Always 2



「ごめんね、つき合わせてしまったみたい」

 何もできなかったでしょう?と重ねて尋ねられると、素直に頷けなくてはるかは
ぶっきらぼうに言った。


「別に。予定があったわけじゃないし」

 そもそも、演奏会に出演した彼女にくっついてやってきているだけ。舞台で演奏し
なきゃいけないみちるは忙しく過ごしていたけれど。無事演奏会を終えてからも、す
ぐにマンションへは帰らずにゆっくり旅行しながら帰ろうよと提案したのははるかの
方。だから予定といえばみちるといること位なわけで。そこまで口になんてしてやら
ないけど。


『次は私がはるかのレースにくっ付いていくのよ』

 そう言われてはしゃいじゃってるなんて、お見通しなんだろうけど。

「そう?」

 すっかり色の戻った顔で彼女が微笑む。シャワーを済ませた彼女がタオルで丁寧に
髪の毛を拭いているのを眺めながら顔が赤くなりそうだ。


(・・・・・・)

 いつの間にかその仕草に見入ってしまいながら、胸の奥から急速に何かが膨れ上が
るのを感じて、それが今朝、はじけるよりも前に小さくなってしまった欲求だと気が
つくと、はるかは座っていたソファから立ち上がった。


「まだ頭痛い?」

 はるかと入れ違いのように鏡台の前へ座ったみちるのすぐ傍まで歩み寄る。濡れた
髪から漂うシャンプーの匂いが微かに鼻を掠めると、尚更に熱の湧き上がる速度が上
がった。


「急に泣き出すから何事かと思ったよ」

「・・・・・・だって。痛くて目が覚めたんだもの。驚いたわ」

 後ろから抱きしめたら、彼女は一度だけ振り向いてから肩をすくめて笑った。

「寝ぼけてたってことでしょ」

「覚えてないわよ」

 濡れた髪に頬を寄せて重ねてじゃれつくはるかを受け流して、みちるは化粧水のボ
トルに手を伸ばす。どこか重たいような液体が、ゆっくりとコットンへしみこんでい
くのを眺めていた。


 こんな風に身繕いする彼女の姿を眺めるのが好きだ。じっとみつめていると、彼女
はいつもくすぐったそうに身を捩るけれど。


 ゆっくりと、はるかの欲情を煽りたてて焦らしているような指先の動きを眺めてい
ると、昂ぶっていく感覚が治まりきらなくて奥歯を噛みしめたくなる。けれど、その
後に解放される熱の行きつく先を考えると妙に心が弾むよう。


 肩から落ちた髪を耳にかけてみせると、彼女が僅かに顔を上げる。露わになった耳
元へ口付けると、いつもの戯れと思ったのか、みちるは一度笑い声を零すとすぐに視
線を元へ戻した。


 けれど、首筋へ滑っていくはるかの唇に、みちるがまた顔を上げた。それに気づか
ないふりをして首元へきつく吸いついた。煩わしい襟元の布地が頬を掠めて思わず力
が入ってしまった。腕のあたりの布地を握りしめて強い力で引き下げると同時に彼女
が声を上げる。


「は、るか・・・っ?」

「んー?」

「何するのっ・・・」

 唐突に素肌を露わにされればそう尋ねたくなる気持ちもわからないでもない。でも、
だからといってそれを中断したくなるかと言えば、答えはノーしかありえないよ。


「もう頭痛くないんでしょ」

「?・・・ええ」

 平然とガウンを取り払っていくはるかの腕を制止する手と同じように戸惑った声と
表情でみちるがそう答えた。


「じゃ、お返しさせてもらおうかな」

 ほら。やっぱり一応確認しておかなきゃ。体調悪いところを無理させるのは何か違
うし。でもそうじゃないなら、これはもう突っ走っちゃって問題ないってことですよ
ね。そうですよね。ということで。はるかはみちるの背中を支えると素早く膝の下へ、
それとは反対の腕を差し入れた。


「何言って・・・ひゃ・・・」

 抱え上げられたみちるからは、珍しく驚いたような声。寝室までがもどかしくて、
先ほどまで腰をおろしていたソファへと下ろすと、彼女は不思議そうに首をかしげて
見せた。


「昨日僕は襲われたんだよ。きれーなオネーサンに」

「えっ?」

 みちると同じようにソファへと上がりながら、彼女の膝の脇あたりに手をついてに
じり寄る。


「いい子で寝てたのに。いきなり押さえつけられて」

「・・・・・・」

「散々まさぐられて、弄ばれて。味わいつくしたらその子はさっさと寝ちゃうし」

「・・・・・・・・・」

「かわいそーだと思わない?」

 鼻先が触れ合いそうな距離まで詰め寄ってからそう尋ねたら、彼女は腕から抜き取
られたガウンを引き上げながらうろたえたように後ずさった。でも、残念でした。す
ぐに肘置きにぶつかっちゃったよ。


「・・・・・・て、敵かしら?」

 お。作戦を変更したらしい。逃亡に失敗した彼女は、わざとらしく神妙な表情を浮
かべると、視線を絨毯へと落とした。いつもならこの辺りでキッと可愛らしく睨みつ
けられるかそっぽ向かれたりするんだけれど。それなりに後ろめたいのか、彼女は顔
を俯けたまま視線を泳がせていた。


「そうかもしれないな」

 唇の端が上がっていくのが自分でもわかる。ガウンを押さえつけている腕を取り上
げようとしたら、みちるが慌てたように反対側の腕を動かすから、意地悪く両方とも
掴んで頭の上で束ねてやった。


