恋におちたら 1




 手を繋いだまま歩いていたら、バスに乗って座ってからも離すのを忘れてしまっていた。
外にいたときは手を繋いでいると汗ばむように感じたが、車内は空調が行き届いており、
むしろ涼しいぐらいだったからかもしれない。窓には青々とした木々が映っては消えてい
き、夏の到来が間近であることを知らせているかのようだった。


「寒い」

 隣から不愉快そうにつぶやく声が聞こえたかと思うと、祐巳の肩にふんわりとした重み
がかかった。


「お、お姉さま・・・っ?」

「冷房、効かせすぎよ」

「・・・冷えちゃいましたか」

 話をする時にはきちんと相手の顔を見なさいというお姉さまのお言葉を守ろうと、祥子
さまのほうを向こうと試みたが、そうすると自分の肩に頭を置いた祥子さまと至近距離で
みつめあうことになってしまうため、慌てて視線を前に戻した。そんな祐巳の様子をから
かうように祥子さまが繋いでいた手に力を込めて囁く。


「でも、祐巳は暖かいわね」

「〜〜〜〜〜〜っっ」

 そう言って、こちらを向いてにっこりと笑う祥子さまに、何も言い返せなくて。祐巳は
顔を真っ赤にしたまま祥子さまをみつめ返すしか出来ない。


 バスを降りてからも、祥子さまを見送る駅の入り口に着くまで、二人は手を離さなかっ
た。最近ではこれが通常となっている。もちろん、山百合会の仕事があるとはいえ、学年
の違う二人がいつも一緒に下校できるわけではなかったが、一緒に下校できるときにはこ
うして駅まで手を繋いで歩く。祥子さまは電車通学、祐巳はバス通学だから、この駅でお
別れ。手を離して祥子さまが改札を通るまで見送るのが習慣になっていた。


 祥子さまの少しだけひんやりとした指先と。

 時折微かに触れあう肩と。

 間近に感じる祥子さまの穏やかな吐息に、胸が切ないくらいに疼いてしまいそうだ。

「・・・み、祐巳」

「・・・っ、あっ、はい」

 いつもどおりに歩いていたつもりだけれど、少しぼんやりしてしまった。慌てて顔を上
げると困ったような表情の祥子さまと目が合った。


「・・・それでは、また明日ね」

「?はい、お姉さま」

 どうやらお姉さまは、お別れの挨拶をしてくれていたようだ。いけない、いけない。せ
っかく祥子さまと一緒に帰られるのにぼんやりしてお話を聞いていませんでした、なんて
もったいなさ過ぎる。祐巳が一人反省しつつも見上げると、「また明日」なんて言ったの
に祥子さまは動こうとしない。お顔にもいまだ困惑の表情を浮かべていらっしゃる。どう
かしましたかと声をかけようとしたら祥子さまが口を開いた。


「祐巳、手」

「?え?・・・ああっ!!」

 祥子さまに言われて下の方に視線をやると、いまだしっかりと祥子さまの手を握ったま
まの自分の手が見えた。


「ご、ご、ごめんなさい・・・!」

 慌てて離した指先から二人分の体温が風にさらわれて、つきんと胸が痛んだ。思わずみ
つめてしまった祥子さまの瞳が一瞬だけ寂しそうに揺れたのは、きっと祐巳の思い違いだ。

だって、祥子さまは滑らかに改札をすり抜けて、一度もこちらを振り向いたりなんてしな
い。そしてそれは姉妹になってから今まで、ずっと変わらない光景だった。


 一瞬でも振り向いてくれたらいいのに。

 切なくさざめく胸を手のひらで押さえながらそう願うけれど、それが叶うはずがないこ
ともわかっている。


 だけど、もしも振り向いてくれたら。

 有り得ることのない希望に思わずこぼれてしまったため息に口元を覆いながら、目を閉
じた。

 もしも、祥子さまが振り向いてくれたなら、改札を飛び越えてその胸に飛び込んでしま
いそうだ。

 心って本当にここにあるのだと思い起こさせてくれるくらい、しくしくと泣いているみ
たいに胸が痛かった。


 祥子さまが好きだ。

 きっと、お父さんより、お母さんより、祐麒より、誰よりも。

 それなのに、どうして祥子さまを好きだと泣きたくなるのだろう。

 こんなに好きになるなんてことはわかりきっていたのに。

 どんなに気づかないふりをしたってその気持ちはどんどん膨らんでいって、いつの間に
か自分でも抑えられなくなるくらいに大きくなってしまって、もう隠すことすらできない。

 だけど、それを知られてしまったら、もう傍にいることすらできなくなりそうで、祐巳
は何も言えなくなる。


 だから。

 
祥子さまのいなくなった改札口をぼんやりとみつめながら、しばらく祐巳はそこから動
けなくなってしまった。




                                   BACK  NEXT

inserted by FC2 system