君にあいたくなる 2



 砂塵の匂い。煙の匂い。オイルに、鉄に。それを肺いっぱいに吸い込むのは、実の
ところ嫌いじゃない。身体には悪そうだけど。


(・・・・・・なんかまだ重かったな、ハンドル)

 こないだ滅多打ちにされたからかな・・・と少し不安になるけれど、別に身体のど
こにも異常はない。泣き喚くようなエンジン音を後ろに、少し大きめのツナギ姿のま
ま腕をまわしてみるけれど、伸びきってしまうようなこともなかった。


(・・・・・・筋力の問題かしらん)

 トレーニングを怠ったつもりはないけれど、と反芻してみる。それから、怠っては
いないけれど、自分にできる範囲でと注釈を入れるのを忘れるから甘めの評価になる
のかも、と少し反省する。


(それとも、やっぱり愛情注がないと拗ねるのかな)

 ピットに戻された車体を眺めながら何となくそんなことを思う。しばらくほったら
かしといて、いきなり猛烈に乗っかった位じゃ駄目なのね。ほろり。


「お、天王。今日も熱心だな。学校はどうした。サボりか」

 じゃあさっそく、と車体を覗き込もうとしたところで、後ろから声を掛けられて振
り返る。


「ちゃーんと届けてますから、公休扱いですよ」

 振り返った先にいたその人は、見知った先輩格のレーサーで、はるかは表情を緩め
ながらそう答えた。こういうところ、便利な学校だな無限学園って。才能を発揮して
いる生徒に対しては、出席日数や単位取得に関して、割と緩やかに対応してくれる。
怪しいことこの上ないだけあって、そこら辺の縛り加減もグレーなんだろうか。何で
もいいけど。


「そりゃ、毎日ご苦労なことだな」

 しゃがみ込んだはるかの横に屈むと、その人は笑いながらそう言った。それから。

「まあでも、何でも弄りゃいいってもんでもないだろ」

 はるかのオイルまみれのツナギを摘んでまた笑った。何となく余裕の笑顔に、つい
つい唇を尖らせてしまいそうだ。


 知ってるさ。

(・・・むりくたに弄っても痛がられるだけだろ)

 何か違うな。頭に浮かんできた映像が間違いなくみちるの可っ愛い姿だったものだ
から慌ててかき消した。


「弄り倒しても足りないくらい愛してるんで」

 車体を覗き込んだままそう言いながら、脳内では相変わらず先ほどの映像が浮かん
では消える。今日も煩悩まっしぐらである。


 サボってはいない。けれど、学校に行っていないことに変わりはない。おまけにこ
んな時に限って「お仕事」あがったりで。そうすると、元々熱中しやすいはるかがの
めり込んでいく先なんか決まっている。当然、あらゆる通信手段に見向きもしなくなる。


 結果、ここ一週間ほどみちると逢えていない。声を聞くことすらない。ふと気が付
いたとしても、それは大概、世間の皆様がご就寝されているだろう時間。何となく悶
々としたものが胸の中に溜まっていく。その大きさが、自分にはよくわからないまま。


 けれど。

 そこへのめり込んでしまえば他には何も考えなくてもよくなるような気がしていた。

「あれ、いいのかな。本命放ったらかしといて、その言い草」

「?」

 はるかの受け答えに耐えられないとでも言いたげに緩んだ口元を手のひらで抑えな
がら、彼は反対の手の親指で自分の後ろを指した。


「あ・・・」

 見上げるように視線を移した先に、いつかの教室と同じように彼女が立っていた。

『・・・・・・はるかに会いたかったの』

 瞬間、心臓が高鳴った。彼女はまだ何も言っていないのに。思い出しただけで、積
り溜まったそれが弾けてしまいそうになる。


「はるか」

 喧騒にかき消されることなく、その声がまっすぐにこちらへ向かって投げられた。

 それを受け止めた胸が我慢できなくて弾けちゃう。

 駆け寄って抱きしめてしまいそうだった。


                             


「少し、話がしたくて」

「うん。僕も、用事が、あったかも・・・」

 テラスの椅子へ腰掛けると、向かい合った彼女がふわりと微笑むから、どうしてだ
か口ごもってしまう。何の連絡もしていないくせに、目の前にその人が現れると途端
に罪悪感にさいなまれてしまう。それでもって、会えなかった時間の分だけ、胸が高
鳴って仕方がない。なんて身勝手なんだろう。


「今日は、家に帰る?」

「いっつも帰ってるよ」

「あら。でも、連絡してもまったく取りあってくれないじゃない。留守にしているの
かと思っていたわ」


「あ、そうなの?・・・ごめん・・・」

 拗ねたような声の後に、彼女が笑う。その笑顔のまま、「伺ってもいい?」と尋ね
られて断れる奴なんているんだろうか。少なくともはるかは、みちるの持って来てく
れた、砂糖漬けのレモンを齧りながら頷いていた。


「逢いたくないのかと思ったわ・・・」

 頷くはるかを眺めながら、みちるがそう零す。一瞬だけ、その瞳が揺れたように感
じて、ひどく後ろめたい気持ちになった。


 逢いたくないわけじゃない。

 むしろ、ほんの一瞬気を緩めただけで、みちるのことばかり考えてしまいそうで。

 だから、考えなくてもいい場所に逃げ込むんだ。今みたいに。

 だけど、それがどんな気持ちなのか説明なんかできなくて、はるかはごめんねの
代わりに彼女の手をテーブルの上でそっと握った。


「それで、はるかの用事は?」

 学校のこと。みちるのこと。それからはるかのこと。取り留めもなく話をした後に、
彼女は振り出しに戻ってそう尋ねてくる。


「ええっと・・・」

 そうそう。用事。確かにあった。

(でも・・・こう言う時は、何て言うんだっけ)

 一つのことに集中しすぎると、他の切れ味が鈍ってしまうのか。

(ええっと・・・)

 覗き込むようにしてこちらをみつめるみちるを前にして、言いたいことはたくさん
あるはずなんだけど。


 ―――君とおしゃべりがしたいんだ。

 ―――付き合うだろ。

 ―――今夜は帰さない。

 脳内で繰り広げられてあふれ出たきた最後の台詞が口をついて出た。

「めちゃくちゃ、みちるとしたい」

 叩かれた。平手って結構痛い。


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