それはとても、胸がいっぱいな瞬間 1



「・・・ん・・・ん・・・・・・」

 規則正しいはずの寝息に時折音色が乗せられる。それは朝の清らかな日差しよりも、
冴えわたるような空気よりもずっと心地よく、はるかの耳から胸へと流れていく。


「みちる、朝だよ」

 いつも言ってもらっている言葉を、珍しく早起きしたはるかは嬉々として彼女に告
げる。


(早起きは三文の徳?)

 多分それ以上の値打ちだと思うよ。この寝顔は。首筋に埋めていた顔を上げてじっ
と眺めてみると、そこには夢の国に横たわっているみちるの顔。知らないうちに部屋
の中に特殊な装置が設置されているのだろうか。きらきらしてるんですけど。


「・・・起きないの?」

 首筋から耳朶へ舌を這わせながら、はるかの口調は少しばかり不満げになる。安心
しきってる寝顔は可愛いけど。可愛いんだけど。いつまでも放っとかれるのは好きじ
ゃない。


「みちる」

 直接響かせるように耳元へ唇を押し当てて呼んだら、鼻先に見える瞼が微かに動い
た。


(・・・・・・本当に意識ないのかな・・・)

 寝てるんだからあるわけない。きちんとわかってはいるんだけど、そう思わずには
いられないくらい、彼女の表情に見入ってしまう。


 微かに動いた瞼に合わせて、長い睫が震える。美しく弧を描いた眉が、二、三度顰
められて、少しだけ切なそうな形になる。それから。


 海のような色の瞳が、ゆっくりと開かれていく。

 ぼんやりと視線をさまよわせて、気だるそうに腕を額に当てて。最後にその瞳には
るかが映った。見返したそこには、満面の笑みを浮かべた自分がいる。


 みちるの唇が、吐息に合わせて少しずつほころんでいくと、無理やりに塞いでやり
たくなったけれど、はるかはじっと我慢した。


 ねえ、おはようは言ってくれないの?

 そんな気持ちを込めてみつめていたら、徐々に彼女の瞳に力が込められていく。

「・・・・・・何しているの?」

 じっとみつめるはるかを見返しながら、みちるが呟きのように言う。寝起きだから
かな。語尾が高音のまま掠れてる。


「食べてる」

「・・・何を?」

「みちる」

「・・・・・・」

「端的に言うと、朝からみちるちゃんが可愛すぎて、我慢できないから襲ってるんだよ」

 はるかの声が重ねられる度にみちるの頬っぺたは赤みを増して、最後の言葉のあた
りで、そのままキッと睨みつけられた。


「ふざけないで・・・っ」

 もう起きがけのぼんやりしたものじゃない声。でも、頬っぺた赤くしたままじゃ
全然怖くないよ。


「だから、本気だって。真面目にしたいんだけどなー」

 それで、この服がすっごい邪魔、って付け加えて華奢な腰に指先を滑らせる。その
途端に、怒ったような表情を困り顔に変えて、みちるは身を捩った。わき腹のあたり
まで範囲を広げてくすぐったら、小さな悲鳴みたいな可愛い声が上がる。


 レースの素材が好きなのかな。柔らかな風合いの部屋着の裾をつまみ上げながらそ
んなことを考える。柄や形に違いはあるけれど、部屋にいる時に大概みちるはこうい
う素材のものを着ていた。出かける際にも、トップスやスカート、ワンピースのどこ
かしらがふわふわと揺れている。その髪とおそろいのような柔らかさが、はるかはと
ても気に入っていた。でも、やっぱ今は邪魔だな。そう結論づけて、腰のあたりから
ふわりと膨らんで裾が緩く絞られているワンピースをたくし上げようとしたら、困っ
たまま眉を下げたみちると目があった。で。


「あ。ちょっと」

「・・・・・・」

 はるかの視線を遮ろうとしたのか、みちるは手近にあった枕を抱きかかえて顔を隠
した。


「・・・ねえ、枕退けてよ」

 布地を握りしめている指に口付けながらそうねだる。思いっきり甘えた声で。はる
かがこんな風に擦り寄ると、大概みちるは甘やかしてくれるのに。今日の彼女は意地
悪だ。ぎゅっと枕を抱きしめて顔を埋めたまま、小さく頭を振る。きれいな瞳も固く
閉じられて、長いまつげに隠れていた。何。何、何なの、この可愛さは。


「どうして。かくれんぼなんてしたくないよ。退けて」

 お腹のあたりまで裾をたくしあげると、布越しとは違う外気の温度に白い肌が微か
に震えた。みちるのすぐ隣に寄り添うように寝そべってその様子を眺めていたら、耳
元から「嫌よ」と一言小さな声が聞こえてくる。頑なに顔を隠そうとする様子はどち
らかと言えばいじましいと言えなくもない。でも、きれいな脚も、小さなお臍まで、
もう見えちゃってるわけだし。そのアンバランスさに笑みが零れると、その視線に気
がついたのか、みちるが僅かに膝を立てて身体を捩ろうとするものだから、はるかは
起き上がってその脚を捕まえた。


