2.Love.one,two.



(使命・・・か・・・)

 窓の外を遠く眺めながら、はるかはため息をつく。空を眺めていると、まるで黄昏
のような哀愁を感じてしまう。・・・まだ、お日さまピッカピカの午前中だけど。


 戦士としての日常。戦いの毎日。それらを思い出すと、ひどく気持ちが重たくなる。

 でも、隣には彼女が。

 みちるがいる。

 あ の コ ス チ ュ ー ム を 身 に ま と っ た みちるが。

「おい、天王。大丈夫か天王!」

 手探りでとりだしたティッシュで鼻を押さえると同時に、教壇から教諭の声が聞こ
える。


「・・・はい、すみません」

「いや、大丈夫ならいいが」

 最近のはるかは常に大量のポケットティッシュを携帯していた。花粉症ではない。
止血用だ。


 でも、いくら血の気が多いと言っても、これだけ出てしまうと、足りなくなるので
はなかろうか。いや、もしかしたら多すぎて溢れるのかも。献血行ってこようかな。


 遠い目で尚も外の景色を眺めていると、午後のさわやかな太陽の下、今日も今日と
て、グラウンドでは体育の授業が行われているわけで。


(ああ・・・)

 お約束のようにそこにはみちるがいる。

 準備運動だろう。他の生徒たちと一緒に、ゆっくりとトラックを走っていた。

(・・・・・・短パンじゃなくてよかった)

 つい最近の希望と百八十度違う感想を抱きながらため息をつく。そうそう他の生徒
たちの目の保養までしてもらっては困る。


 柔らかそうな、脚。

 鼻の奥どころか、身体中の血液が沸騰していくのを感じながら、それでもはるかは
空の下を眺めることを止められない。


 ちなみに。はるかの視力は通常の検査ではいつも最高値である。覚醒してからはさ
らに遠くのものまで、詳細に見えるようになっていた。その力を惜しみなく発揮して
みつめてしまうのは、ひとりの女の子で。


 これ以上踏み込んではいけない、そう忠告する自分がいるのに。

(・・・・・・揺れてる)

 その柔らかな場所に焦点が定まると同時に、目の前が真っ赤になる。

「天王!天王、しっかりしろ・・・!・・・」

 教諭の声をどこか遠くに聞きながら、それでもはるかは幸せだった。


                            


「はるか、学校で倒れたんですって?」

 くったりとソファに身を沈めたまま見上げると、みちるがココアを手にして立って
いた。


 みちるの部屋は、すっきりとしているけれど、はるかの部屋のように何もないわけ
ではない。落ち着いた色合いに、品のいい調度品。部屋に帰ってきた主を癒せる空間
になっていた。


「疲れているんじゃない?」

「そんなことないよ」

 差し出されたカップを受け取りながらみつめた彼女が、ひどく沈んだ様子でこちら
を覗き込むものだから、妙に明るい口調で言ってしまった。ひたすら出血したせいで
・・・とは言えない。あらぬ視線をみちるに送っていたなんて、もっと言えない。


「そう」

 はるかがカップに口をつけるのを見届けてから、みちるが隣に腰を下ろす。

「・・・・・・でも、無理はしないで」

 はるかの腕に、頬を寄せて、みちるは囁くようにそう言った。その声が、甘くて、
可愛くて。はるかはさっきまで感じていた後ろめたさを潔くなぎ払うと、ぱっとみち
るに向き直った。


「そんなに心配する位なら、癒してほしいな」

「え?」

 カップをガラステーブルに置きながらはるかは片目を瞑って見せる。

「ちょーだい。元気」

 人差し指を唇にあてながらそうおどけて見せた。きっとまた、受け流されるんだろ
うけど。


「え・・・その・・・」

 そう予想していたのに、みちるはどうしてだか固まってしまった。頬が薄く色づい
ていた。


(・・・そういえば)

