Sweets Buffet 5
                     不定期小噺を集めたものです。


0930ぷち〜Blue day 祥子さま編〜



「・・・・・・・・・・・・」

 土曜日の午前中、いつもならにこにこ笑顔で祐巳を抱っこしてくれているはずの祥子さ
まは、ぐったりとソファに身体を沈めていた。
 おまけにきゅんきゅんと子犬みたいな泣き声だか呻き声なんだかをもらしていた。

「お姉さま・・・」

 傍らに跪いてそのお顔を覗き込むと、祥子さまは儚げな笑顔を浮かべた。

「ごめんなさい・・・折角のお休みなのに・・・私はもう・・・・・・」

「お姉さまっ・・・」

 悲壮な声とともに祥子さまに縋りつく。これは一体何なのか。

「・・・・・・痛い・・・・・・・・・・・・ぇぅ・・・・・・・」

「だ、大丈夫ですか・・・!?」

 お腹を押さえて再度呻き出した祥子さまの側で、祐巳はおろおろとうろたえまくった。

 仕方がないのはわかっている。それは大体毎月やってくるのだ。避けて通れる道でもなし。
 つまるところ、今日は祥子さまのブルーデーなのだ。
 そうでなくとも、祥子さまはその日々が始まると腹痛と鎮静剤の副作用(主に眠気)で朦
朧としているため、沈んだ様子で過ごすのが常で。その上昨日の夜には「明日はどこかへ
お出かけしたいわね」なんて二人で機嫌よくお話していたものだから、祥子さまの落ち込
みようといったらないのである。
 祐巳にできることといえば、泣き出した祥子さまの背中をさすってさし上げるぐらいだった。

「私にできることなら、何でも仰ってください」

 いくら避けては通れない道とはいえ、こんな打ちひしがれた様子の祥子さまを、ただ
見守るだけなんてできるはずもない。横たわった祥子さまを抱きしめるようにして背中を
さすりながら、祐巳は震えちゃいそうな声でそう言った。

「・・・・・・・・・何でも?」

 さすっていた背中がぴくりと動いた。それがどういうことなのか、本当はその時に
気がつくべきだったんだろうけれど。

「それじゃあ・・・」

 くるりと振り返った祥子さまのお顔は、満面の笑みを浮かべていた。


                         *


「・・・・・・アスパラガスはいらないもの」

「も、もう!そんなに好き嫌いばかり仰らないでください」

 相変わらずのソファの上に祥子さまと二人。すっかり甘えきった子犬みたいに、祥子さま
は祐巳にぴったりとくっついて抱っこされていた。いつもなら紅茶の入ったカップぐらいしか
乗っていないリビングボードの上には、サラダやトースト、スープにデザートなんてものま
で乗っている。ちなみに今日の昼食である。

「お姉さま、あーん」

 仕方なくトーストを一口サイズにちぎって口元へ盛っていくと、祥子さまは雛鳥みたいに
口を開けて、ぱくりと食いつく。

 何でもするって言った途端、祥子さまは先程までの様子が嘘のように笑顔になった。

 それでもって今のこの状態。ぴったりくっついた祥子さまをしっかりと抱き寄せて、お昼ご
飯を食べさせてあげていたりする。

「あーん」

 好き嫌いばっかりするくせに、祥子さまはトーストを飲み下すとまたそう言って祐巳を
せっつくのだ。可愛らしい上目遣いつきで。はっきり言って確信犯だと思う。祐巳が逆らえ
ないのをわかってやっているのだから。
 偏食まっしぐらな軽い食事を(一方的に)終えると、祥子さまはご飯を食べる祐巳の
頬っぺたや首筋に何度もキスをした。

 ご飯の後片付けをする時も、祐巳のシャツの袖をちょんと握ったまま、祥子さまはとことこと
ついてくる。ソファに腰掛けると、当たり前のように膝の上に頭を乗せた。

 子育てって大変なんだろうなぁ・・・。

 うとうととお昼寝を始めた祥子さまの頭を撫でながら、祐巳は何故だかそんなことを
考えてしまったのだった。





 さすがにお風呂に一緒に入るのは、祥子さまに断られてしまったけれど。髪を乾かしたり、
夜のお手入れなんかはばっちりと祐巳がしてさし上げたり。

 手を繋いでベッドにもぐりこむと、祥子さまは祐巳の胸元まですり寄ってからこちらを見上げた。

「・・・・・・少しだけ齧ってもいいかしら」

(な、何を!?)

