朝のまえ 1



 真っ白なシーツの上に散らばっている、波打つような髪に見惚れてしまう。溺れる
ようにそこへ鼻先を埋めると、朱色に染まっていく、耳元や頬の白い素肌が見えて、
緩く目眩がするみたい。瞼が下がっていくような、胸の奥がどこか高揚したまま、身
体が沈んでいくような心地よさ。文字通り、はるかはうっとりと目元を緩ませたまま、
熱の塊のような息を吐きだした。


「・・・っ・・・」

 目の前の白い喉の奥から息を殺すような微かな音。彼女に見咎められてしまわない
ようにこっそりとその表情を窺うと、顰めた眉の下、瞼が大きな瞳を覆ってしまって
いる。


「・・・・・・」
 何だか息苦しそうなその表情に、はるかは慌てて身体を起こす。それにも気付かず、
彼女がずっと眉をしかめたままだったから、その緊張を解すように彼女の額に口付け
た。


 唇の感触に気が付いたのか、彼女がうっすらと瞳を開く。ぼんやりとこちらを見上
げたまま、はるかと目が会うと、それでもみちるは微笑んでくれたけれど。


 持ち直したはるかが白い素肌に指先を這わせ始めたら、きれいな瞳はまたきつく閉
じられてしまった。


(・・・・・・気持ち良くないのかな・・・)

 ちらちらと彼女の顔を盗み見ながらそんなことを思いつくと、はるかは背中の後ろ
から汗が流れおちていきそうになる。



                             


「天王、見学だけでもしてみないか」

「いえ・・・。その、家が厳しくて・・・あまり遅く帰宅するのは、ちょっと」

「そうか、それなら俺から親御さんに話をしてもいいんだが」

「いいえっ、や、本当に、結構ですから」

「そうか?」

 親切極まりない先輩の横を滑らかかつ高速ですり抜けて、はるかはエレベーターを
目指す。


「その気になったらいつでも言って来いよ!」

 そのはるかの背中に向かって投げかけられる言葉はどこまでも熱い。全力で振り払
って踏みつぶしたい気持ちをどうにか抑え込んで、はるかは深々と頭を下げた。それ
でもって降りてきたエレベーターの箱の中に飛び込む。


「・・・はーーー・・・」

 やっとのことで一人になれたはるかは、全身を脱力させながら溜まりに溜まった鬱
憤をため息として吐き出した。色が付いていたなら多分真っ黒なはずである。


 この春からはるかの入学した無限学園は、マッドなカラーが一部生徒に絶大な人気
を誇る怪しげな学校なわけだけれども。蓋を開けてみれば、さほど他と変わりはない
様にも思える。つまるところ、体育会系はここにも健在する。ちゃんと学科として存
在しているはずなのに、何故にまだその情熱を迸らせる余力があるのか。とにもかく
にも、何事にも全くやる気のないはるかには八方ふさがりのような学校生活だ。これ
以上考えごと増やさないで欲しい。


 ゆっくりとエレベーターが停車して、ほんの少しの間の後で扉が静かに開く。エレ
ベーターホールを通り抜けて、エントランスへ差し掛かる。無駄にだだっ広いそこは、
行きかう人や、待ち合わせの人たちでそれなりに騒がしい。


「みちる」

 人ごみに紛れることもなく、背筋を伸ばして立っているその子をみつけて、はるか
は声を弾ませた。


「ごめんね、待たせちゃって」

 走り出す一歩手前の速度で彼女の方へと歩み寄ると、ふんわりと笑い返されて別の
意味で息が上がっちゃいそう。


「いいえ、私も今来たところだもの。こうしてはるかを待つことはあまりないから、
何だか新鮮で楽しいわ」


「僕もみちるを待ってるの楽しいよ」

「あら」

「僕の顔見たら、うれしそうに駆け寄ってくるんだもん」

 教室へ迎えに行った時とか、待ち合わせに早く着きすぎちゃった時とか。みちるは
はるかをみつけると、一瞬驚いた顔をして、すぐに頬へ微笑みを零す。はるかは、そ
の瞬間が堪らなく好きだったりする。


「すっごい可愛い」

 鞄とヴァイオリンケースを抱えたままの両手を掬うようにして持ち上げる。そのま
ま覗き込むと、みちるは少しだけ怒ったように唇を尖らせた。頬っぺたがうっすら色
付いているような気がしないでもない。


「じゃあ、さっきのはるかも可愛らしいわ」

 拗ねたみたいに、はるかから視線を反らせながら彼女が言う。

「はしゃいだ子犬みたいに走って来たわ」

「おいおい」

「本当よ」

 掬い上げた白い手が鞄やケースを持ったまま、指先だけでこちらの手のひらに甘え
てくる。それがうれしくて、小さな子どものお遊戯みたいに、両手を繋ぎあったまま
揺らしてみると、おかしいのかみちるがふっと声を零して笑った。


 でれでれといつまでも手を繋いじゃいそうになっていたら、控え目な咳払いの音が
聞こえて視線を寄せる。どの教科かは忘れたけれど、顔を見たことのあるような教諭
が顔をしかめながら二人の後ろを通過した。風紀を乱してすみません。でも他の生徒
達はあんまり気にならないみたいだよ。単語帳やら電子辞書やらへ一心に視線を落と
して歩いているみたいだし。


「・・・ええっと、・・・その、行きましょうか・・・?」

 みちるもその視線に気が付いたらしい。珍しくまごつくようなそぶりを見せた後で、
はるかをそっと見上げて言った。


「うん。今日は風も穏やかだし、ちょっと街を歩く位で大丈夫かな?」

「そうね」

「ねえ、その後は、家に来てくれる?」

 部活動なんかで遅く帰宅することも許されない位の厳しいお家だけど、愛しい彼女
を連れこんじゃうのは全く問題がない。何故ならその辺りを線引きする家主がはるか
一人だから。首をかしげるようにしてもう一度彼女を覗きこんで投げ掛けると、妙に
緊張して喉が渇きそうになった。


『嫌』

 と、無碍に言われたことは未だかつてない。だけれども、「今日は予定が」とか「
どうしようかしら」なんて悩まれたりすることはやっぱりあるわけで。その上。


 ―――気持ち良くないのかな?

 ここ最近気が付いてしまった、不安の種があったり。だから、いつも誘う時以上に
何だか緊張しちゃうんだ。彼女と繋いだまま手のひらに無意味に力が入っていく。


 それから。

 上目遣いに見上げたまま、みちるは躊躇いがちに頷いた。

 その一連の動作に打ち抜かれたはるかが、勢い余って目の前の彼女をぎゅっと抱き
寄せたら、遠くエントランスの出入り口の方から今度は大きく咳ばらいが聞こえて、
二人して顔を上げた。


「・・・・・・」

 何度も言いますが風紀を乱してすみません。でも、だからってそんなに注視しいな
くてもいいじゃん。先ほど二人の後ろを通り抜けた先で、厳しい視線をこちらへ投げ
かけている教諭に向かって、はるかはふてぶてしく映らない程度に舌を出してみた。




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