恋におちたら 14




 雨が降る。

 あの梅雨の日よりも、殊更に。とめどない雨粒が、頬に、肩に、全身に激しく叩きつけ
られる。


 ばかみたい。

 何だって自分はこんなに考えなしなのか。雨の中を走る自分の姿はやっぱりコントだ。
相変わらずスカートはぱたぱたと腿を打ち付けるし、ひっくり返る傘すら持っていない。
格好悪いったらない。


 雨が頬を濡らして、髪を濡らして、制服を濡らす。

 あの時、もういいって逃げたのは、追いかけて欲しかった気持ちの裏返しで、何を置い
ても一番だって態度で示してもらいたかった願いの現われだった。

 だけど。

 今はただ、逃げ出してしまいたかった。

 できるなら、この雨と一緒に消えてしまいたいくらい、ただ祥子さまから逃げ出したか
った。


 もう、どうしたらいいのかわからない。

 水溜りにつかまって、もつれそうになった足が走るのをやめると、そこはマリア様の前
だった。


「―――っ・・・」

 涙は後から後から溢れて、雨と一緒に流れても、止まる事なんてなかった。

「・・・祐巳!」

 雨音とは違う水音が近づいてくるのを感じるのと同時に、懐かしい声が聞こえて祐巳は
びくりと身体を強張らせた。


「何しているの・・・っ、濡れ鼠じゃないの、あなた」

 降り注ぐ雨の向こう側に、大切な人が見える。

「祐巳」

 あの日、追いかけて欲しかった人が、魔法のようにそこにいる。息を切らして、ただま
っすぐに、祐巳の方へと向かってくる。

 それなのに。

「聞いているの、祐巳」

 道を引き返すように、祐巳はその人の方へと駆け出して。

「祐・・・・・・」

 そのまま、その横を走り抜けた。

 ばさり、と傘が地面に落とされる音が微かに聞こえたけれど。

「祐巳!」

 悲鳴のように、祐巳を呼ぶ声が聞こえたけれど。

 振り返ることなんてできない。それでも一瞬だけその人に近づいて去ったのは、マリア
様にすらあわせる顔がなかったからかもしれない。


 雨が降る。

 どうしたらいいのか、わからない。

 雨が降る。

 抱きしめられないのなら、優しくなんてしないで欲しい。

 何もかもから逃げ出して、ただ走る。

 それなのに。

 走りながら、涙と、雨でぐちゃぐちゃに濡れた顔を拭いながら、マリア様に祈るように
心が叫ぶ。


 ―――私は祥子さまが好きなんです。―――

 家族より。

 友人より。

 自分より。

 かけがえのない大切な人の誰よりも。

 祥子さまが好きなんです。

 がむしゃらに走り抜ける祐巳の後ろから、ばしゃばしゃと地面から水が跳ね上がるよう
な音が徐々に近づいてくるのが聞こえる。

 降り注ぐ雨の向こうに、温室が見えて。どんどんと視界の中で大きくなっていくけれど。
 それよりもはるかに早いスピードで、祐巳を追いかける水音が近づいてくる。
 温室の目の前まで来て、ドアノブに手を伸ばそうとするのと同時に腕を掴まれて、勢い
をつけたままの身体が傾ぐ。


「・・・!?」

 それなのに、傾いだ身体は倒れこむことなく、乱暴なくらいの力で引き寄せられて、視
界が反転する。


 ざぁっという雨の音が鼓膜を震わせたのと同時に、濡れた身体がしっかりと温かいもの
に包まれた。


「・・・ど・・・して・・・っ」

 耳元で、浅く激しい呼吸が繰り返されて。

「どうして逃げるの・・・っ」

 きつくきつく、抱きしめられる。

「・・・・・・お姉さま・・・」

 そこは、祥子さまの腕の中だった。

「私のことが嫌いになったの」

 打ちつける雨のせいで、びしょ濡れになった頬を同じように濡れた祐巳の頬にきつく押
し付けながら、祥子さまが苦しそうに吐き出す。


 そうじゃない。

 嫌いだったら、こんなにも苦しくなんてならない。

「祐巳」

 祐巳を呼ぶ祥子さまの腕の中で身を捩って、乱暴にならないように、だけど強くその胸
を押し返す。


「ゆ・・・」

「好き」

 たった一言の言葉が、どうしてこんなにも胸を締め付けるんだろう。

「お姉さまが・・・祥子さまが好きなんです、私・・・」

 だけど、もう逃げることも叶わないのなら。いっそのことこの気持ちごと切り捨てて欲
しい。


「妹としてじゃないんです・・・・・・令さまにも、志摩子さんにも・・・柏木さんにも
嫉妬して・・・」


 後ずさりながら、一言一言を吐き出すたびに、苦しくて。それでも、一旦堰を切ってし
まえば、もう言葉を止めることなんてできない。


 踵に何かがぶつかると同時に、背中に軽い衝撃が訪れて、温室の前にいたことを思い出
した。


「好きすぎて、もう、どうしたらいいかわからない・・・っ」



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