「・・・・・・どうせ、服全部脱がされちゃうのに。顔だけ隠したって意味ないよ」

 脚の内側を撫で上げながら、外へ向かってそっと押し広げるように力を込めてそう
言う自分の声が笑いでいっぱいなのにはるか気がつくより前に、ものすっごい勢いで
枕が飛んできた。


「はるかのばかっ!」

 ぶつけられた衝撃に額を抑えるとそれにかぶさるように、みちるの声も飛んでくる。
見上げるとそこには眉をつり上げてこちらを睨みつける彼女。頬っぺたから耳元まで
お揃いに赤くしているのが見えると、怒られているらしいことはわかるけれども、は
るかの唇はにんまりと両端が上がっていく。


「かくれんぼは終わりだよね?」

 はるかの顔にぶつけられてシーツの上に落ちていた枕をわざわざ取り上げて足元の
方へ放る。そのまま猫のようにシーツへ手をついてもう一度みちるの鼻先まで伸びあ
がると、彼女は慌てたように、脇へと押し寄せられていた毛布を手繰りよせようとした。


 その手を取り上げると、みちるがまた怒ったように唇を噛みしめるから、尚更煽ら
れる。昂ぶっていく気持ちに任せて、細っこい手首を束ねてシーツへ押し付けちゃう。


「駄目。身体隠すようなものなんて持たせてあげない」

 つり上げられていた眉が心もとなげに寄せられるのをじっと眺めていたら、みちる
ははるかの視線から逃れるように顔を横へと向けた。半分しか隠れないのに。そうい
う仕草って、いじめてって言ってるようにしか思えないんだけど。


「嫌がっても、全部見るよ」

 お日さまもばっちり上がっちゃってるから、部屋の中もかなりクリアな感じだしね。
はるかの左手に押さえつけられている両手が押し返すように何度か動かされたけれど、
それよりも強い力で押しつけると諦めたようにそこから力が抜ける。代わりに、横顔
がいよいよ朱色を増していく。それから、視線をそらせたままの瞳が二、三度、ぱち
ぱちと瞬いて、じんわりと涙で揺らめいていく。


 実際の所自分は優しさのかけらもないのではなかろうか、と一瞬罪悪感がちらつい
てしまう程、はるかはその光景に身悶えそうになる。大好きな女の子に優しくしてあ
げたい気持ちだってきちんとある。でも、こんな恥じ入るような表情をされると、そ
んな気持ちよりも先に、意地悪したくてたまらなくなる。痛かったり辛かったりする
ようなことはもちろんしないけど。はるかの言葉に赤くかき乱されていくような表情
を、もっともっとさせたくなる。


(だって可愛いんだもん)

 普段から易々と見せてくれるわけじゃないから尚のこと、叶う時にはその欲求が盛
大に弾けちゃうわけで。たくし上げていた裾から指先を滑り込ませると、弾かれたよ
うにみちるが顔を上げた。


 はるかと目が合うと、彼女はどこか悔しそうに唇を軽く噛んだ。だけど、視線を絡
ませたまま滑り込ませていた手のひらで素肌を撫で上げると、そこがゆっくりとほど
けていく。開かれた唇から、「はるか」と零されると、吸い寄せられるように口付け
た。唇を舌先でなぞって、離して、くっつける。それを繰り返していたら、布地の中
に滑り込んでいた手のひらが、撫で上げた先で柔らかな膨らみを見つけて包み込んだ。
上がっていく息と同じように熱を持った手のひらが汗ばんでしまいそうなもどかしさ
に、そこから抜け出して首元までレースの布地を引きあげると、みちるが顎を引いた。


「・・・逃げないでよ」

「違・・・」

 濡れた唇を追い掛けて言いわけごと塞ぐ。深く口付けて、怯えている小さな舌を見
つけ出して絡め取った。反らされた彼女の白い喉がこくりと微かに音を立てる。脇腹
の線に沿って指先で撫で下ろすと、震えるように身を捩った彼女の素肌がはるかの身
体に押し付けられた。みちるの指がはるかの髪を梳くように撫でる。細い腰を縁取っ
ている布地に指を掛けたら、髪をかき乱すようにして抱き寄せられた。その心地よい
感触に、思わずため息が漏れた。


 元々独占欲の強い自分の性質はきちんと自覚しているつもり。だけど、二人っきり
の時ですら、隙間なくみちるをひとり占めしたくて堪らなくなる。


 はるかを何度も呼ぶ、みちるの艶やかな声を聞きながら、今日はずっと繋がってい
たいなと思う。


 ちなみに。

 乱れていく息を抑えるように手の甲を口元へ押し付けている彼女に、それを口に出
してお願いしてみたら頭を小突かれた。暴力反対。




                            
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