 抑える力のなくなったガウンは、あっさりと素肌の上を滑り落ちていく。

「だからやっぱり、よーく調べて、きちんとねじ伏せとく必要があると思うんだよね」

「わ、私は、感じないわよ・・・?そんな、敵が、近くにいるような、気配は・・・」

 そうかな。ちゃんと感じた方がいいと思うよ。オオカミさんが目の前にいる気配く
らい。


「そう?僕は感じるんだけど」

 腿の上に纏わりついた布地が目について仕方がない。だって邪魔なんだもん。

「すっごくいい匂いがして」

 緩く腰で縛っているベルトを抜きとろうと腕を伸ばしたら、それを察したらしい彼
女が僅かに腰を引いた。


 だから、何でわかんないのかな。焚きつけて煽ってるようにしか見えないんだよ。
そういうの。


 そう教えてやるかわりに、彼女の両手を束ねる手に少しだけ力を込めてから、
ベルトを一気に引き抜いた。


「・・・・・・めちゃくちゃにしてやりたいよ」

 獲物を追い詰めてる時の動物ってどんな感覚なんだろ。怯えたような瞳を見返しな
がらそんなことを考えてはるかの唇はますます深く弧を描く。腿の上に留まっていた
ガウンを手のひらで払うと、眩いような素肌が視界いっぱいに映る。それを合図にし
て、膨れ切って内側から身体を圧迫していた熱がはじける音がした。


「もうずっとくっついときたいんだけど」

 ソファって狭いな。束ねていた両手を押し付けて仰向かせようとしたら、肘置きに
ぶつかりそうになった。どうしようかと一瞬だけ思案してから手の力を緩める。脇か
ら差し入れた腕で抱き上げてこちらへ引き寄せられるみちるの肌が震えてる。目の前
程の距離に近づいた先端を躊躇いなく口に含むと、震えはもっと強くなる。それを押
さえつけるようにみちるの手がはるかの頭をつかむけれど、引きはがせるとでも思っ
ているのだろうか。


「僕がいないのに、あんな状態でふらふらしてるなんて」

 舌に広がっていく感触と、鼓膜を撫でる吐息のような声に、胸の中が甘く焼けちゃ
いそうになる。崩れ落ちていく身体を抱きしめながらいつまでもそうしていたくて仕
方がない。


「・・・縛り付けとこうかな」

 唇を離して小さく呟いたら、頭をつかんでいた手が背中にまわされて、ぎゅっと抱
きしめられた。



                               


「あのさ」

 肘置きに背を預けて抱き寄せると、みちるは力の抜けた身体のままはるかの胸に背
中を寄せて、首筋に頬を擦り付けた。


「二日酔いで頭痛くなるとか、いっつもないよね」

 髪を撫でながらそう言うはるかに、何を思ったのか彼女はむっと唇を尖らせた。

「・・・・・・あまりいじめないでくれないかしら」

 どうやら朝の様子をからかわれたと思ったらしい。こちらへ擦りよせていた頬を離
すと、ふいとそっぽを向くように、くっつけていた背中を離す。


「違うよ。そう言うんじゃなくて」

 離れたわずかな隙間から冷えちゃいそうだったから慌てて抱きしめた。

「・・・昨日から、ちょっとヘンだよね、みちる」

 きつく抱きしめたままだったからだ。みちるの肩が微かに揺れたのがわかった。

 ほら。やっぱり変。こんな素直な反応、普段はあまり見せてくれないくせに。

「・・・黙るなよ」

 だからだ。耳元に唇を寄せて囁く声が、いつもよりも低く呻くようなものになった。
それなのに、やっぱりみちるは振り払ったりなんてしない。肩をすくめるようにして、
はるかの頬に自分の頬を寄せた。はるかの頬へ当る頬が唇になって、鼻先になって、
最後に額が押し付けられる。それから。


「・・・・・・また、逆戻りになるかもしれないじゃない」

 呟くような小さな声が、はるかの耳を掠めた。

『これが、新たな敵か』

 はるかの言葉に、柔らかな声で答えた彼女の頬笑みが、霞みがかりながら脳裏に浮
かび上がってくるみたいだ。


「怖い?」

 彼女が微かに震えているのは、きっと熱の引いた身体が冷え始めたからだ。そう決
めつけて抱きしめる腕に力を込めた。


 細い肩が軋んじゃう位に力んでしまった腕に、静かに手のひらを重ねると彼女は
言った。


「次ははるかのレースを見に行くって約束したのに」

 今朝と同じようにその指先が腕をなぞって、はるかの手の甲に触れた。握りしめる
感覚が、柔らかすぎて苦しくなる。


 いっそのこと、いつかのように、馬鹿馬鹿しいって吐き捨ててくれたらいいのに。
自分にだって夢があるんだって、怒ればいいのに。


 何で、いつも自分のことよりも先に、はるかの心配をするのだろう。

『大丈夫よ』

 たまには弱った顔見せてよ。

「来てよ」

 そうしたら、いつもの笑顔に戻してあげるから。

「逆戻りでもいいよ。みちると一緒にいられるんだろ」

 だから隠さなくったっていいのに。

「だから、ちゃんとくっ付いてろよ」

 みちるは抱きしめたはるかの手を取ると、そこへ顔を伏せてしまった。

 手のひらの上に、濡れたような熱が広がっていく。彼女は低めの体温であるはずな
のに。


「調子に乗らないで」

 震えているような声は、けれどいつものような語調のままで。

「うん」

 うれしくなって素肌の肩に顔を埋めた。



                             END



 はるかのいない世界なんて守ってもしょうがないじゃない。
 そう言い切るみちるさんは、わんこさんが好き勝手にしている所を眺めるのが好きなんじゃない
かなーと(言い逃げ)



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