Hello 3



 スカートじゃない制服を身にまとって登校したはるかを待っていたのは、あからさ
まな戸惑いと、興味本位の視線。耳慣れた小さな囁きあい。


 だけど、いきなり別室に連れ込まれるようなこともなければ、服を着替えるように
言われることもない。


 腫れ物に触るように、それでも教諭たちは、はるかがそこにいることを許可せざる
を得ないようだった。


(・・・金に物言わせるってこういう時に使うんだっけ?)

 まあ、多分そう言うことなんだろうな。無駄になることがわかっていたら、わざわ
ざ制服一式プレゼントしてくれたりしないだろう。転校させたり、家に閉じ込めたり
することもなく。一応父親である彼ははるかの好きにさせてくれるらしい。


(外面気にしなきゃいけないような関係でもないしな)

 元々、彼の生活の中で、はるかはいなかったことになっているわけだし。そう考え
れば、半狂乱になっている母親の方がまだ、はるかへの執着があるとも言えるか。ど
っちにしても迷惑だけど。


 でも、そんなことで傷ついたりするのも馬鹿馬鹿しい。ここは素直にご厚意に甘え
る方が賢い。彼の寛大な処置によって、はるかはとりあえず、好き勝手し放題に生活
できるわけだから。自分の望んだ形で、過ごせるのだから。


(とりあえず私立って融通が利くのね)

 そういうことにしておこう。

 足取りが軽やかで。まるで背中に羽が生えたかのような気分になる。

 そしてまた、はるかは夢想する。

 ―――このまま飛んでいけたらな。


                               


 奇異なものに対する反応は大人よりも、自分たちの年齢の方がより率直であること
くらい知っている。けれど、理性や常識で雁字搦めになっていない分、状況によって
は反って受け入れやすくなる場合だってある。


「お、天王」

 教室に入るなり、男子生徒が人懐っこく、はるかの名前を呼ぶ。意味もない掛け合
いをしながら机の上に腰掛けると、すぐ側の女子生徒がこちらを覗き込んだ。


「はるかちゃん。これ、昨日のノート。休んでたでしょ」

「サンキュ」

 受け取りながら、片目を瞑って見せたら、周りにいた女の子たちから理解不能な黄
色い声を浴びせられた。


 嬉しくも何ともないけれど、はるかの顔は彼にそっくりなようで。それでもって、
かなり目立つ作りであるらしい。愛想を振りまけば、自分が思っていた以上の反応が
返ってくることだって、もうずいぶん前から知っていた。


 元々がそんな人間の、身に着けている服がスカートだろうが、ズボンだろうが、周
囲にとっては、さして変わりがないらしい。面白そうだから、眺めている。楽しそう
だから、突っついてみる。そんな感じ。傷つくこともないような、ふてぶてしいはる
か相手に、わざわざあからさまな嫌悪感をぶつけてくるようなこともない。投げかけ
られるのは、精々場所をわきまえていないボリュームの疑問や揶揄くらい。こっそり
と二、三人に、軽く腕力で訴えてみたら、それもなくなってしまった。


 だから、上っ面だけで楽しく過ごしていく分には。少なくともはるかにとっては。
そこで過ごしていくことには何の問題もなかった。


 その上。

「はるかちゃん。今週は学校来られるの?」

「週末からは来ないよ」

「え、次はどこ行くの?外国」

「残念。隣の県。だからお土産期待しないでね」

「一回ももらったことないし」

 はるかがどっぷり浸かっているモータースポーツは、彼らにとっては全くなじみの
ない世界で。国内、国外を問わず出て行って、観戦することもあれば、出場すること
もあるはるかの姿が彼らの目にはより一層物珍しく映っているようだ。だからこそ尚
更、彼らははるかの立ち居振る舞いを、まあ、そういうものだと勝手に納得してくれ
ているのだった。


 何て無意味で楽ちんな毎日なんだろう。

(あー・・・でも、ご機嫌伺いに行かなきゃいけないんだった・・・)

 ツテのツテは他人であるから、せびりっ放しって言うのは許されないわけで。おか
げさまで社交辞令や美辞麗句を口上に乗せるのがとてもうまくなりました。その一環
だか何だか知らんが、興味の向くまま出歩くだけにも行かない。


(何だっけ・・・?)

