Goin`home 3



『誕生日もあまり大きなことは出来なかったし。演奏会も見に行けないから』

 そう言って、はるかはみちるを連れ出した。

 夕食を二人きりでと言う約束だったけれど、二人が家を出たのは正午過ぎ。誕生日
は家で皆に祝ってもらえていたし、演奏会のことにしても、みちるだってはるかの出
場するレース全てを観戦できるわけではないのだから、気に病むことなんてないのに。
彼女はみちるに半日もの間、独占されてくれるということらしい。


「決まった?みちる」

「・・・・・・難しいわ」

 繊細な輝くを放つピアスを前にして、みちるは考え込むように口元へ手を当てた。
間接照明で照らされた店内は決して明るいわけではないけれど、白色を基調とした空
間で清潔感に溢れている。絵画やモニュメントのように点在しながら置かれているシ
ョウケースの中には、それぞれ表情の違う装飾品。


「?みちる、こういうの好きでしょ?」

 延々と悩み続けるみちるの様子に、はるかは不思議そうな視線を投げかけた。通常
であれば、こういったお店の中で、みちるははしゃいだ様子を見せることの方が多い。
アクセサリーの類を眺めるのは好きだった。一目見ただけで気に入って購入してしま
ったものも、一つや二つではない。ここだって、お気に入りのお店の一つ。半ば趣味
のようなものだ。けれどそれは自分の楽しみなのであって、人にねだってまで満足さ
せたいものではない。


『みちるが欲しいものをプレゼントするよ』

 だから、そう言ってくれたはるかの気持ちは嬉しいけれど、最初からプレゼントさ
れるものだと認識した状態では、あまり食指が動かないというのが実情だった。


(・・・それに)

 先ほどから目に留まるもののほとんどが、はるかに似合うだろうというものばかり
だから苦笑するようにため息が漏れてしまう。ついさっきまで眺めていたピアスも、
はるかに付けてほしいと考えながら見入ってしまっていた。


「・・・決められないから、はるかが選んでくれないかしら」

「え?僕?」

 小さな四角が不規則に積み上げられたようなガラスケースから視線を外して振り返
ると、向かい合ったはるかは片手をポケットに突っ込んだままもう一方で頭を掻いた。


「うーん・・・でも、みちるの気に入ったものを贈りたいんだけどな」

「私ははるかの選んでくれたものが欲しいわ」

 別にこれ以上思案するのが面倒だから等と、身も蓋もないようなことを考えている
わけではない。せっかくなら、みちるを想って選んでくれたものを贈って欲しいと、
思いついたからだ。


 手がポケットに入ったままになっている方の腕にこちらから手を沿わせると、はる
かは少しだけ赤くなった頬を隠すように、一つ咳払いをした。それから、腕に触れて
いたみちるの手を取る。けれどそうすると、今度は反対の手をポケットに突っ込むも
のだから、みちるは笑い声を零してしまいそうだった。姿勢が悪くなるからあまりそ
う言う格好をして欲しくないと思っていたのは以前から。だけど本当は照れて手持無
沙汰になると、自分を落ち着けるように手をそこへ隠すのだと気が付いたのはつい最
近のことだ。


「・・・じゃあ・・・」

 みちるの手を引きながらはるかが移動したのは、フロアの中心にひときわ大きく設
置された円形のガラスケースの前だった。


「こーゆーのとか」

 覗きこまなくても、そこに並べられているものは知っていた。

「指輪?」

 一つ一つ丁寧に鎮座させられているリングは、壁やケースに反射する照明に照らさ
れて一層きらびやかに輝いている。ここでそれらを購入したこともあったけれど、ど
のラインも新しいデザインが出ているのねと少し興味を引かれた。


「みちるはああいうのが好きなんだろうけど」

 嵌めてみようかしらとみちるが眺めていたと同じものをはるかは指して言った。細
身のリングに包み込まれるようにはめ込まれている石の色はマリンブルー。同じよう
な色調のものばかりに偏るのは後が困るとわかってはいるけれど、みちるはその色が
好きだった。


