愛しい人 1



「しばらくはこんな光景が続くのよね」


 テーブルに突っ伏して頭だけ持ち上げた由乃さんがぼそりと呟いた。

「あーん、祐麒。そんなに大股で歩いちゃ駄目よ。姫君なんだから」

「姫君に女装している若君なんだから別にいいんだよ」

「そこにこだわってんのはお前だけだよ、ユキチ」

「るせっ」

 被服室でお着替えを済ませた後の雑談タイム。楽しげにじゃれあっているのは祐巳の
弟とその友人。女子高のリリアンには生息していないはずの男子高生だ。


「そうだねぇ」

 ちなみに、祐巳たち女子は花寺の面々を出迎える前にお着替えを終了している。いく
ら弟が混ざっているからといって、そこはお年頃。いや、年頃云々ではなく、男子と一
緒に着替えなんてできない。


「でも、最近はそんなに違和感を感じなくなったわ」

 台本をチェックしていた志摩子さんも顔を上げると、そう言って微笑んだ。
 違和感がなくなるほどに、花寺の生徒がリリアンになじんでいる理由は一つ。リリア
ンの学園祭まで二週間を切ったから。

 この時期に入ると、学校側も色々と配慮してくれるようで、授業時間が短縮されたり、
曜日によっては授業自体がカットされたりと、いよいよ本番へ向けて押し迫ってきたと
いう空気がひしひしと感じられるのだった。


 だけど、花寺の人たちは自分たちの学園祭は終わっているわけで。特に授業が軽減さ
れるわけでもないだろうに、土曜日のお昼からの合同練習に加えて、平日も週に二回は
リリアンを訪れるという熱心な仕事ぶり。いかに女子高が珍しいからと言っても、それ
だけでこんなに親身にしてくれるってことは考えられない。やっぱり責任感の強さとか、
課外活動に真面目に取り組む姿勢とかが大いに関係しているわけで。生徒会役員って
大変だ。自分のことはすっかり忘れて、祐巳は素直に感心していた。


「まぁね。祐麒さんなんかは祐巳さんと同じ顔だから、最初から違和感がないような気もするし」

「・・・由乃さん」

 由乃さんのしれっとした呟きに絶望的な表情で答えたのは、祐巳と同じ顔と評された
祐麒その人。祐巳と同じ顔というところが引っかかっているのか、それとも女の子と同
じ顔って言われたのに傷ついたのか。それにしても、自分も祥子さまに痛い所をつかれ
た時にはあんな顔しているのかな。ものすごく哀愁が漂っている。


「あーはいはい。皆さん用意ができたのなら、体育館へ移動しましょう!」

 とりあえず、リセット。祐巳は不自然なくらいに明るい声でそう言って、珍獣、もと
い花寺の皆様を誘導した。いや、やっぱり、いつまでも弟に情けない顔で佇まれると心
苦しいではないか。


「でも、肝心の祥子さまは慣れたのかしら?」

 何となく、男女に分かれて体育館までの廊下を歩いていると、由乃さんがふと思いつ
いたように言った。


「・・・うーん・・・」

 どうだろう。さすがにこれだけ頻繁に顔をあわせているから、初対面の時のように気
絶するなんてことはなくなったけれど。既に令さまと一緒に体育館でスタンバイしてい
る祥子さまの顔をちらりと思い浮かべると、中々に一筋縄では行かないような気がした。


「きゃっ」

 そんなことをあーでもないこーでもないと言い合いながら曲がり角に差し掛かったと
ころで、小さな叫び声が聞こえた。


「あ、すみません」

 少々驚きながら、声のした方を眺めると困った表情で頭を下げる薬師寺兄弟。

「あ、いえ・・・」

 それを見て、自分たちも頭を下げる女生徒の一団。

(ふむ・・・)

 いるはずのない男子生徒を見たリリアンの生徒が驚いてしまったらしい。花寺の面々
もなんだか伏目がち。ボーイミーツガール。といえば何だかときめく感じなんだろうけど。


 普段は接することのない男の子と遭遇すると、少なからずこういう自体も起こるわけだ。

 妙に納得しながら、祐巳はまた祥子さまのことを思い出した。

 今日は大丈夫なのかな。


                              


「ごきげんよう、皆さま」

 体育館の扉を開けるとすぐに、舞台の方から良く通る声が聞こえた。少し離れた距離
でもはっきりとわかる華やかな笑顔。


「こんにちは、紅薔薇さま。黄薔薇さまも」

「本当に、いつもお越しいただいて申し訳ありませんわ」

「いえ、そんな・・・」

 はるばる起こしの花寺諸君への労いの言葉も忘れない。もちろん顔には微笑を浮かべ
たままだ。


 うん。今日も祥子さまは好調のようである。

「ああ、祐巳。悪いけれど椅子を並べてくれる?」

 とりあえず、お姫さまのご機嫌が悪くはないことに安心して近づくと、祥子さまはく
るりと顔だけで祐巳の方へ振り向いて、挨拶なしでいきなりそう切り出した。


「あ、はい」

 条件反射のように祐巳は素直に頷いて回れ右をした。こういうのって、なんだかうれ
しい。挨拶してくれないのがうれしいなんて言うのも変なんだけど。祥子さまが自然に
そう言ってくれることが、ただうれしい。祥子さまをみつめるしかできなかった頃には
考えられない親密な距離が、この上もなく祐巳を幸せにしてくれるのだった。