 レースの後だっけ。お呼ばれしてたんだ。確か、船上パーティとか、言われたよう
な気がするけど。


(・・・・・・ジャージじゃ駄目だよな)


                              


 毎日毎日、うんざりする。

 あの赤色の夢は、夜中以外にも、はるかの生活に忍び込もうとしていた。

(白昼夢?フラッシュバック?)

 今更名称つけようが、何しようが忌々しいことに変わりはない。

 通路の埃っぽいタイルの上を歩きながら、肩が上がっちゃいそう。いつもにも増し
て、ふてぶてしく顔がひそめられていくのが自分でもわかった。


(めんどくさい・・・)

 そのグロテスクな光景もさることながら、あの夢の意図しようとしているところが、
わかってしまうから尚のこと、はるかには鬱陶しくてたまらなかった。


 あの破壊から、この世界を守らなければいけない。

 それができるのは。

『この子、海王みちる』

「はるかさん!」

 関係者用のゲートから一歩外へ出ると、そこには結構な人だかりができていた。女
の子ばっかりの。


「連勝おめでとうございます」

 口々にそう言いながら、花束やプレゼントのシャワーを浴びせられると、気分が向
いていなくとも、笑顔を浮かべざるを得なくて、やっぱりうんざりした。


「ありがとう」

 知ってる。笑いかけときゃいいんでしょ。内心の馬鹿馬鹿しさが表に出ないくらい
の可愛らしさで。適当に相槌して、時々茶化して見せるだけで満足してくれるみたい
だし。


(駐車場までこのままかな)

 はるかの身体にまとわりつくようにして付いてくる彼女たちの顔は、何度か見たこ
とがあった。遠巻きに眺めながら一緒にくっついてくる子たちも。練習中のみならず、
県外どこまでもくっついて来てくれるらしい。さすがに飛行機の中でまでは見ないけ
ど。


 肩に、背中に、腰に、腕にも。たくさんの手や腕が伸びてきて、中々前に進めない。
触れられると、いつもそこから冷たい感覚が胸の方目がけて走ってくるものだから、
ひどく気分が悪くなる。エンジンオイルの匂いが薄れていく代わりに、女の匂いがそ
こらじゅうに振りまかれて吐き気がしそうだ。だけど下を向いたままでいることも許
されなくて、はるかは顔を上げる。視界を一点に集中させたくもなくて、彼女たちの
顔を順番に眺めていく。


(あ・・・この前口チューしてきたな、この人)

 花束を渡すどさくさにまぎれて、顔が近づいてきたと思ったら、唇がもうくっつい
ていた。その上、舌突っ込んできたよな。


 すぐ真横にある女の顔を眺めてそんなことを思い出すと、彼女はにっこりと笑いか
けてきた。反射的に笑顔がこぼれる自分をほめてやりたい。


(彼氏の代わりかな。それとも欲求不満かな)

 どっちにしても大人って大変だな。それ以上でも以下でもないただの感想を抱きな
がらはるかはそっと溜息をつきたくなる。


(このまま放っといたら、次は食べられちゃうかも)

 何をどうされるのかは知らないけど。はるかの身体にまわされる手のひらの中に、
明らかに触れさせているだけじゃないものがいくつかあることにも気が付いていた。


 さすって、撫でて、指先でなぞって。何が確かめたいの。

 一人ずつ適当に眺めている中で、時々目が合っちゃう人たちがそうしているんだろ
うか。笑いかけてる目が全然笑ってないよ。蛇みたいだ。もちろん、振り払ったりな
んてしない。どれだけ気分が沈もうとも、好き勝手に触ってくる感覚にまで、一々戸
惑った素振りなんてしたくなかった。


(・・・でも、こっちから触るのは嫌だな。そこまでサービスしなきゃ駄目?)

