Hello 2



(もしかして、パパってばとってもお金持ちさん?)

 寝転がったままの体勢で、無意味に頬へ両手を当てて小首を傾げてみる。もちろん
反応なんてない。だって、この部屋にははるかしかいないのだから。


『あの子は、私の手にはあまるんです』

 その一言で、マンション一室買い与えられるって、どんな身分の人なんだ。

(手に余るって・・・、まあ、わからんでもないけど)

 別に犯罪を犯しているわけでも、非行に走っているわけでもない。成績は結構良い
方だと思うし。素行も良好。愛想もばっちりだと思うよ。


 ただ、制服をめっためたに切り刻んで、焼却炉で燃やしちゃっただけじゃん。

 綿密に計画を練っていたわけではない。だけど衝動的なものじゃない。食べること
と同じくらいに必然ではないけれど、その為に出たごみを回収日にきちんと分別して
出すくらいの、のどかな日常風景のつもりだったんだけどな。


 スーツなんて持ってないから、指定のジャージを羽織って登校しただけ。なのに式
には出席させてもらえないし。控え室みたいなところへ、教諭数人がかりで閉じ込め
られちゃうし。


『何を考えているんだ君は』

 なーんにも。って答えたら、目の前の先生の血圧が上がっちゃいそうだったから、
はるかはしおらしく首をうなだれてみせた。


『・・・・・・すみません。でも・・・僕、どうしても、着たくないんです・・・女
の子の服なんて」


 伸びた前髪の隙間から見えた、その時の教諭たちの顔と言ったら。

 これでもかってばかりに目を見開いて。その次に浮かんできたのは。

 侮蔑と、それを覆い隠すような憐れみ。

 まあ、あれですよね。学校の先生になろうって人は。時々ヘンな方向へ行っちゃう
人を除けば、人のお世話が大好きな、お人よしさんが多いんだろうし。


 だから、自分の顔に一瞬でも浮かんでしまった嫌悪感を打ち消そうと躍起になる。

『・・・で、でもね・・・君・・・』

 声色もどうしたことか、先ほどまでとは別人のよう。

 まるでこっちがおかしいみたいじゃないか。

 規則を破りたくて仕方がないわけじゃない。反抗したいわけでもない。ただ、あて
がわれたものが、自分のものではないようだったから、「これ、僕のじゃないですよ」
って言っているだけなのに。


(・・・まあ、いいけど)

 その後呼び出された母親が半狂乱になってくれたおかげで、二人共々学校から強制
撤去してもらえたし。


 タクシーの中で隣り合って座っている間、彼女は一言も話さなかった。車から降り
る時も、部屋へ入る時も。一度もはるかの方を振り返らなかった。


 玄関で乱暴にパンプスを脱ぎ散らかすと、わき目も振らず、リビングへ駆けていく。
縋るように電話を手にすると、きっと同じものばかりが記録されているであろうリダ
イヤルボタンを押した。


『あなたのせいよ!』

 受話器に向かって力いっぱいそう叫ぶ彼女の顔を、見ていられない。申し訳なさか
らじゃない。恐怖からでもない。あられもないその姿に、思わずこっちが恥ずかしく
なりそうだったからだ。この人、ヒト科のオトナですよね?


 時々むせながら、自分一人ではるかを育てるためにどれだけ苦心しているか、心細
い生活をしているか、それをきちんとわかっているのか、そんなことをひたすら一方
的にしゃべり続ける彼女。


 それなのに、どうしてあなたは私を顧みないのと、何度も言っている。

(・・・それじゃ、あんたの人生相談じゃん)

 冷蔵庫から取り出した、パックのカフェオレを啜りながら、そう教えてあげたくな
った。でも、触らぬ神にたたりなしって言うしな。原因ははるかかもしれないけど。
それは今日に限ってのことだし。