 思わず首を思いっきり横に振ると、祥子さまはしゅんとうな垂れてしまった。まぁ、差し詰め
お耳が力なく垂れて、尻尾が完全におなかの中に入っちゃった狼さんといったところだろうか。
 そう、今日の狼さんは体調が悪くて、捕食もままならないのだった。

「こんな状態が一週間も続くのね・・・」

 それはこっちの台詞です。そう突っ込みそうになったけれど、しんどいのは祥子さまの方
なのだと思い直して、祐巳はその額にちゅっとくちびるを落とした。

「来週は、お姉さまの好きなことをして下さって結構ですから」

 それは、別段深く考えて言ったわけではないのだけれど。

 祐巳の言葉を聞いた祥子さまが、めずらしく驚いたような表情をして、頬っぺたをさぁっと
赤く染めたから。

「あ・・・いえ、あの・・・そういう意味では・・・」

 ごにょごにょと口ごもるけれど後の祭り。

「それなら、一週間もまったく憂鬱ではないわ」

 祥子さまは真っ赤な顔のまま、真剣にそう言った。

 一週間後、すっかり快調になった祥子さまがブルーデー以上のわがままぶりを発揮した
のはまた別の話だとか。



END


 いえ、お礼ssで祐巳ちゃん編があったので祥子さま編もと・・・ごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃ・・・(逃)



痛いの痛いの飛んでいけ


「痛・・・・・・っ」

 洗面のために顔に水をかけた瞬間、鋭い痛みが頬に走った。

「な、なんで・・・?」

 思わず鏡を覗き込むけれど、いつもと変わらない狸顔が移っているだけだ。だけど、痛い。

「???」

 もしや、と思って「あーん」と口を開けてみると、唇のすぐ横の頬の裏に、大きな口内炎。

「ふえぇ〜!?」

 何故に口内炎?特に不摂生にしたつもりもないのだけれど。

(寝る前にチョコレート食べたのがいけなかったのかなぁ・・・)

 多分間違いなくそれが原因なのだけれど。にきびができませんようにって、しっかり
マリア様にお祈りしてから頬張ったのに。いや、にきびにならない代わりに、内側にできた
のか。

「祐巳ちゃーん、早くしないと遅れるわよ」

「あ、はーい」

 がっくりとうな垂れていると、ダイニングからお母さんのさして焦っていないおっとりとした
声が聞こえて、祐巳は顔を上げたけれど。

「あ・・・」

 唐突にあることに気がついて、祐巳はまたがっくりとうな垂れた。

 こんなに痛かったら、朝ごはん食べられないかもしれない。

(今日はシュガートーストなのに・・・)

 夜中のチョコレートを我慢できなかったばっかりに、朝ごはんを犠牲にする羽目になるとは。
 何だか立ち直れそうになかった。


                           *


 午前中はいい、体育祭へ向けてひたすら走り回ることの方が多いのだから、気が紛れ
るというものだ。
 だけど、お昼ご飯となるとそうも言っていられないわけで。
 何もしていないのに痛むというほど重傷ではない。だけど、ものを口に入れると確実に痛
む。だけど、朝ごはんを我慢したおなかのかえるは、もう鳴き声も出せないくらい衰弱して
いた。
 それでも、二の足を踏んでしまうのは、痛いことにまったく耐性がないからに他ならない。

