君にあいたくなる 3



『少し、話がしたくて』

 うん。ちゃんと覚えてる。きちんと聞くよ。ただちょっと、その前に。道草位して
もいいんじゃない。


「・・・・・・っ、・・・はる」

 みちるの声が、甘く呻くようにはるかの名前を呼び掛けて途切れる。その声だって
しっかり聞こえてる。それでも止めない。止められない。


「うん・・・なに・・・?」

 曖昧にとりあえず返事だけをする。話を聞きたくないとかじゃないよ。小さな獣み
たいに丸くなって、白い胸に鼻先を擦りつけて、ぎゅっとみちるにしがみついていた
ら、うまく頭が回らないだけ。今の今まで放っておいて、いきなり乗っかったからっ
てご機嫌が良くなるとは限らない。それは、よくわかっているはずなんだけど。ご機
嫌とりたいわけでもなんでもなく、がっついてしまうんだから仕方がないじゃないか。


「・・・もう・・・話、・・・あるって言っ、たのに・・・」

 案の定、みちるははるかの髪をかき乱しながら、怒ったような声でそう言った。

「・・・今、してもいいよ・・・忘れるかも知んないけど・・・」

 くしゃくしゃと髪を撫でてもらっているような感触が気持ちよくて、ついつい軽口
が出てしまう。


「・・・だめよ、それじゃあ・・・」

 本当に怒らせちゃうかなと、盗み見た彼女の顔は苦笑いで。柔らかな膨らみを両手
で包み込んで、指の間からのぞく先端に口付けたら、耳に心地よい声が響いて安心す
る。怒ってたり、機嫌が悪かったりする時のみちるは、口を真一文字に結ぶか、唇を
噛みしめるかして、絶対に反応しようとしてくれないから。久しぶりだからかな。


「・・・それなら、話じゃなくて、・・・可愛い声聞かせてよ・・・明日になっても
覚えとくから」


 はるかの言葉に、みちるはため息のような笑い声を零してはるかの背中を抱きしめる。

「都合の良い耳ね」

 指先で耳をくすぐられると、甘ったるい味で胸がいっぱいになった。


                             


「二週間も?」

 昂ぶる熱が治まって、温もったままの身体で抱きしめあって。言葉もなく口付け合
ってから、脚を絡ませる。お互いの目に自分が映っているのを眺めてから、はるかが
まどろむように目を閉じた。その時に、みちるは言ったのだ。


 ―――演奏会があるから、しばらく部屋へは帰れないわ。

 しばらくってどれくらい?とはるかが尋ねたら、みちるは二週間程と短く答えた。
そこで慌てて身体を起こした。


「仕方がないわ。連日演奏するわけではないけれど。スポンサーの方々が気を使って
下さったのでしょうね。最終日のホールでの演奏に合わせて、色々お呼ばれしているの」


「・・・・・・・・・」

 その間はホテル暮らしねと、こだわりのない様子で続けられると、胸の中に満たさ
れていた甘い味が、渦巻いて色を変えて行くみたいだ。


「早く伝えておきたかったのだけれど、はるかも忙しい様だったから」

 その上、そんな言い方をされると、今日まで自分が何の連絡もしなかったことも棚
に上げて、むかつきがこみ上げてくる。瞬時に、胸を満たしていたものが苛立ちに変
わった。


「・・・そんなの関係ないんじゃない」

「え?」

 さっきまでの優しい気持ちはどこへ行っちゃったんだろう。自分でそう感じてしま
うくらい、はるかの声は低くて冷たい。


「僕がどうであろうと、どうせ君は部屋にこもりっ放しだったんだろ」

 その規模の大小に関わらず、演奏会やコンクールが近づくと、彼女は練習室から出
てこない。時折マンションの最上階にあるプールへ行く程度しか。自分の世界へ入っ
て、はるかに指一本触れさせない。だから、例えはるかがサーキットに通い詰めてい
なくとも、みちるに会える時間なんて限られていたのだ。考えれば考えるほど、自分
勝手に苛立っていく。


 けれど、みちるははるかのこう言った反応を予想していたのだろう。戸惑いながら
も浮かべた苦笑いの表情には、どこか余裕が見られた。


 指先が震えそうになってシーツを握り締める。

『ずるいじゃないか』

 のめり込んで、何も考えたくない。情熱の対象に打ち込んでさえいれば、そんな焦
燥感は感じなくても済むのに。


 彼女が目の前にいるだけで、すぐにそこから抜け出して、目をそむけていたはずの渦
の中へ沈んでいく。


『僕を置いて行くなよ』

 全身で、そう訴えずにはいられない。

 まるで駄々をこねているみたいだ。格好悪いったらない。

「一々断んなくてもいいよ」

 だけどこれ以上醜態をさらすのもごめんだ。起こしていた身体を横たえて、彼女に
背を向ける。


 さっきまではくっついている方がずっと心地よかったのに、今は背を向けている方
が幾分か気が紛れる気がする。


 けれど、後ろから微かなため息が聞こえてくると、何か言わずにはいられなくなる。

「いつも、みちるは僕を置いて行くんだから。今更じゃないか」

 背を向けたままそう言った。

 みちるがどんな表情を浮かべているかなんて、わかるはずがなかった。



                      BACK  NEXT

inserted by FC2 system