Tea time



「・・・〜・・・っ・・・」

 こっそり伸びをしたつもりだったけれど、最後にため息が漏れてしまった。

「疲れてしまったかしら」

 その上結構な大きさだったのだろうか、漏れなく隣に座る祥子さまに見咎められて
しまった。


「い、いいえっ・・・」

 慌てて背筋を伸ばして座りなおす。けれど、だからといって先ほどの仕草が帳消し
にされるわけがないこと位わかっている。だって。


「少し休憩しましょうか」

 そう呟いて立ち上がった祥子さまの表情は、既にポットやカップの置かれているシ
ンクの方へ向けられていて、見上げた祐巳にはわからない。でも、きっと呆れている
のだろう。


「あっ、お茶なら私が・・・」

 一歩、二歩、遅れるこの距離が何とも間の悪い。そんな風に思いながら祥子さまに
追いついて、だけどそのお顔の前を横切るようにして棚の方へ腕を伸ばすこと等でき
やしない。その結果、不格好に佇んで、もう一度「私が淹れますから」と情けない声
で懇願する。


「それなら、祐巳はカップを用意して頂戴」

 こちらから見える横顔が微笑んで見えるのは、お味噌な祐巳の言動が笑いを誘った
としか思えないのだけれど。


「でも・・・」

 そもそもが、書類を確認して、必要な計算をするだけの単純な作業のはずだった。
だから、今日薔薇の館を訪れたのが祐巳と自分だけであったとしても難なくこなせる
と、祥子さまは判断されたのだろう。それなのにそれなのに。何故にそんなささやか
な期待にも応えられないのか。つまるところ、他の人にとって単純な作業であっても、
祐巳にとってはとてつもなくハードルの高い業務なのだった。


 だからせめて、作っていただいた休憩時間の間くらい寛いでもらいたくて、でも、
滑らかになんて進めなくて祐巳は立ち止まる。


「ふふ、・・・ねえ」

 祥子さまがお湯を用意するのをちらちらと横目で眺めていたら、不意に目があって
飛び上がりそうになる。


「私は紅茶が好きなの。だから、祐巳も諦めて付き合いなさい」

 そう言って、祥子さまは祐巳の右手へと視線を向けた。

「・・・・・・」

 祥子さまの視界にしっかりとロックオンされた右手にはカフェオレスティック。ち
ょうど一杯分だし。お湯の量を調節すれば祐巳好みの甘さになる。そんなこんなで、
お手軽さも加わって、祐巳はそれを愛用していた。もちろん、祥子さまにお出しする
分は別だけれど。


「ほら、座ってなさい」

 棚からお茶の葉を取り出しながら、祥子さまが重ねて告げる。他の選択肢がなくな
った祐巳は、言いつけどおりに元の場所へと戻る。もちろんものすっごくぎこちない
動作で。


「どうかしら?」

 かちんこちんな動きで、促されるままに淹れていただいた紅茶を口にする。

「おいしい、です」

 感想も、ぎこちないを通り越して片言。どうして何から何までこうも決まっていな
いのだろう。優雅にカップを持ち上げる指先を眺めながらそんなことを考えるけれど、
どう考えても祥子さまのいる場所まで、祐巳が高跳び(というか高速移動?)できる
ことはない気がした。


「良かったわ。祐巳は甘いものが好きなのでしょうけれど。たまにはこうして静かに
お茶を飲むのも良いものでしょう?」


 祥子さまはそう言って、祐巳に向かって微笑んだ。花のような、そんな言葉がぴっ
たりの、華やかで優しい笑い顔だ。たまには、なんて言わないで。少し苦いような紅
茶も、祥子さまと一緒なら、どこまでも甘いような気がして祐巳はカップに口を付け
たまま何度も頷く。


「気分転換になったかしら」

 どうしたら、祥子さまみたいに、こんなにおいしく紅茶を淹れることができるのだ
ろう。一人考え込んでいたら、祥子さまの声が聞こえて祐巳は顔を上げた。


 カップをソーサーへ置いて、彼女はまた、視線を紙面へと落としていた。最初から
それぞれにこなす書類を割り当てていたわけではないから、祐巳のノルマが積み重な
って終わりが見えないなんてことはないけれど。明らかに、祥子さまの済ませた物の
方が多いと見てわかる、紙の束が彼女の側に積み上げられていた。


 こんな時、祥子さまは怒ったりなんてしない。叱責するようなことも。それは祐巳
を甘やかしているわけでも、余裕をみせつけているわけでもない。ただ淡々と、目の
前にある案件を、こなしているだけ。割り振る人数は、彼女にとってはあまり意味を
なさない。


 祥子さまの指先が走らせるペンを眺めて、その手の甲を眺めて、視線の元のお顔を
みつめようとして、祐巳は自分の目の前にある書類に目を落とす。


 さらさらと流れていく時間に重なるように、二人のペン先が滑る音が聞こえてくる。

 少しずつ日が傾いて。祐巳の横にある束と、祥子さまの横にある束の高さは、明ら
かに違うけれど、終わりが見えてくる。


 祥子さまの淹れてくれた紅茶を、ふと口に運ぶと随分と冷めてしまっていた。けれ
ど、祥子さまのいる左側は温かいまま。


 二人同時にペンを机に置くと、どちらともなく息をついて、次に笑い声が漏れた。
窓から差し込む夕日は、もう夜の色と混ざり合おうとしている頃だった。


「これで全部ね」

 やっと終わった、でもなく。疲れた、でもなく。祥子さまは確認するように言う。
祐巳の分と、祥子さまの分と。彼女がそれを重ね合わせて束ねると随分と分厚くなった。


 祥子さまが束ねた書類を机に置く音が、パタンといやに大きく部屋の中に響く。ま
るで終業のチャイムみたいに。だけれど、授業が終わった時のような安堵感とは少し
違う。祥子さまのいる、左の方からそら寒くなってしまうような。


 けれど、それを。

 その、寂しいような気持ちを、どんな言葉にすればしっくりくるのかがわからなく
て、祐巳は左側へと視線を寄せた。


「祐巳」

 引き寄せられたのは、祥子さまの瞳の中。魅入ってしまいそうな祐巳に気付かない
ように、祥子さまはすっとシンクの方へ視線を向ける。


「さっきのでいいわ」

 唐突に告げられた声を追うように、祥子さまの瞳の先をたどっていく。

「おかわりが欲しいわ」

 たどり着いたのはシンクの上。そこには、忘れられたような佇まいのカフェオレス
ティックが二つ。呼び止められるのを待っていたかのように、置かれていたのだった。




                            END



 帰りたくないの、なんて祥子さまが正直に言えるはずもないのです。なぜならむっつりラブだから!(何)



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