 その上。

「祐巳、あなたお昼ご飯は持ってきていないの」

「ひう・・・・・・」

 こともあろうに、今日に限って祥子さまと二人、温室でお昼ご飯を食べる約束なんてして
るものだから、自体はさらにややこしくなるのだった。

「えっと、持ってきています」

 気は進まないけれど、祥子さまに言われては出さないわけにはいかない。祐巳はごそご
そとランチポーチからお昼ご飯を取り出した。

「・・・・・・何なのそれは」

「・・・・・・・・・」

 お母さん特製のお弁当に替わって現れたそれらを目に留めると、祥子さまはぴくりと眉を
吊り上げた。

 本日の祐巳のお昼ご飯:フルーツヨーグルト、一口ゼリー三個、パックジュース、以上。

 だって痛いんだもん。

「それは間食にはなっても、きちんとした食事にはならないわ・・・・・・あなたまさか、ダイ
エットなんてしているの?」

「へ!?」

 もじもじと窺っていると、祥子さまがどんどん眉を吊り上げていくから、祐巳は固まってし
まった。

「ち、違います!」

 取りあえずは全身を使って否定。以前、ダイエットのためにお弁当から白いご飯を抜い
ただけで、祥子さまにこんこんとお説教をされたことがある。そのため、たとえそうしたい気
持ちがあっても、祥子さまの前ではそんな素振りを見せたりなんてしていないのだった。

「えっと、今日はお母さんが忙しくて、お弁当まで作ってもらえなくて・・・」

 お母さんごめんなさい。心の中で平謝りしながら、祐巳はそんな苦しい言い訳を述べた。
すると。

「そうなの?それは大変だったわね」

 以外にも祥子さまはあっさりと引き下がった。その上。

「よかったら、私の分から食べなさい」

 そんなありがたいお言葉までもらってしまった。かなりの罪悪感だ。

「あ、は、はいっ。ありがとうございます」

 もちろん、気持ちをありがたく受け取るだけしかできないんだけど。祥子さまのご機嫌が
よくなったことに、祐巳はほっと胸を撫で下ろしたのだった。


                           *


 お弁当を食べ終わると、残りの時間は特に何もすることがないわけで。それなのに、祐
巳と祥子さまが時々こんな風に、二人っきりで待ち合わせる約束をする理由なんて、
決まりきっているわけで。

「・・・・・・嫌?」

 肩を抱かれて、思わずぴくりと緊張してしまうと、祥子さまが不安そうな声でそんなことを
言うから、祐巳はぶんぶんと首を振って否定する。

「あの、今日は午前中はずっと体育会の練習をしていたから・・・」

「・・・だから?」

「・・・・・・汗をいっぱいかいたから・・・その・・・」

 言っているそばから恥ずかしくなって俯くと、祥子さまに吹きだされてしまった。

「そんなこと。構わないわよ、暑いのだから汗くらい。それとも、祐巳は私が汗臭かったら
抱きしめてくれないの」

 祥子さまが優しい声でそう言うから、祐巳はやっぱり首を横に振って、祥子さまの胸に頬
を寄せた。

 祥子さまからは、いつもと同じいい匂いがした。それから、少しだけ、甘酸っぱいような汗
の匂いがして、いつも以上にどきどきしてしまった。なんでだろう。

「・・・・・・顔、上げて」

 ふんわりと気持ちが良い胸に顔を埋めて甘えていたら、祥子さまが掠れたような声で呼
んだ。
 言われたとおり顔を上げると、すぐ側に祥子さまのお顔があったから、祐巳は自然に目
を閉じた。

 それはもう、いつも通りの甘ーいキスの予感だったのに。

(は・・・・・・・・・っ!!)

 運良くなのか、悪くなのか、祐巳はあることを思い出した。

 口内炎なんです。痛いんですよ。本当に。

 が。

「・・・・・・・ふ・・・・・・」

 それをどう切り出そうか考えていたところで、唇が柔らかい温もりに包まれた。最初は、
触れるだけの優しいキス。

(ど、どうしよう・・・・・・)

 唇に触れさせて、時々鼻先を擦り合わせるようにしてみつめてくれる祥子さまに、どきど
きくらくらするのはいつものことだけど。

(でも、でも途中でストップなんて、言えないし・・・)

 おろおろとそんなことを考えていると、祥子さまの舌がそっと唇を割って入ってくる。

「・・・ん、ん・・・・・・」

 そこに触れないように気をつければいいというものではない気がする。取り合えず、祥
子さまが入ってきた瞬間から、痛い。祥子さまはそんなに、激しくかき回したりなんてしな
いけど、痛い。

「・・・・・・ぃ・・・っ」

「どうしたの?」

 一瞬だけ唇が離れた瞬間に、祐巳は逃れるように首を振ってしまった。おまけに、少し
だけ涙ぐんでいたようで、首を振った瞬間にぽろりと一粒涙が零れてしまった。

(あ、まずいかも・・・)

