サンセット 2



 轟音に混じって、黄色い声が大量に押し寄せる。煩わしいことこの上ないけれど、
たまの暇つぶしに付き合ってくれることだってあるわけで。とりあえず笑い返すのが
礼儀だと言うこと位は心得ているはるかは、彼女たちの望むとおりに振り返って、目
元を緩めて見せた。


 その子たちから離れた位置で、みちるが待っていることは知っていた。

 彼女がこちらを眺めていることに気がつくと、女の子たちに投げかける笑顔が一層
深くなっていく。


(・・・って、おい!)

 纏わりついてくる女の子たちの顔を眺めながら、時折彼女の方へ視線を向けていた
ら、いつの間にか彼女の立ち位置がずれていた。こちらへ向けられていた瞳は別のも
のをみつめている。明らかに会場関係者ではない、ラフな格好のメンズ達に取り囲ま
れちゃってるじゃないですか。


「ちょっと、ごめん」

 応援のお礼もそこそこに走り出す。何で慌てて駆けつけなきゃいけないわけ、と当
たり前のことに気がついたけれど、脚を止める前にそこへたどり着いてしまった。


「みちる」

 声が裏返ってしまいそうになったのは、走って来たせいに決まっている。

 はるかの声に、彼女が振り返る。それと一緒に、ちょっとばかり感じの悪いお兄さ
ま方の視線も突き刺さる。


「悪い。待った?」

 睨みつけそうになるのを何とか抑えた。一応はるかは関係者なわけだし。できれば
揉め事は避けたい。


「・・・いいえ」

 しばらく様子を観察していたらしいみちるが短くそう答える声に、にっこりと笑い
返してその肩を抱いた。


「じゃあ、行こ。約束してたよね、この後」

「ええ」

 肩にまわされたはるかの腕に、みちるが指を添わせてこちらへ頬を擦りよせた。ち
ゃんと周りにわかりやすい大きな仕草で。


「それじゃ」

 軽く目配せして輪の中から抜け出すと、舌うち以外には何も飛んでこなかった。よ
かったよ、こんな所で青春ウォーズみたいな乱闘にならなくて。


「危ないから、ふらふらするなって言ったろ」

 人や車体でごった返す中を通り抜けた駐車場の裏手で手を離して向き直ると、少し
大きな声になってしまった。


「・・・随分と安売りするのね。笑顔」

 だけど、みちるはそれに怯むどころかそう呟いてはるかから視線を外す。普通、あ
りがとうとかだろ。こういう時は。


「安くなんてないさ」

 思わず眉をしかめそうになったけれど、俯き加減の横顔が、珍しく拗ねているよう
な表情だったから、何だかおかしくなった。


「・・・・・・私には、しないくせに」

「無碍にするのも悪いだろ。笑ってた方が女の子は可愛いし」

「だから、優しくするの?」

 顔を上げて、みちるが視線を投げかける。その瞳が、うっすらと揺れているように
見えるのは、はるかの勘違いなんかじゃないと思う。


「優しいって思われるようにするの」

「一緒じゃない・・・」

「じゃあ、みちるは、僕が君の目の前で女の子に冷たくすれば満足なんだ」

「そんなこと言ってないじゃない」

 はるかの言葉に、みちるは項垂れるようにそう言った。

 知ってる。

 みちるは優しいから。だからはるかが女の子たちをからかうのが嫌なんだ。適当に
受け流して、飽きたら突き放して傷つけるようなはるかの言動が好きではない。


 また、あの変てこな大きな音が聞こえてくる。それと一緒に胸が苦しくなったから、
これはきっと心臓の音なのだろう。でも、苦しいだけじゃない。どこか、笑い声のよ
うな感情が音と一緒に溢れだしそうになる。


 もっと困れよ。

「一緒だよ」

 身の置き場がなくなっちゃうくらい、はるかの言葉に打ちのめされたらいい。

 跡が残るくらいに傷つけてあげるよ。


「・・・それなら、ずっとへらへら笑っていたら良いわ」

 だからって、簡単に傷ついて見せるような子じゃなかったと、氷のような声を聞き
ながら思いだした。


「・・・君の前でだけ、ずっと不機嫌にしててもいいんだけど?」

 自分の思い通りにならないことなんて、きっと腐るほどある。放っておけばいいだ
けなのだから、そんなことに一々腹を立てたりなんてしない。それなのに、みちるの
反応に、一喜一憂してしまう理由がわからなくて苛々する。


