子さまをみていた。

「祐巳さんを大切にしすぎて、自分の置かれている状況に戸惑っているみたいに見える・
・・かな。当てずっぽうだけど」


「・・・・・・」

 祥子さまと、キスしたかった。

 だけど、祥子さまはそんな風に祐巳のことを好きではないのかもしれない。

 祐巳はそんなことしか考えていなかった。
 あの梅雨の日に、祥子さまがどれだけ祐巳を想ってくれているか、充分すぎるほどに思
い知らされていたはずなのに。

 由乃さんに言われるまで、祐巳は自分の気持ちしか見えていなかった。嫌いと言った由
乃さんの方がよっぽど、祥子さまを大切にできている気がした。


 好き。と、嫌い。

 正反対な感情はそれでも相手への強い気持ちに他ならない。だけど、強い感情に振り回
されて、大切な人をまっすぐに見られなくなるのは、なんて悲しいことなんだろう。


 『あなたが好きなの』

 そう言ってくれた祥子さまの気持ちまで、見失ってしまうところだった。

 祥子さまと祐巳の『好き』は違うものなのかもしれない。
 だけど。
 その事で、祥子さまを避けたりするのは間違っているのかもしれない。

 不意に見上げた空が、青くて遠い。

 祥子さまは今、何を思っているのだろうか。



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