 零れてしまった涙を慌てて指先で拭って祥子さまを見上げると、案の定祥子さまは青ざ
めた顔をしてこちらをじっとみつめていた。

「ご、ごめんなさい、嫌だったのならもうしないから・・・」

「ち、違います、お姉さま」

 本当は祥子さまはとっても繊細で、祐巳のちょっとした仕草でも敏感に反応する。だから、
こんな風にうろたえさせるのはひとえに祐巳の責任なのである。

「でも・・・・・・」

 急に自信がなくなったみたいな顔をしてうな垂れる祥子さまに、罪悪感と一緒に胸がき
ゅんとなった。ああ、やっぱり先に言っておけばよかったんだ。

「そうじゃないんです、あの・・・」

「?」

「口内炎ができていて・・・それで」

 鏡の前でそうした時よりは幾分か控えめに、祥子さまの前で「あーん」と口を開けて見せ
た。

「あら・・・これは、痛かったでしょう」

「すみません・・・」

 痛かったけど。祥子さまに悲しそうな顔をさせちゃったのだから、お相子だと思う。そんな
風に祐巳がしゅんと肩を落とすと、祥子さまは今度は優しく微笑んでくれた。

「それでは、おまじないをしてあげる」

「え?」

 痛い方とは反対側の頬に手を当てて、祥子さまはにっこりと笑ってそう言った。それから。

「・・・・・・あ・・・」

 唇のすぐ横の頬っぺたに、祥子さまはそうっと唇をくっつけた。
 痛いはずの頬っぺたが、暖かくて優しいキスに癒されるみたいにポッと熱くなる。

「・・・治るまで、毎日してあげる」

「ふえ!?」

 ぽーっとしていたら、祥子さまはおかしそうに笑いながらぎゅっと祐巳を抱きしめてくれた。
そのまま、今度は右の耳をぱくりと唇で挟んだ。

「ゃ・・・こ、これも、おまじないですか?」

「そうよ」

 何だか違うような気もするけど。予鈴が鳴るまで、祥子さまはそんな「おまじない」を
ひとしきりしてくれたのだった。


                         *


 結局、祥子さまのおまじないが本当に利いたのか何なのか。口内炎は次の日にはほと
んど気にならないくらいに治っていた。ただ。

「・・・・・・痛い」

「・・・・・・・・・」

 おまじないをしてくれた祥子さまの方に口内炎ができてしまい。

「祐巳は、おまじない、してくれないの?」

 子猫みたいな仕草ですり寄ってくる祥子さまに、三日間ほど「おまじない」をしなければ
いけなくなったのだった。



                         END



 祐巳に口内炎ができてしまったら祥子さまはどう出るのか!?というラブシチュエーショ
ンのリクエストをいただいたので・・・。結局はバカップル風味。
 リクエストありがとうございました。



夏だね



「・・・寒い」

 窓の外には燦々と輝くお日さま。祐巳の思い込みのせいかもしれないけど、暑さで
揺らめいて見える。暑いのは毎年のことで。今年はいつも以上に暑すぎるって
思っちゃうのも毎年のこと。さほど間違ってない感覚みたいだけど。


 とにかくそんな暑さの中、何を思ったのか、はたまた体感温度が祐巳と著しく違う
のか、祥子さまは冒頭の言葉を吐きだしたのである。


「・・・・・・風邪ですか?」

 思わずそんなことを尋ねてしまった。でも、顔色は悪くないみたい。

「違うわ。この部屋の中が寒いの」

「はあ・・・」

 肩口をさすりながらそう呟いて、祥子さまは祐巳の座るソファへと歩み寄った。

(あ、そっか)

 設定温度はそんなに下げていないはずと思いだしていると、隣に腰かけた祥子さま
が愛用のブランケットを羽織った。その姿を見て、そういえば、移動の車内なんかで、
祥子さまは膝かけに首元までくるまって眠ってたな、なんて思いだした。夜も、なー
んにも掛けずに眠る祐巳の横で、綿毛布にくるまって祥子さまは眠っている。


