Always 1



「え、えー・・・っと・・・。みちる、さん・・・?」

 ふと目が覚めたのは、眠りが充足したからじゃない。シーツの上から軽く押さえつ
けられるような圧迫感。まどろみの中でそれに気がついて身を捩ろうとしてみてもう
まく動かすことができない。


(か、金縛り・・・っ!?)

 その結論に至ると、はるかは青ざめながらもはっきりと目を開けた。ら。

「何かしら」

 視界には、天井を背に微笑むみちるの姿。

「何をしていらっしゃるのでしょうか・・・?」

 努めて丁寧な言葉遣いでそう尋ねてみる。

「野暮だわ。この状況でそんな質問」

「・・・・・・」

 こちらを見下ろす姿の何とサマになることか。藍色のドレスの上を、同色の薄い
ショールが滑り落ちていく。


「いやー・・・お嬢様がそんなカッコしてちゃ、・・・まずいんじゃ、ないかなー
・・・なんて」


 ついでに乾いた笑い声も付け加えてみるが、みちるは艶やかな微笑みを返すだけ。
目尻が少しだけ色付いていた。つまり。


(酔っ払いじゃないか!!)

 両手はそれぞれ顔の脇へ、膝は身体を挟み込むようにしてシーツへ押し付けられて
いる。その体勢のままこちらを見下ろす姿は、まさに獰猛な肉食獣もそのもののよう
で、はるかは素直に怯えた。


「あら、こんな私は嫌い?」

「・・・イエ」

 怖いです。

 言いたい気持ちを必死で飲み込んだのは自分可愛さゆえだ。

(い、痛いこととかされちゃうのかなー・・・)

 こんなシチュエーション。普段であれば、はるかは喜んで手を合わせたはずだ。い
ただきますと。実際の所、視線を少し下げるだけで、目の前にはおいしそーでまっし
ろなふわふわが差し出されていて、気を緩めたら口元もそのまま緩まりそうだ。


 だがしかし。

 柔らかな造形の面立ちをことさら優しげに緩めている彼女。・・・の目が笑ってな
い。微笑みの形は作っている。緩やかな弧を描く瞳は愛くるしいという形容がぴった
り当てはまる。でもっ、目が笑ってない。つーか目が据わってる。絶対怒ってる。


(ええっと、何かしたかな・・・)

 胸に手を当てて考えてみるが、心当たりが多すぎてわからない。

「あのね、みちる」

「?」

「いきなり弄ったって、キモチいー時と、そうじゃない時ってあると思うよ」

「じゃあ今日は前者よ、きっと」

「・・・・・・」

(嘘だっ。痛くするじゃん!無理やり突っ込むじゃん!!)

 こっちがそうツッコんでやりたくなったけれど声が出ない。反論なんてしようもの
なら今すぐにでも噛みつかれそうだ。生憎、はるかは痛いことが好きではないのだ。


「・・・大丈夫よ」

 羽織りっ放しのシャツの襟元を指先でつまむと、みちるはより一層微笑みに艶を乗
せて言った。


「すぐに済むわ」

 何、何ですかっ!その、身勝手な彼みたいな言い草はっ。言いたいけれど声のつい
てこない唇がむなしくパクパクと動くだけだ。


「はるか・・・」

 みちるの微笑みが静かに距離を縮め始めると、それすらもできなくなってはるかは
目を閉じた。


 暗転ってやつ?


                                


