1.Oh happy



 柔らかな日差しが惜しみなく降り注ぐ午後。空中庭園になっている階まで来ている
のは、その日差しを楽しみたいから。なんて理由じゃない。


「おいしいよ。みちる、料理も上手なんだね」

 小鳥のさえずりが聞こえてきそうなベンチの上で、はるかは素直な感想を述べた。

「そう言ってもらえるとうれしいわ。お弁当なんてあまり作らないから、自信がなか
ったの」


「え、そうなの?」

「自分の分だけじゃ、作る気になれないじゃない」

 隣で、はるかが箸を口に運ぶのを眺めていたみちるはそう言ってはにかんだ。

 みちるは、はるかの彼女だ。

(彼女。カノジョ・・・なんて素晴らしい響きなんだっ)

 次に彼女の部分を恋人に置き換えて、はるかはまた身悶えた。幸せすぎる。

 紆余曲折があったようななかったような気もするが、とにかく二人は結ばれたのだ。
なんかよくわからんが、今なら世界中全ての人に優しくできる気がする。


(ああ、まるで夢みたいだ・・・)

「あ、はるか」

 幸せに心漂わせているはるかの耳に、みちるの心地よい声が届いた。

「口の端、クリームが付いてる」

 ぼやーっとみちるに視線を向けると、白色のハンカチがこちらへ迫ってきていた。
柔らかな感触が唇にそっと押しあてられると、それを持つ白い手の甲が見える。


「はい。いいわ」

 離れて行くハンカチの向こう側には、穏やかなみちるの微笑み。

(・・・夢でもいい・・・!)

 以前のはるかは、公園やカフェの中で、こんな光景を繰り広げるカップルたちを、
片っぱしから撮影用のビール瓶かなんかではり倒していったらさぞ楽しいだろうと、
想像してはほくそ笑んでいるような人間だった。景色を損ねる産業廃棄物のように思
っていた。だが、今なら許す。その上。


「ねえ」

「?」

 笑顔のまま、みちるが首を少し傾げて続きを促す。

「上手に食べられないから、食べさせてほしいな」

「え?」

「ほら、今度は食べこぼしちゃうかもしれないし」

「もう。それじゃ赤ん坊じゃない」

「うん」

 赤ん坊でも、ペットでもいいから可愛がって。そんな気持ちを込めてみつめると、
彼女は呆れたように笑ってから、箸の先でつまんだ卵焼きをこちらへ運んだ。


 今なら人目も憚らずいちゃつくカップルの気持ちがわかる。周りの人なんて端から
気にならないのだ。え、何。誰かいたの。見えないんですけど。みたいな。実際、昼
休憩である今の時間帯には、この庭園を訪れる人間が結構いる。でも、今のはるかに
はそんなこと全く関係なかった。


「ふあ・・・」

 暖かい日差し。おいしいご飯でお腹いっぱい。隣にはみちる。安心しすぎてまどろ
みそうになる。


「眠たくなっちゃった?」

「・・・んー・・・。ちょっと。あ、そういえば教室であくびしてる奴、いないんだ
よね。授業中」


「当たり前じゃない」

「ええ?眠たくなるじゃん」

「先生の話をきちんと集中して聞いていれば、眠たくならないわよ。一時間にも満た
ないし」


「・・・・・・」

 至極当然のようにそう答えられては黙り込むしかない。それができないから、あく
びが抑えられないんだけど。ああ、でも、やっぱり眠たいな。寝ちゃおうかな。午後
の授業。みちると一緒にいる時間に寝ちゃうともったいないしな。そんなことを考え
ながら何とか身体を支えていると、みちるが思ってもみない提案をした。


「少し休めば、授業中には眠たくならないんじゃない」

「・・・えー・・・」

 だから、今は眠たいけど眠たくないの。もったいないの。

「ほら、はるか」

 眠りたくなくて、はるかはみちるの声が聞こえないふりをする。でも、そっぽ向い
てたら、みちるの顔が見えない。それは困る。


「ねえ」

 いつもより、少し甘いトーンで、みちるが呼びかける。それと一緒に、背後から、
何かを片づけているような音。


 どちらともに気を取られて、結局は振り返ってしまう。と。

「はい」

 にっこりと笑って、彼女は自分の膝を軽く叩いて見せた。片づけていたのは、膝の
上に広げていたランチボックスのようだ。


「え、・・・」

「お昼寝、した方がいいでしょう?」

 つまり、授業中に寝てしまってはいけないという配慮から、みちるはそう提案して
いるわけで。それでもって、はるかは授業よりもみちるといる時間の方が大切だから、
眠ったりしたくないわけであるからして。でも、しかし。


(膝まくら・・・・・・)

 はるかは二秒で葛藤に折り合いをつけて、みちるの膝に頭を預けた。

 ふわりと柔らかい着地感。

「午睡を習慣にしている国もあるみたいだし。少し休憩するくらいの方が、午後から
の作業効率がいいのよ、きっと」


 素直に横になった姿に満足したのか、みちるは「よしよし」とでも言うように、は
るかの髪を指先で撫でた。


 その指の感触と、頬から肩にかけて感じる柔らかな腿の温かさ。日差しは相変わら
ず温かく、まるで二人を包み込んでいるかのようだ。確かに。これならば、確実に眠
りに吸い込まれてしまうだろう。


 はるかの胸の中が穏やかならば。

「あ、はるか。校則違反」

「え?」

 はるかの短めの髪を指先で弄ぶようにして撫でながらみちるが言う。

「ピアスつけてる」

「みちるも付けてるじゃない」

「私は髪に隠れて見えないもの」

 悪戯っぽく笑う声が鼓膜をくすぐる。指先がピアスを通している耳朶を撫でる。

 その感覚に、落ち着かなくて、視線を巡らせる。それが、良くなかったんだ。

 ふと気が付くと、目の前に、スカートの裾からわずかにのぞく、白い膝が見える。

「・・・・・・・・・!!」

 身体中の血液が、逆流したかと思った。

 みちるの指先は、ずっとはるかの髪や耳や頬を撫でている。

 不意に、自分がその柔らかな脚に身体を横たえていることを思い出してしまうと、
そこから先の思考を止められなくなる。


 制服越しじゃなかったら、もっと柔らかいのかな。

「はるか・・・」

「・・・っ」

 思いついた疑問を咎めるかのようなタイミングでみちるに呼ばれて硬直する。だけど。

(え?)

 その声が、ひどく近いものだと理解するのと同時に、美しい声が、赤くなった耳に
注ぎ込まれてしまった。


「・・・・・・すきよ」

 仰ぎ見ることもできなかったのは、そう言った彼女の額が、はるかのこめかみあた
りにそっと押し当てられていたから。


「・・・急に、どうしたの」

 耳朶に唇が触れてしまいそうな距離をこれ以上意識していられなくて、それだけ言
った。声が裏返っていないことに、ただ安堵する。


「急に言いたくなったの」

 照れ隠しのようなはにかんだ声が、少し遠くから聞こえて、彼女が姿勢を元に戻し
たのだと言うことはわかった。


「予鈴の前に起こしてあげるわ」

 はるかの髪を、そうっと撫で続けながら、みちるはそう言ってくれたけれど。穏や
かな波のようなその感覚に、よけいに昂ぶってしまいそうになる。触れ合った場所か
ら、早く、激しく打ち付けられる脈拍が、みちるにばれてしまわないかと気が気では
ない。


 つまり。

(・・・・・・ね、寝れん・・・!)



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