 暑い屋外から帰ってくる祥子さまが少しでも心地よいようにと思っていたのだけれ
ど、冷やしておけばよいものでもないらしい。一緒に暮らし始めてまだ日が浅いから
かな。わかっていたつもりでも、日常のちょっとした勝手がお互いに違うみたい。け
れど、うだるような暑さのままに過ごすことも、多分祥子さまは好きではない。冷房
から除湿に切り替えれば、少なくとも纏わりつくような煩わしさはないだろうと、祐
巳は設定を操作すべく立ち上がろうとした。


「このままで構わないわよ」

 けれど、足を踏み出すよりも前に、祥子さまが祐巳の腕を軽く引いて、ソファの上
へと身体を押しとどめられてしまった。


「祥子さま寒いでしょう?」

 覗き込むと、祥子さまは完全防備よろしくブランケットにぐるぐる巻きでくるまっ
ている。遭難しているわけじゃないんだから。


 もしかしていつもの負けず嫌いかなと祐巳が頭を掻き始めた所で、不意に抱き寄せ
られて硬直する。


「こうしていたら平気だもの」

 耳元から、笑いをかみ殺しているような声がした。

「・・・えっと、でも、これだと動きづらくないですか?」

「動かなくてはいけないの?」

 固まったまま、上擦るような声で抗議したけれど、反って笑いを煽ってしまったみ
たいだ。祥子さまはますます抱きしめる力を強くして、笑い声のままそんなことを言う。


「そ、そりゃ、色々と・・・」

 抗議を続けたくて口だけがパクパク動くけれどそれ以上は声も出てこない。

 そんな祐巳の表情を確かめるみたいに、祥子さまは首元からのぞき込んで、意地悪
く笑った。


「一緒に動きまわれば問題はないでしょう?」

 そう言って楽しそうに笑う祥子さまに頬っぺたへ口付けられて、それ以上抵抗でき
る人間なんているのだろうか。


「祥子さまぁ・・・」

 もちろんそんなことできるはずもない祐巳はただ目を回すだけで。

 祥子さまが「寒い」と言った部屋の中で一人、じりじりと上がっていく熱に焦がさ
れていくみたいだった。




                             END



 実際の所祥子さまは暑がりで寒がり(わがまま)だと思うのですが。祐巳ちゃんと一緒にいれば
あまりそう言うことは気にならないのではと。



                           秋の夜長



『私はね、たとえ音のない真っ暗闇の世界にいても、そこに祐巳がいるならすぐにわ
かるわよ』


 今思えば、随分と短絡的な話だと思う。根拠も何もない、なんて曖昧な言葉。けれ
ど、どれだけその不備を突かれたとしても、祥子の中でそれは揺らぎのない確信だっ
た。


 ふと、宵闇の静けさに目が覚めて、眉をしかめた。

「・・・・・・・・・」

 ぼやけた視界に映るのは、見慣れた天井。その色彩に辟易として祥子は静かに息を
吐きだした。けれど。


(・・・あ)

 煩わしく寝がえりをうった拍子に、肩に触れる髪のはっきりとした感触に目を見開
いてしまった。


「・・・・・・ゆみ?」

 ゆっくりと視線を落とすと、安らかな寝息と共に、愛しい横顔があった。

「・・・・・・」

 暗闇に彩られた部屋の中に、冴え冴えと浮かび上がるような肌の色のせいだ。急速
に耳元まで熱くなっていくようで、息が詰まってしまった。


「・・・ゆみ・・・」

 彼女を起こさないように、けれど答えてほしいような気持ちのまま、小さく呟いて
その髪に頬を寄せた。


「・・・・・・ん・・・」

 くすぐったいのだろうか、祐巳は小さく息を吐いて、擦り寄る祥子の方へ頬を寄せ
た。祐巳の寝息が前髪にかかる。引き寄せられるように、その唇に指先を触れさせる
と、昼間祥子を抱き返してくれた彼女の腕の温もりを思い出した。


(・・・なんで着ぐるみだったのかしら・・・)

 ついでに、その時の光景やら、祐巳の状態やらを思い出して笑いがこみあげてくる。
それから、あの抱擁にたどり着くまでの色々な場面まで。


 夏の日の、彼女の泣き出してしまいそうな表情や。

 見知らない、どこか緊張したような男の子たちとの会話。

 祐巳と親しげな髪の長い女の子。

 その子とこじれてしまった時の祐巳の姿。

(・・・長編映画だわ、これじゃ)