 そういえば。みちるから積極的にキスしてもらったことってあったっけ・・・。ち
らりと目配せをしてみると、みちるはいよいよ顔を赤くして俯いていた。チャンスかも。


「お姫様にキスしてもらえたら、すぐ元気になれるんだけどなー・・・」

 俯いたままのみちるに、あからさまに肩を落として見せる。

「でも、嫌なら仕方ないか・・・。他をあたってみようかな・・・」

「だ、駄目よ、そんなの」

 はるかが言い終わるのを待たずに、みちるは揺れるような瞳でこちらを見上げて言
った。うわ、何。この可愛い生き物は。


「え、妬いてくれてるの、もしかして」

「・・・・・・・・・」

「僕は毎日妬いてるんだけどな。みちるを見てるだけの奴にまで」

 怒ったような、困ったような顔。こんなに可愛いのに、なんで毎日見せてくれない
んだろ。


「ねえ、慰めてよ。お姫様」

 膝の上で握られていた両手を掬い上げるようにして握ってからじっとみつめる。も
う少し、この表情を眺めているのもいいかな。心の中でそう呟きながら、唇の端が上
がっていきそうになるのを我慢する。


 黙り込んだままの二人に、先に耐えきれなくなったのはみちるの方だ。というより、
彼女なりに何か覚悟を決めていたらしい。


 両手を繋いだままの距離で、みちるはそっと背を伸ばして、はるかの唇に口づけた。
わずかに右へ顔を傾ける仕草に合わせて、髪の毛がさらりと流れるのが見えた。


 唇が離れていく途中、間近な距離でみちると目があう。「これでいい?」って聞い
ているみたいな瞳に、にんまりと唇の端が上がりきっちゃうのをもう止められそうに
ない。


「元気出たー!」

「きゃ・・・っ、ちょっとっ・・・」

 勢いをつけて抱きしめると、みちるは驚いたように肩をすくめたけれど、押し返さ
れたりなんてしなかった。


(本当、柔らかいなぁ・・・)

 元々の身体の線の美しさに加えて、戦いの中でさらに引き締まってはいるんだろう
けど。みちるを抱きしめた時に感じるのは、ふんわりとした柔らかさ。それとおそろ
いのような優しい匂い。みちるが好んで着る、空気をはらんでいるような印象の服た
ちは、彼女にとてもよく似合っていた。