「・・・こっちのを付けてくれたら、うれしい、かな」

 みちるの方へ一度視線を向けてから、はるかが次に指したのは、先ほどのものより
も少しだけ重厚な形のリングだった。こちらはさり気なく石がはめ込まれている。鮮
やかな空の色だ。


「どうかな?」

 きっとそれを手にするたびに、はるかを思い出すような色調に、どうして今までそ
こにあったのに気が付かなかったのだろうと素直に感心する。


「これがいいわ。それから、私もあなたに身に付けてほしいものがあるのだけど」

「?」

 先ほどまで眺めていたピアスのことを思い出しながら、みちるははるかの腕をぎゅ
っと抱きしめた。



                               


 店内から続くガレージに座り込んだはるかを横目に、みちるは苦笑いを浮かべていた。

 車へと戻る途中で、そわそわしながら「ちょっと寄ってもいい?」とはるかは言っ
た。スチールとコンクリートの塊のような建物は、一見するとサロンか何かのように
見えなくもない。入り組んだ建物の庭の庭に当たるであろうスペースには、レトロな
デザインの車がかしこまって停まっている。モーターショップのようだった。店内か
らは隣接しているカフェへも入ることができるようだ。


 みちるの手を引いていたはるかは、店内に入ると子どものように目を輝かせて、そ
れからすぐに店員と話し込み始めた。いつのまにか、みちるの手を離してしまうくら
い、熱心に。


 放っておかれる状況に誰にするともなく肩をすくめてから、しばらくは店内を眺め
ていたけれど、いつまでたってもはるかはおしゃべりを止める気配もない。その上、
いそいそと店員と二人で移動を始めたと思ったら、扉を開け放ったままになっている
向こう側のガレージに座り込んでしまった。

 みちるが一通り店内を眺め終わっても止むことのないおしゃべりに、少しだけ拗ね
てしまいそうになる。けれど、はるかの耳元に光るピアスに視線が止まると、苦笑い
以上の感情を浮かべることもできなくなった。


 お互いに贈りあったものを、二人してその場で身に付けた。みちるの方は、今日は
空いている指に嵌めるだけだったけれど、はるかは元々耳に通していたものを外して、
みちるの贈ったものに替えてくれた。だから、はるかの手には先ほどのお店のロゴが
入った小さな紙袋。最初に付けていたものを、お店側がジュエリーケースに包んでくれ
たのだった。


「あ、天王」

 隣接しているカフェにでも座っていようと彼女へ向かって歩き始めた時だ。ガレー
ジの方からおしゃべりをしていた方とは違う声が聞こえた。


「せっかくの休みでも、してることはあんまりいつもと変わりないな。職業病か」

「まさか。休日を満喫してるよ。買い物したりとかね」

 打ち解けた様子から、仕事の関係者だろうかと考えながらガレージに近づく。

「ふうん。お前もそつがないな」

(?)

 そう言えばどこかでお会いしたことのあるような男性は、楽しそうに笑いながらは
るかの手にした紙袋を指差した。


「お近づきの印にとか言って、女の子にプレゼントするものでも物色してたとか」

「おいおい」

 一歩進むごとに、二人の会話がはっきりと聞こえてくる。

「何でもいいけど。あ。次、お前身体空いてるのいつだよ。それこそ、こないだお近
づきになった子たちがさ、またお前と遊びたいんだって」


「そう言って、僕をダシにするつもりだろ」

「そりゃ、お友達も連れて来てくれるって言うんだから、こっちの人数だって合わせ
といた方がいいだろ」


 店内とガレージとを分ける場所へとたどり着くと、二人の笑い声が一層大きくなった。

「はるか」

 それにかき消されないように、けれど穏やかにみちるは言った。

 こちらが近づいてくることにまるで気が付いていなかった二人は、みちるの声にび
くりと肩を震わせてから振り返る。それから。


「隣でお茶しているわ」

 みちるの姿を見た途端、二人揃って、同じように青く強張った表情を浮かべはじめ
た。とても仲の良い様子に、みちるの微笑みはいっそう深くなる。


 夕食の予約の時間までは、もうしばらく時間があった。


                             