 高速で流れていく脳内の映像に、祥子は誰にするともなく肩をすくめてしまった。
取り留めなく思考を流してしまうのはいつものことだけれど、と視線を祐巳に戻す。
起こしてしまうだろうか。そんなことを考えながら、跳ねやすい柔らかな髪を梳いた。


「・・・・・・」

 寝息とも、声ともわからないような音が、時折彼女の唇から漏れる。それに引き寄
せられてしまったように、何度もその髪を撫でた。


 髪を撫でつけた肩を、柔らかな背中を撫でて、最後に抱き寄せたら、祐巳は一度だ
けその感触に驚いたように肩をすくめて、ふっと力を抜いた。


 柔らかな素肌が祥子の胸に重なると、そこから痛く痺れていくような気がして、ど
うしてだか涙がこみ上げてしまった。


 別に、辛くなんてない。だから、それが止めどなく流れ落ちることもない。

 ただ視界に光の膜がはってしまったかのように、熱くなっていくだけ。

『間違いなく祐巳を探し当てることができるわ』

 彼女が苦しくなってしまわないか、なんて考えて、そのくせ強く抱きしめていたら、
また自分の言葉を思い出して笑いだしそうになった。


 非現実的な言葉だと、祐巳もきっと理解しているだろう。それとも、子ども染みた
独占欲だとばれてしまっただろうか。それでも、安心したように祥子の腕の中におさ
まってくれた小さな身体が殊更愛おしかった。


「・・・・・・さちこさま・・・?」

「・・・・・・っ?」

 不意に耳元でささやかれたものだから、祥子は慌てふためくようにして顔を上げた。

「・・・・・・」

 見下ろした腕の中には、やっぱり瞳を閉じたままの祐巳の姿。

「・・・・・・どんな夢を見ているのかしら」

 悔し紛れのように呟いて見せたけれど、反ってくるのは静かな寝息だけ。けれど、
よく見ればその表情が、どこか嬉しげに緩んでいたから、こちらまでつられて笑って
しまった。


 祐巳の夢の中、もしかしたら彼女と同じように、祥子も柔らかな表情を浮かべてい
るのかもしれない。


 そんなことを考えながら、祥子はもう一度、祐巳を抱きしめる腕に、そっと力を
込めた。


 例えば真っ暗な暗闇の中でも、祐巳が迷子になってしまわないように。



END



 涼風凛凛その後な感じでごきげんよう。どれだけ涼風さつさつのあたりの二人も好きなんだと言っ
た感じですが、だってラブラブなんだもん。ではでは。




 OCLプチ〜さちこさまといっしょ〜



 祥子さまより一足先にお家に到着した祐巳は、いそいそとお風呂の準備や、
ご飯の用意をする。


 二人で一緒にいる時ももちろん幸せだけど、こんな風に祥子さまを待ちな
がら、お家のことをする時間も祐巳は好きだった。


「これでよし、と」

 冷蔵庫に残ったお野菜をめいっぱい詰め込んだクリームパスタにスープと
サラダを添えてお夕食は完成。残り物一掃メニューだけど、愛情はたっぷり
入っているはず。お風呂の準備もばっちりだ。


 お皿をテーブルに並べていると、祥子さまがマンションへ帰ってきたこと
を知らせる、エントランスのインターフォンがタイミングよく鳴った。


「ただい」

「おかえりなさいっ」

 祥子さまが「ただいま」を言い終えるのも待たずに、祐巳はそう言って祥
子さまに飛びついた。


「もう、びっくりするでしょう」

 抱きつかれた方の祥子さまはといえば呆れたような顔をしてお小言をこぼ
した。だけど、弾んだ気持ちはまったく挫かれたりなんてしない。だってう
れしいんだもん。よくよく見れば祥子さまもまんざらでもないような表情を
しているし。


 祥子さまにぎゅっと抱きついて、ただいまのキスをねだりながら、二人し
てじゃれあうようにお部屋に入る。


「あら」

 飼い主にじゃれ付く子犬モード全開の祐巳を抱きとめながら、祥子さまは
ふと唇を離した。


「お夕飯の用意、してくれたの」

 一瞬、祥子さまは申し訳なさそうな顔をして、次に照れくさそうな顔をし
て「ありがとう」って言ってくれた。そのまま頭を優しく撫でられると、褒
められた小さな子どもみたいにうれしくてうれしくて。