「・・・・・・」

 ぼーっと視線を漂わせると、一面に天井。それを通り抜けて左右を見渡してみると
慣れないホテルの家具が配置されている。それから、耳になじんだ寝息。


「・・・ちょっと奥さん」

 その音のする方へ視線を落とすとこちらへ擦り寄るようにして毛布に包まる女の子
がいる。その肩へ手を置いてみたら、いつもよりも少しだけ高い体温で蕩けそうにな
った。


「みちる」

 軽くゆすってみるけれど彼女は一瞬眉をひそめただけ。二度、三度とそれを繰り返
してもやっぱり反応は同じ。何よこのほったらかし具合は。


「・・・襲っちゃうよ。オジョーサン」

 腹立ち紛れに、額を擦りよせて、首筋に鼻先を埋めながらすぐ傍の白い肌に噛みつ
いた。


「・・・んん・・・」

 ふいに与えられた刺激にみちるが声を漏らした。その声に促されて顔を上げてみる。
眠り姫が目覚めてくれることを期待して。が。


「・・・ぅ・・・・・・」

 覗き込んだそこには、寝起きの可愛い表情が待っているはずだったのに。

「え・・・え・・・え“・・・っ?」

 予想もしていなかった事態にはるかは飛び起きてうろたえる。

 枕に頭を預けたままの彼女は、右腕を額に乗せて、どうしてだか瞳いっぱいに涙を
ためているじゃないですか。


「どうした?」

 おろおろと視線をさまよわせながらもそう尋ねてみるけれど、彼女はその声にも
ぎゅっと瞳を閉じる。身尻にうっすらと涙が滲んで零れ落ちそうだ。


「・・・たい」

「あ?」

 彼女が瞳を開くと同時に、滲んだ瞳から一粒涙が零れた。

「いたい・・・」

「えっ、ごめ・・・痛かった?」

 それだけで、とんでもない悪行を働いたかのような気持ちに苛まれて、はるかはう
ろたえたままみちるを覗き込む。


 うっすらと開かれる唇の色が、少しだけ白い。

「・・・あたまいたい」

 掠れた声でそう告げると、みちるは手の甲を瞼に当てて、本格的に泣き始めた。

「・・・・・・二日酔い?」

「ん・・・」

 はるかの問いに小さく頷く仕草はとてつもなく可愛いんだけど。

「・・・・・・鎮静剤持ってくる」

 膨らみ始めていた欲求が見る間にしおれていくのを感じながら、はるかはしょんぼ
りと立ちあがったのだった。



                               


(昨日は・・・)

 ミネラルウォーターと錠剤二粒を、これでもかって位慎重にみちるの口元へ運んで
しばらく眺めていたら、彼女はすぐに静かな寝息をたて始めた。


『力を出したら、何だかすっきりした』

(そうそう。昨日は変てこなおっさんと人形に襲われたんだった)

 新たな敵、なのか。それとも、戦いの残骸、なのか。ひどく邪悪なエネルギーを感
じるわけではないけれど、熱がひいただけの身体は今一つ使い物にならない。


(あ・・・)

 そこまで考えたところで、彼女に移してしまったかもしれないと思いついて、慌て
てその額に手のひらを乗せた。昨日の夜、このホテルへ着いてからはるかを寝かせる
と、夕食を済ませたはずの彼女はまた一人で部屋を出て行ったのだ。まあ、帰ってき
た時の状況から考えるに、最上階にあるバーにでも行っていたのだろう。(年齢の確
認ぐらいしろよバーテン)積極的ではないけれど彼女がアルコールの類を口にする機
会はそれなりにある。けれど、自分からそれを求めることも、次の日にこんな風にな
るなんてことも、見たことがなかった。


「・・・熱はない、か」

 いつもよりも高めの体温だったけれど、はるかの手のひらで触れるとどこかひんや
りとしている額にとりあえずは胸をなでおろす。しばらく休んでいれば痛みも引くだ
ろうと判断して手のひらを離そうとした。


「・・・・・・」

 まどろんだままの指先がはるかの腕に触れる。シャツの袖を緩くつまんでから、指
先が手元を滑っていく。それから、はるかの人差し指をみつけると、手のひらがやん
わりとそこを握った。


「・・・みちる?」

 呼びかけても、返事はない。ただ、はるかの指に、彼女の手がくっついたまま。そ
の手を握ってシーツへと落としても離れることのない感触に、はるかはそっと溜息を
ついた。


「これじゃ、何にもできないよ」

 耳に聞こえてくる自分の呟き声がやけにうれしそうで、急激に恥ずかしくなった。



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