 抱えきれないくらいの贈り物のせいにして、はるかはただ唇の端を上げ続けた。だ
けど、例え両手が空になったとしても、絶対に彼女たちに触りたくなんてない。


 だって。

 気持ちが悪いじゃないか。

「天王さん、こっち向いて」

 ぼんやりとしたまま歩いていたら不意にそう言われて立ち止まる。振り返りさまに
フラッシュをたかれると、頭に血が上っちゃいそうだ。


 その連れの子だろうか、はしゃいだ様子ではるかの首に腕を巻き付けると、グロス
でべたべたの唇が頬に押し付けられた。怯むのも癪で、再度フラッシュがたかれるの
に合わせて笑って見せたら、何だか愉快な気持ちになった。


 馬鹿みたい。鬱陶しくて。気持ちが悪い。君たちのことが大っ嫌いだよ。ハートマ
ークまで付けちゃう。


 欲しがってばっかりで。そのくせ与えられたら、もっともっととつけ上がる。その
欲求に底はないのかよ。


 何でそんなものまで、僕が守ってあげなきゃいけないわけ。

 そんなことを考えていると、ますます笑顔がはじけちゃいそう。

『あなた、汗一つかいていないのね』

 口元が笑いを形取っているのを感じながら、また、あの女の子のことを思い出した。

 柔らかそうな髪を日の光に透かしながら、控え目に微笑むその姿が、すぐにあの真
っ赤な光景に重なって、ひどくうろたえたのを覚えている。


 何で、守ってあげなきゃいけないわけ。

 思わず叫び出しそうなくらい。

 彼女のことを思い出すと、ますます笑顔が深くなっちゃいそうだ。

『あなた、風の騒ぐ声が聞こえるんじゃない?』

 知ったような顔して近寄ってくるなよ。鬱陶しい。

「それじゃあ。今日は来てくれてありがと。またね」

 どこまで続いて行くんだろうと、うんざりし始めたところで駐車場にたどり着いた。
いつもならバイクにまたがる間も抱き寄せられたり引っ張られて(こっそり乗ってる
んだから静かにしてよ)中々出発できないけれど、今日は豪華にもお迎え付きなのだ。
目当ての車の後部座席の扉を開けて、手早く抱えていた荷物を下ろすと、はるかは人
だかりに向かって軽く手を挙げた。


「相変わらず両手いっぱいに花でうらやましいことだな」

 座席に乗り込みながら、うるさく上げられる甲高い声を遮るかのように、扉を閉め
ると、運転席からそう声を掛けられてはるかは苦笑した。それから、レーサーではな
いけれど、顔なじみの彼の姿に、ほんの少しだけほっとする。はるかをお舟の上なん
かに呼びつけてくれたパトロンとも面識のある彼は、今日の運転手を買って出てくれ
たのだ。


「それで?パーティって言っても、服とか持ってきてないよ、僕」

 窓を開けながら外の景色を眺めると、やっと新鮮な空気が肺に送り込まれた。

「大丈夫。その辺りはきちんと用意してるよ。はるかちゃんにぴったりなのを」

「え、まさかドレスとか?」

「おや、そっちの方が好きなら、急いで取り換えないといけないな」

「勘弁してよ」

 前のめりになりながらはるかがそう訴えると、彼がおかしそうに笑うものだから、
作り笑いじゃなく笑みがこぼれる。


 嫌だな、女って。

 だったら、男の方がいいのかと聞かれれば、絶対違う。

 ―――駄目じゃないか。あまりお母さんに心配をかけてはいけないよ

 自分を安全な場所へ置いといて、したり顔で指図してくる男だって、大嫌いだ。運
転席の彼の姿に安心したのは、自分に何の興味も期待もなく、適当に楽しくかけ合え
るからに過ぎない。


「・・・少し寝てもいい?」

「ああ。着いたら起こしてやるよ。・・・シートに涎たらすなよ」

 憎まれ口にもう一度笑い声を漏らしてから、はるかは背中をシートに預けた。腕を
組むようにして、丸くなるとひどく落ち着く。窓から入り込んでくる風が髪をくすぐ
る感触が心地よくて、瞼がすぐに重くなった。


 男とか女とか関係ない。

 眠りに落ちながら、心の中でそう吐き捨てた。

 僕は僕じゃないものになれたらよかったのに。



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