 彼女にとっては、原因は何でもいいんだ。彼に突っかかる材料はいくつあっても足
りないのだろうから。


 そろそろ、音量調節のできないBGMにはるかが飽きてきたところで、彼女は冒頭の
台詞を吐いたのだ。


 ―――あの子は、私の手にはあまるんです。

 あまるほど手、かけてもらった覚えないんだけど。

 そう喉元まで出かかってぐっとこらえる。いやいや、人の記憶なんて曖昧だしな。
はるかが覚えていないだけで、まあ何かしらのお世話にはなっているに違いない。そ
う思い直す。実際のところ、ひどくつらく当たられたようなこともない。


 うれしくも何ともないけど。はるかの顔は、どうやら彼にそっくりなようで。

 世話をしてもらった記憶は薄いけれど、まるで猫か何かのように可愛がられている
自覚はある。


『子どもがいるのに、一緒に暮らしてくれないなんて』

 でも、彼に突っかかる材料であることに違いはない。その上、何回でも効力を発揮
する。さらに言えば、眺めて楽しむこともできる。


(だからまあ・・・置いとく場所の変更?)

 そう考えると納得。と一人頷いてからもう一度部屋を見渡した。

 ベッドと、作り付けのクローゼット以外は何もない部屋。

 その静かな空間に一人満足しながらはるかは立ち上がる。扉を開けてリビングを見
渡してみても、テーブルと、電話機一個。それだけ。


 何ていい部屋なんだろう。

 はるかはまた、一人で微かに笑った。

『駄目じゃないか。あまりお母さんに心配をかけてはいけないよ』

 電話越しで、久しぶりに聞く声。彼は怒ったことなんてないのだろうか。いつもひ
どく落ち着いている。冷たく無機質なものではない。どちらかと言えば、柔らかで温
かい物腰。けれどそれが余計、はるかに何の感情も感じさせないのだ。その声と言葉
に思わず笑い出したくなった。


 ―――駄目じゃないか。奥さんがいるのに、他の女なんか孕ませちゃいけないよ。

 はるかの「駄目じゃないか」の方がよっぽど世間常識に沿っているような気がしな
いでもないけれど、心の中にとどめておくことにする。


 痛いところを突いて反応を窺うほど、彼に執着はない。

 愛って、お金のことだよ。って信じている人も世の中にはいるのだ。言いたいこと
はわかるけど、それだけでもないってことにしといた方が良いんじゃない?って思っ
ているのは、はるかがまだお子様だからかもしれないし。それも価値観の一つだろう
から、一々否定なんかしない。その愛情をせっかくこちらへ向けてくれているんだか
ら受け取るに越したことはない。


 でも、愛情過多は良くないよ。

 たとえば、連れてこられた部屋の中に、彼女と一緒に住んでいた部屋同様、悪趣味
な程に豪奢な家具をごちゃごちゃと陳列してたりとか。


 差し出された通帳に記載されている額が丸一つ多いとか。その上毎月同額振り込ん
でいただけるとか。


 後者については使い込まなければ問題ないだろうからありがたく受け取ることにして。

 不必要な家具は全部引き払っちゃったりして。

 だからって、彼のご自宅へ搬入したりなんかした日には、またややこしくなりそう
だし。一度設置されてしまったものは販売元には返せないし。だから。


(便利だなーリサイクルショップって)

 そういうことにして片づけた。残った家具がこれだけ。思っていた以上に居心地の
いい部屋になって、はるかは上機嫌だった。


 それから。もう一つ。彼からの贈り物が届いていた。

 彼からの贈り物は大概外れている。はるかの趣味や希望と。けれど今回はばっちり
である。たまには父母間で話し合うことも必要ですよね、やっぱり。


 箱の中には、真新しい制服。

 ブレザーと、ズボンの組み合わせ。スカートじゃない。

 風通しの良い部屋に、自分に心地よい身なり。カーテンも取り付けていない、リビ
ングの窓から見た空は真っ赤な夕焼けで、まるで門出のような気分だ。


 いそいそと、必要もないのに着替えてみると、ぴったりとはるかの身体に布地が馴
染んでいくものだから、ついにっこりと笑ってしまった。


 自分は誰からも愛されてなんかいない、なんて、考えること自体が無意味だ。

 制服のまま一人っきりの部屋の窓辺に腰かけて、雲を運ぶ風を眺めながら、ふとそ
んなことを思い浮かべた。


 きっと、人はその不安と一緒に生まれてくる。

 お菓子のように甘くて、それから時々辛いような言葉や仕草を与えられていくにつ
れ、それは消えていくのかもしれない。多分、大人になる頃には。お菓子が少なかっ
たり、溢れすぎて見えなかったりしたら、中々消えてはくれないんだろうけれど。


