涙があふれても 日曜日3




 真っ暗な部屋の中なのに、慣れてきた目だとほんの小さな明かりでも眩いくらいに見つけることがで
きた。


 窓辺に置かれたベッドの上、祥子さまの肩越しに見える夜空は、宝石箱をひっくり返したみたいにき
らきらと輝く星屑で溢れていて。無数の静かな光が、闇に溶けた部屋の中に惜しみなく降り注がれて祥
子さまの白い肌を透かす。額から頬へ、首筋から鎖骨へ、一転の曇りもないその肌の上で、滑らかに滴
り落ちる汗はまるで流れ星みたいだ。

 ぎこちなく、でも優しく祐巳に触れてくれる祥子さまは、泣いているみたいに切なそうで。窒息しそ
うなくらい息苦しそうなのに。どこまでも清らかで美しかった。長い睫に隠れそうになっている瞳は涙
が今にも溢れそうなくらいに揺らめいて、うっすらと開かれた唇から零された吐息は白く彩られてしま
いそうに熱い。ただそれだけのことなのに、どうしてこんなにも愛しさがこみ上げてくるのだろう。

 頬に張り付いた長い髪をそっと払ってあげたら、祥子さまはくすぐったそうに目を細めて。それだけ
で、頬に触れた指先から胸に向かって甘く疼くような熱が走る。


 きっと、祥子さまだからだ。

 美しいから、きれいだから愛しいんじゃない。愛しくてたまらなくて、だからこんなにも大切な人は
きれいで、どきどきしてしまうんだ。


「・・・・・・嫌じゃない?」

「えっ?」

 溢れかえりそうな気持ちに突き動かされて祥子さまの肩に指先を伸ばしたら、祥子さまはため息をつ
くみたいに深く息を吐き出して、祐巳の目元に額を押し付けながらそう尋ねた。


「嫌なことなんて」

 そんなこと、絶対にない。

 祥子さまにされて嫌なことなんて、どんなに考えたって浮かんできそうにもない。
 鎖骨の窪みに押し付けられた前髪にも、膝の横をくすぐるように滑る肘にも、祐巳に触れてくれる祥
子さまの全部に溶かされてしまいそうで。熱に浮かされた体中の細胞が祥子さまを求めて喘いでいるみ
たいにどきどきしていた。

 乱れた呼吸のまま大きく首を振って否定してみせてから、祐巳は祥子さまの頬を手のひらで包んだ。

「なにもないです、嫌なことなんて・・・」

 ―――こんなにも自分の身体は祥子さまに触れられて喜んでいる。

 祥子さまの指先が触れただけで身体中がさざめく度にそう感じていたけれど。きっと、喜んでいるの
は身体だけじゃない。だって、落ち着かない鼓動も、苦しいくらいに乱れた吐息も、時折感じる小さな
痛みにさえも胸が締め付けられるくらいにときめいている。触れ合った場所から祥子さまの体温と一緒
に、優しさや大好きって気持ちや暖かな感情が染み込んで、祐巳の心まで静かに、だけど激しく揺さぶ
るみたいだ。甘く、狂おしく全身を際限なく駆け巡る、祥子さまとひとつになっていくその感覚は間違
いなく快感だった。

 頬に触れた祐巳の手を自分の手のひらで包み込むと、祥子さまは猫みたいに頬擦りして、その手のひ
らにいっぱいのキスをくれてからにっこりと笑う。


「よかった」

 祥子さまの揺らめく瞳の中に、同じように潤んだ表情の自分が見える。きっと、祥子さまにも祐巳の
瞳に映る自分が見えるはずだった。大切な人の瞳いっぱいに自分を映してもらえることが、こんなにも
うれしいことだなんて知らなかった。

 肌の上を滑っていた手のひらが離されて、不思議に思って見上げた祐巳の頭を祥子さまが優しく抱き
しめて額にキスをくれるから。うれしくて、でも切なくて、涙を零す代わりに細い身体を力いっぱい抱
きしめた。


「だいすきです・・・」

 この人を好きになってよかった。

 こんなにも大好きな人と愛し合えるなんて、これ以上の幸せなんか探せそうにない。

 もう他には何も言えなくて、噤んでしまった祐巳の唇に祥子さまの唇が当たり前のように触れる。ゆ
っくりと心も身体も祥子さまでいっぱいになっていくのを感じながら、祐巳は心の底からそう思った。



                           *     *     *


 隣り合って横になった祥子さまは、祐巳がこの部屋に来た時よりずっと穏やかな顔をしていた。
 優しくみつめてくれる祥子さまに、微笑みかけようとしたら、その前に涙が零れてしまった。でもそ
れは、悲しいからじゃない。祐巳の中いっぱいに満たされた愛しさが、小さな胸では収まりきらなくて。
だから溢れ出たのだ、きっと。

 この気持ちを祥子さまにも伝えたくて、だけどうまく言葉が見つからなくて。
 もどかしさにみつめあったまま小さくため息をついたら、祥子さまは微笑んで、祐巳のくせっ毛を愛
しそうに梳いてくれた。

 髪の上を滑る祥子さまの手の暖かい感触に目を閉じると、やっぱり涙が頬を伝った。

「お姉さまが好き・・・」

 目を閉じたままぽつりと呟いたら、唇に甘い感触が広がって、祥子さまの体温が全身を包み込むのを
感じた。


「・・・・・・祐巳は暖かいわね」

 抱きしめた腕をそのままに祐巳の胸に頬を寄せて、祥子さまが囁く。あどけない声に胸がきゅんとな
って抱きしめ返したら、祥子さまは鼻先を祐巳の胸にこすり付けながら声を漏らして笑った。

 祥子さまの腕の中、見上げた空はやっぱり満天の星がきらめいていて。だけど目を閉じるとなぜだか
青空を思い出した。


 明日も青空だったらいいなって。

 朝日がきらめく真っ青な空の下、またあの林の中を祥子さまと一緒に歩くのだ。白い傘をさして、相
合傘で。また霧が出るかもしれないけど、二人で歩いていく。

 その先にはきっと、眩しい一日が待っているのだから。




Sunday 2  あとがき 

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