「これからサミットを開会します」

 グラスに注がれる琥珀色の向こう側へ向かって、みちるはそう宣言した。

「それってやっぱり地球温暖化とか、海洋調査とかについて?」

「レーサーの行動傾向とその実態の把握、および調査結果から導き出される実像への
今後の対策について、よ」


「・・・・・・そ、そんなにピンポイントなんだ」

「あら、かなり広範囲にわたると思うわ」

「・・・・・・」

 耳障りな位に楽しげなBGMはラブソング。程良く距離の開いた周囲の席には、みつ
めあう二人。窓際の席からは、一面に眼下の夜景を展望できた。


 けれどその風景の全てを凍りつかせるようなみちるの視線に、目の前のはるかはあ
からさまに震えあがっていた。


「まあ、だから・・・お付き合いって言うか・・・ねっ・・・?」

「そうね。はるかは優しいから。誘われたら断れないし、ひきとめられたらいつまで
も騒いじゃうし。だから先週の水曜日のように、可愛い女の子たちには朝までだって
付き合ってあげるのよね」


「ぁぅ・・・・・・」

「すぐにでも、またあなたに逢いたいだなんて、それはもう素敵な一時だったんでし
ょう。お互いに。・・・・・・そうよね、はるか」


「・・・・・・・イイエ・・・メッソウモゴザイマセン・・・」

「あら、じゃあ。先月泊まり歩いていた時の子たちとは違うのね。そう言えばミーテ
ィングの回数だって最近多いわ。帰りも遅いし。大会が近いからだと思っていたけれ
ど。どこで何をしていらしたのか、気になっていたの。教えていただけるかしら」


「・・・・・・!!!」

「ほら、挙げればきりがないくらい広範囲。はるかもそう思うでしょう?」

「・・・・・・・・・」

 次の言葉を探しているのか、目を泳がせながら黙り込むはるかに、つい睨みつける
ような視線を向けてしまう。隣の席に座る二人が時折こちらへ向ける同情のまなざし
は、はるかに対してだろう。もちろんみちるだって、こんな夜に、こんなことをした
いわけではない。はるかがみちるの為に用意してくれた夜に、眉間にしわを寄せて、
言い募りたくなんてない。


 はるかの次の言葉を待つ沈黙の合間に、音もなく前菜がテーブルへ並べられていく
のをみちるは眺めていた。


 本当は、いつもありがとうって、伝えたかったのに。

「いや。だから、・・・確かに家を空けることは多いんだけどっ・・・それは本当に
仕事関係だけだし」


 テーブルクロスの上に置かれたはるかの手は、ナイフやフォークを掴むことなく握
りしめられていた。


「そうね。仕事関係だけなのに、本当にはるかは熱心よね」

「・・・・・・や、・・・メンテとか打ち合わせとか、終わったら・・・多少は親睦
を深めたりする、けど・・・」


「そりゃそうだわ。チームメイトやスタッフやフリークの子たちは大切にしなきゃ」

「・・・・・・で、ですからね、みちるさん・・・」

「・・・だからそれを私に隠すのは、はるかの優しさだって思えばいいんでしょう」

 はるかは言えば言う程泥沼にはまっていって、みちるはみちるで聞いた分だけ耳を
疑う。


「違うってば・・・」

 グラスの底からわき上がり続ける気泡をみつめていたら、いつの間にかお互いに言
葉が途切れてしまった。


(わかっているわよ・・・)

 誰にだって打ち解けた仕草を振りまくはるかは、けれど、その気持ちまでむやみや
たらに配って歩いているわけではないこと位、みちるだって知っている。だから。


 引くに引けない私を許してと、思う気持ちだってきちんとあるのに。

『ごめん、その日はちょっと。空けられないんだ』

 何で、よりにも寄ってこんな時に、そんな言葉を思い出してしまうのだろう。

『・・・若いわ』

 少し前の自分をそんな風に抱きしめてやることはできるのに。どうしてうろたえて
しまうのだろう。


(・・・・・・)

 けれど焼けついてしまいそうな切なさに慣れることなんてできなくて、みちるはそ
っと額に手のひらを押しあてた。




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