「・・・みちるの髪、好きだな。ふわふわで、女の子らしくって」

 何かしてあげたくて、でも何が一番良いのか分からなくて、目の前の髪を撫でてい
ると、ごく自然にそんな感想が零れる。


「でも、毎朝大変よ。私ははるかのようにまっすぐな髪の方がよかったわ」

 熱心に髪を梳くはるかのようすに、小さな笑い声を漏らしながら、みちるもはるか
の前髪を指先でつまんで見せた。


 すぐ目の前にある、みちるの顔。

 そこから目を離せないまま、彼女の横髪を撫でつけて、耳に掛ける。露わになった
耳に、小さめのピアスが飾られていた。


「あ、ほら。みちるだって校則違反じゃない。隠してる方が始末に負えないと思うけど」

「何でも露呈させて反抗すればいいってものじゃないでしょ」

 澄ました顔でそう言い切る彼女に苦笑しつつ、そのきらきらに視線を戻す。

「何個持ってるの?こういうの」

 マリンブルーの色彩が好きなのだろう。基調となる色は大体同じ。でも、デザイン
が違う。少なくとも、この間ふと見えた時のものではない。


「どうかしら。数えたことないもの。でも、そんなに多くはないわ。ジュエリーケー
スがチェストに納まりきるくらいの数よ」


「・・・・・・」

 多いだろ。大量だろ。それ。そう言えば広い寝室の中に、化粧台を中心とした要塞
のようなものがあった気がする。


「はるかは同じものをいつも付けているわね。お気に入りなのかしら」

「え?や、そう言うわけじゃないよ。ていうか、そんなにころころ変えなくてもいい
から、穴開けてるんじゃないの」


「???」

 これが価値観の違いってやつだろうか。少なくとも、装飾品への思い入れに関して
は、二人の間にかなりの距離があるようだ。お互いに鏡のように首をかしげてしまった。


「そうだ。それなら、みちるとお揃いにしようかな」

「え」

「今度見に行こうよ」

 好みの違いが確実にあるだろうから、シンプルなものしか選べないけど。デートの
約束を取り付けたくて、そわそわしそうになりながら、みちるの返事を待つ。だけど、
みちるはきょとんとしたまま。その上、しばらくすると、何かを思案するように、口
元に手を当てた。


(え?嫌?)

 目の前で考え込むような仕草を見せられて、思わず涙目になる。

「・・・でも、そうしたら、きっとそればかり身につけてしまうわ。私」

 耳元へ伸ばされていたはるかの腕に、そっと手のひらを添わせながら、みちるは心
底困ったような表情を浮かべてそう言った。


「い、嫌、かな・・・?」

「ううん。お揃いが欲しい」

 はるかの腕を抱きしめるように両手で包み込んだ彼女は。そう言って頬を朱色に染
めて、花開くような笑顔を見せた。間近で綻んでいく様子が、まるでスローモーショ
ンのようにゆっくりで。


(だから、そう言うの、どっかで覚えてきてるわけ?)

 赤くなってしまいそうな頬ごと隠すように、もう片方の手を顔に押し当てる。こん
な一々彼女の反応が可愛く見えてしまうなんて。自分のせいだけじゃない気がするん
だけど。


「はるか?」

 自分のせいで撃沈させたことも気が付いていないみちるが、不思議そうにはるかを
呼ぶ。その声に誘われて、指の間から彼女を眺める。手を添えている耳に通されてい
るピアスが、やけに光って見えた。


「・・・じゃあ、約束。次の週末は、みちるは僕とデートする」

 約束なんてしなくても、当然のように独占するつもりだったけど。言われたみちる
も同じような感想を抱いたのだろう、おかしそうに笑った。その笑顔に、引き込まれ
る。近すぎる距離が、自制心を蔑ろにさせる。


 深い色が輝きを放つそこに口付けてしまうと、もう抑えられなくなる。

「え?」

 不意に耳元に訪れた感触に、みちるはぴくりと肩を震わせたけど。

 耳朶に触れさせるだけでは飽き足らず、そこを唇で挟みこんで、輪郭をなぞってい
くのに夢中になっているはるかに、それがわかるはずもない。


 ふとみちるが身動ぎをするをすると、唇がそこから離れてしまった。でも、少し距
離ができたせいで、その下の、白い項が視界に入る。


(ここも、柔らかいのかな・・・)

 そう思いつくよりも前に、唇を這わせていた。想像していたよりもずっと、唇に触
れる感覚は柔らかく滑らかで、どこまでも滑り落ちそうになる。


「・・・・・・ゃ・・・」

 僅かに引きかけた腰を抱き寄せながら、首筋を唇で往復させていると、みちるがか
細い声をあげた。でも、それじゃ何の歯止めにもならない。顎の下に。喉元に。それ
からまた首筋に。白い肌の上を泳いでいるみたいに止まらない。だけど、鎖骨に到達
したあたりで、それを止めざるを得なくなってしまった。服の襟元に阻まれたからだ。


「・・・・・・」

 前にも、何だかこんな感覚があったような。シチュエーションは違うんだけど。

 何とも納得いかない状態に、それでも一度顔を上げた。ら。

「・・・・・・!!」

 みちるがこちらを眺めている。見下ろす角度からは、彼女の様子が全部見えてしまう。

 はるかをみつめる瞳が潤んで揺れている。頬がさっきまでもずっと赤く色づいてい
る。先ほどまで唇を這わせていた首元は、真っ白く輝いたまま。だけど、襟元が少し
乱れていた。そこから、やっぱり白い素肌が覗いている。その下にあるのは、ふくよ
かに丸みを帯びた膨らみで。あろうことが、抱き寄せた距離のせいではるかの胸元に
押し付けられている。