 でも、それって与えられているからこそ、思い出しちゃう不安だよ。

「・・・・・・ふあ・・・」

 誰もいないのをいいことに、はるかは口に手も当てず大きく口を開いてあくびをする。

 だってさ。

 与えられてないんだか、薄いんだかはわからないけれど。

 はるかにとっては、そんなの当たり前。普通のことだよ。何でそんなことで悲しく
なんてならなきゃいけないわけ。


 愛なんて衝動だよ。腹立てたり、喜んだりするのと一緒。一瞬じゃない。とりあえ
ずこの制服だけで充分。


(・・・・・・ねむーい・・・)

 何とも可愛げのない自分のひねくれ具合に、もう一度はるかはくすりと笑いを零した。

(・・・まあ、バイクも車も続けさせてもらえるみたいだし)

 あまり執着心のないはるかが、唯一心ひかれ続けているモータースポーツも、実際
のところ出すもの出してもらえるツテがなきゃどうにも首が回らない。


(他にも、なんかしてみようかなー・・・)

 けれど、ツテがあっても、そこに入り浸ってばかりいられないのが、お子様の悲し
いところ。それなら、また、別の暇つぶしを考えなきゃいけない。適当に、当たり障
りなく。


『何を考えているんだ君は』

 なーんにも。

 何にも考えたくない。考えて、自分のことを考えて。もしも足場が崩れてしまった
ら。どうなっちゃうんだろう。わかんないでしょ。だから、何にも考えたくなんてな
いんだ。


 窓辺の柱に沿って、ずるずると身体が下へ落ちていく。

 眠りに落ちていきそうな瞼の裏に、できの悪いモザイクみたいな彩が映し出されて
はるかは眉をしかめた。


(まただ・・・)

 モザイクはその次にドットになって、それからマーブルになる。最後に真っ赤な町
が映されて、次々に壊されて行っちゃうんだ。スローモーションで。やけにそこだけ
生々しく。


 はるかはそこに立ち尽くして、じっとそれを眺めている。

 終わっちゃうんだな。

 そんなことを考えながら。

 けれど、破壊の竜巻が間近に迫ると、必ず現れる。

 一人の、女の子が。

(・・・・・・・めんどくさいなぁ)

 止めなきゃいけないって言ってる。毎回毎回、同じ科白。

(何で、僕が)

 止めなきゃいけないってどうやって?体当たりでもしろってことか。痛いのは苦手
なんだから、勘弁してほしい。


 そりゃ、人を傷つけたりなんてしたくないし。できれば皆平和に暮らせたらいい位
の気持ちは、いくらひねくれているはるかでも持っている。小さな子どもや、動物に
優しくしてあげたい気持ちとかもそれなりに。


 でも、全部が終わっちゃうんなら仕方ないじゃない。

 そんな必死に守らなきゃいけないものなわけ。

 規則や、常識や、イメージや。侮蔑も、揶揄も。そんなものに縛られて身動きでき
ない場所なんて、一回壊れちゃってもいいんじゃないの。


 何でもいいから、早く眠らせてよ。

 浅くなっていく呼吸の中で、はるかはもう一度眉をしかめた。

 瞼の裏にこびりついた映像が、少しずつ解けだしていくのを感じながら、はるかは
また、窓の外を眺めたくなる。


 あてがわれるだけの部屋も。面倒くさい夢も。何もできない自分も。全てが鬱陶しい。

 いっそあの風みたいに。

 どこかへ飛んでいけたらいいのに。



                         BACK  NEXT

inserted by FC2 system