 浮き足立ちながらステージ脇に歩み寄ると、部活動のためか乱雑に積み上げられたパ
イプ椅子が十数脚。花寺の方々が座れる数だけ並べれば、作業は終了なんだけど。とり
あえず残りも退かせておいた方が稽古の際に安全であろう。


「祐巳さん、手伝うよ」

 うーん、どうしようかな。山積みの椅子を前にしばし考え込んでいると、由乃さんか
らありがたいお言葉。


「うん、ありがと」

 振り向きざまにそう応える。そのタイミングはバッチリだったんだけど。それと一緒
に指先に金属が触れた気がした。


 ガタ・・・ッ。

 少し離れた場所に祥子さまが見えた。こちらをじっとみつめていた祥子さまが目を見
開いて口を開く仕草が、スローモーションみたいにゆっくりと視界の中で移り変わる。


「危ない、祐―――・・・!」

 声と同時に右肩に強く掴まれたような感覚が走った。

「え・・・!?」

 ガタガタガタ・・・・・・ッ。

「・・・・・・!!」

 次の瞬間には、積み重ねられていた椅子のほとんどが床に散らばっていて、血の気が
引いていく前に呆然としてしまった。


「・・・・・・大丈夫?」

「・・・え・・・?」

 すぐ耳元で聞こえる声に素直に驚いて顔を跳ね上げると、何とそこには高田くんのど
アップ。


「へ!?」

 ちなみに右肩には力強い大きな手の感覚。これって・・・。

「とりあえず、怪我はないみたいで良かった」

「はぁ・・・」

 素早く祐巳の状態を確認すると、高田くんはすぐに手を離してくれたけど。

 つまるところ、祐巳は高田くんに抱き寄せられちゃったらしい。いや、引っ張って助
けてもらったという方が正しいか。


「片付けは僕らでするから」

「え?」

「こういうのは、男の仕事」

 何だか呆然としていたら、高田くんはそんなことを言いながらパイプ椅子をひょいと
持ち上げた。両手で一気に四脚。


「でも、お客さまにそんな・・・」

「いいって、祐巳。それに、お客さまじゃない。助っ人だろ。雑用も仕事のうち」

 次々に椅子を片していく高田くんを前におろおろしていたら、脇から出てきた弟狸。
もとい祐麒もそう言って軽々と椅子を四脚持ち上げた。


「あ、ありがとう・・・」

 あれよという間に散らばっていた椅子たちは、使用する数脚を除いて全てステージ下
の引き出しに仕舞われてしまった。ちょっと乱暴な取り扱いだったけれど、収めてしま
えばぴったりと陳列されている。


 なんだか、男の子ってすごい。

 祐巳だとどんなにがんばってもせいぜい片手に一脚ずつなのに。やっぱり祐麒も男の
子なんだなぁ。


「ああ、やっぱり男の子がいると、こういうところで助かるなぁ」

 のほほんとそう言う令さまの声が間近に聞こえて振り返ると、すぐ後ろに二人の薔薇
さまが立っていた。つまり令さまと祥子さま。


「大丈夫?祐巳ちゃん」

「はいっ」

 屈み込むようにした令さまが祐巳のおでこに手を当てて、優しい声でそう言ってくれ
るから、祐巳は大げさなくらい元気な声でそう答えたけれど。


「本当に・・・?」

 令さまの隣に立つ祥子さまはほんの少し青い顔をしてそう言った。何だか乗り物酔い
した時のようなお顔だ。


「大丈夫です」

 ぴょんぴょんと跳ねてみせると、二つに結った髪がそれと一緒に上下に揺れた。

「良かった・・・」

 ちょっとやりすぎかな、自分のピエロっぷりにはたと我に返ったりしたけど。祥子さ
まは、力が抜けていくみたいにそう言うと、そっと祐巳の肩を撫でてくれた。


 そこは、高田くんが強く抱き寄せてくれた右肩だった。

「お姉さま・・・」

 別に抱き寄せられたわけでもない、何度もさすってくれた訳でもない。だけど一度だ
け祐巳の肩に触れて静かに離れていった指先から、祥子さまの温もりがしっかりと残さ
れて胸がきゅんと締め付けられた。


 一瞬だけなのに。どうして祥子さまの指だと、自分の身体はこんなにも熱を帯びるん
だろう。


 火照る頬を押さえながらそっと窺うと。祥子さまはまだほんの少しだけ青い顔だった
けれど、祐巳と目が合うと優しく目元を緩めてくれたのだった。




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