(じゃ、じゃあ・・・この、柔らかいのは・・・)

 あの、窓の外を眺めていた時に、揺れていたあれ。

(あ、やばい・・・)

 はるかは慌てて鼻を押さえる。が、どうやら今日は閉店してくれたらしい。出るも
のもないのか。とにかく手のひらにあのいやーな生温かい感触を感じることはなかった。


 けれど、この状況が煽情的なことに変わりはない。

 おまけに、うろたえる内心を他所に、はるかの視線は、腕の中の彼女から離れない
どころか、その曲線にそって動き続けていた。


 抱き寄せた腰は、制服の時の印象よりもさらに細い。

 抱き寄せたせいで、はるかの腿に、みちるの膝が強く当たっている。

 スカートの裾から覗く脚は白くて。

 ―――制服越しじゃなきゃ、もっと柔らかいのかな。

 あの時の呟きが、頭の中で蘇る。まるで点滅信号だ。ブレーキをかけるためじゃな
い。スタートダッシュ直前の。


 制服よりもずっと軽やかな素材のその衣服でさえ、邪魔で仕方がない。

 みたいし、ふれたい。

(・・・ちょっと待て・・・)

 自分の中に湧き上がった欲求に、はるかは努めて冷静に反論しようと試みる。

(何だ、それは。第一そんなことみちるにどうやって・・・)

 どうやって、説明するわけ。

(・・・・・・・・・)

 見せてください。とか。

(・・・いや!!ばか!ばか!!はるかのばか!!!)

「は、はるかっ?どうしたの」

 いきなりソファの腕置きに頭打ちを始めたはるかにみちるは慌てふためいてしまった。

「・・・・・・何でもない」

 とりあえず額に傷が行く前に止めた。さすがにこれ以上血を流すと今日はやばい気
がする。


「やっぱり、疲れているのよ。はるか」

 一人でぐったりとしたはるかの側で、みちるはそう心配そうに声をかけてくれるけ
れど。


「いや・・・そう言うんじゃなくて・・・」

 そうかもしれないけど、だとしたらそれは自分の妄想に疲れただけで。もちろんそ
んなことをみちるに教えられるはずもなくて、はるかは弱々しく首を振って見せた。
けれど、それが余計、みちるの保護欲をかきたててしまったらしい。


「いいえ、違わないわ。もう今日は泊って行ってちょうだい」

「んな・・・?」

「こんな状態では心配で帰せないもの」

 確かにこんな状態の奴がふらふら夜道を歩いていたら、道行く子猫ちゃんたちは安
心できないかもしれない。


「ねえ。そうして」

 はるかに有無を言わせないように、みちるは尚も言いつのる。破壊力抜群な憂いの
表情付きで。


「あ・・・うん・・・じゃ、そうしよっか、な・・・」

「ええ」

 はるかが口ごもりつつも、提案を受け入れると、彼女はパッと表情を明るくした。
・・・本当に、わざとやってるんじゃないのか。そう疑いたくなるくらいのまぶしい
笑顔を前にして腰砕けになる。


「夕食は、簡単なものしか作れないけど」

「・・・うん」

「着替えは、適当に選んで」

「うん・・・」

 そりゃ、どちらかの家に泊まったりするのは初めてじゃないけどさ。

 とりあえず、みちる。

『心配で帰せないもの』

 僕が君の親なら。いや、そうじゃなくても、この状態では、僕じゃなくて君の方を
心配すると思うよ。圧倒的大多数の良識ある方々は。


 だって。

「手伝おうか?」

「いいわ。休んでいて」

 キッチンへと歩いて行く彼女の姿を呆然と眺めながら、はるかは心の底から警告を
発した。




 自分の心配をしなよ。

 今、一番危ないのは、君の後ろにいる奴だよ。



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