「構わないわ。あなたが女の子たちを笑わせてあげたいのなら、好きにすれば」

 頬を覆う長い髪の合間から、ぎゅっと唇を噛みしめるのが見えた。

「・・・その間は、あなたのこと見ないようにすればいいだけだもの」

 瞬間、心臓が痛みに弾かれる。まるで、彼女の声が突き刺さったみたいに。

「・・・何だよ、それ」

 その声を、言葉を、痛いと感じてしまったのだと理解すると同時に、自分でもわか
るくらい早足で頭に血が上っていく。


「・・・安くなんてないんだけど」

 だけどそれを問い詰めたりなんてできなくて、はるかは吐き捨てた。

「何が」

「僕の視線。独り占めしたいんだったら、相応の見返りが必要だと思うな」

 困るのは。戸惑うのは。うろたえるのは、はるかの方じゃないはずだ。体勢を立て
直そうと躍起になりながら自分に言い聞かせる。


「私があなただけをみつめていたとしても、足りないのかしら」

 もう一度顔を上げて、彼女ははっきりとはるかを見た。

 揺れて、零れそう。なのになんで、崩れちゃわないんだろう。睨みつけるみたいな
みちるの視線に、気圧されそうになる。それをごまかすように、強い語調で言った。


「・・・じゃあ、きちんと見てなよ」

 後ずさったりなんてしたくなかった。うろたえているなんて気取られるのは癪で仕
方ない。その反動のように一歩踏み出して見下ろすと、彼女との距離がひどく近くな
った。


「僕の目の前で他の奴に声掛けられたりするなんて論外だろ」

 先ほどまで抱いていた肩に視線を向けてそう告げる。揺れていた瞳が、耐えるよう
に細められる。それと一緒に眉もぎゅっとひそめられた。泣き出しそうな顔をしてい
るくせに、彼女は怒ったみたいにはるかの肩を叩いて言った。


「・・・・・ばか」


                             


(ダリーなー・・・)

 図書館の駐輪場で停めたバイクに突っ伏しながらはるかはため息をつく。体力は人
よりも有り余っている方だと言う自覚はある。けれど、春の不安定な気候のせいで、
気を緩めると何もかもに投げやりになりそうだ。おまけに。


(・・・一々泣くなよ、うざったい)

 先ほどはるかを取り囲んで、すわリンチですかと恐怖に陥れた女の子たちのことを
思い出した。


 差し出されたラッピング袋の中身まで確認していない。ただ、受け取れないと応え
ただけだ。どうしてと泣かれても、そんなこと何で君に言わなきゃいけないのと突っ
ぱねるしかないじゃない。目の前で踏みつぶしたりしないだけ、人道的な処置だと思
うけど。


 わかってるよ。受け取って、笑いかけて、その子の気持ちにまで気がつかないふり
をして、適当に流しておくのが一番楽だってことくらい。


 でも。

『・・・その間は、あなたのこと見ないようにすればいいだけだもの』

 別に彼女の言うことを聞かなければいけないわけじゃないのに。怒らせたって、泣
かせたって、困ることなんて一つもない。


 それなのに、彼女のあんな顔を見ると、胸が苦しくなる。人の気持ちなんて、わか
りっこないのに。彼女が悲しそうにすると、どうしてだか、苦しい胸の奥が痛くなる。


「・・・・・・」

 鬱屈と考え込みそうになって、身体をはね起こした。

 こんなに考え込んでいたら、どんな顔で会えばいいのか分からなくなっちゃうじゃ
ないか。


 無意味に身体を伸ばして、頭を振った。今から彼女と会うのに、弱っているような
そぶりなんて見せられやしない。見せたくない。


(・・・お仕事の話なんだろーし)

 そうじゃなくても、彼女と膝を突き合わせる回数は多い。緊急の事態だけではなく、
常日頃から連絡を取り合うようになっていた。会いたいから、なんて理由ではなく、
街の様子や、敵の動向を逐一話し合う必要があったからだ。おかげさまで公共施設を
利用することがとっても多くなりました。これまでほとんど足を向けることのなかっ
た図書館とか図書館とか図書館とか。勉強や読書のためにそこを訪れている方々には
大変申し訳ないんだけれど。


 モザイク柄に舗装されたタイルの上を歩きながら、はるかはもう一度腕を大きく伸
ばして息を吐いた。




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