 事件はその時起こったのだ。

「たんたんもすぐに入れます」

 バスタブもぴかぴかに磨いているし、お湯もちゃんと溜めてある。ちなみ
に今日の入浴剤は、帰り道に立ち寄った雑貨屋さんで購入したものだ。


 が、しかし。祐巳の言葉を聞いた祥子さまは、至近距離でぽかんと口を開
けたまま硬直してしまっていた。


「?」

 何だろう。もしかして、今日はお湯には浸からないつもりだったとか。は
たまた、体調が悪いから、お風呂は明日の朝にするつもりだったのかな。


 きょとんと首を傾げる祐巳の前で、祥子さまは珍しくおずおずとした様子
で尋ねた。


「たんたんって、お風呂のこと?」

「・・・・・・!!!」

 祥子さまにそういわれた途端、自分の失態に気がついて顔から火が出そう
なくらいかぁっと赤くなった。

 口が滑ったとしか言いようがないけれど。いわゆる赤ちゃん言葉といわれ
るその呼び方は、そのまま福沢家で使われていたものだ。さすがに中学生く
らいからはきちんと「お風呂」というようにはなっていたけれど。物心着く
前から、お父さんとお母さんは二人の子どもにそう言い聞かせてきたから、
お家にいる時にはついついその言葉が口をついて出てしまうことがある。


 が。

 まさか、祥子さまの前でまで、そんなことを言ってしまうなんて。何たる
赤っ恥。顔どころか全身が真っ赤になっているのだきっと。叫び出してしま
いそうなくらい恥ずかしい。それなのに。


「・・・っ・・・」

「?」

 目の前の祥子さまは突然息苦しそうに口元を手のひらで押さえると、ぷる
ぷると肩を震わせ始めた。もしかしてこれは―――。


「く・・・くく・・・っ・・・っふ・・・」

「・・・・・・・!?!?」

 笑っている!しかも必死に耐えているようで全然隠せていない。

「お、お姉さま!!」

 そうでなくても恥ずかしくて堪らないのに、こんな風にされると余計に居
た堪れないではないか。それなのに祥子さまは、堪えきれていない笑い声を
小刻みに漏らしながら、肩で息までする始末。


「もう、お姉さまっ!」

 半ば八つ当たりのように喚くと、祥子さまは笑いすぎて涙が零れた瞳を擦
りながら、こちらを見上げた。


「入るわよ」

「へ・・・?」

「先に入るわ。たんたんに」

「・・・・・・・!!!」

 祥子さまは心底楽しそうにそういうと、恥ずかしさと悔しさで戦慄いてい
る祐巳の唇にちゅっと口付けたのだった。



                          


「とてもおいしいまんまだったわ」

「・・・・・・・・・ううー」

 ふて腐れながらも、いざ祥子さまと一緒にお風呂に入ると、すぐに機嫌が
直ったのは我ながら現金だと思うけれど。バスタブの中で祥子さまと一緒に

20
数える間には、そんなこと忘れていたのに。

『ほら。髪を乾かさないとこんこんが出てしまうわ。それに、暖かくしてい
ないと冷えてぽんぽんも痛くなるかもしれないし』


 お風呂から出た祥子さまはすぐにそんなことを言った。それでもって、食
卓でのこの発言。


「お姉さま、私は幼児ではありません」

「知っているわ。ただわかりやすい単語で言った方がよいと思っただけよ」

「・・・・・・」

 嘘だ、間違いなくからかっているではないか。だって、祥子さまってば悪
戯っ子みたいな笑い顔だもの。ちょっと口を滑らせただけなのに、いつまで
も揚げ足取りみたいにからかわなくてもいいじゃないか。


 結局、食事の片づけをする間も、食後の憩いの時間も祥子さまはおかしそ
うに笑っているものだから、祐巳は唇を尖らせてみせるしかなかった。


 そして、決定打が放たれたのは、就寝前のソファの上。キッチンでミネラ
ルウォーターを口にしていた祥子さまが、こちらへ帰ってくるなり言ったの
だ。


「ほら、祐巳。そろそろねんねの時間よ」

 ぷつん。

 切れた。何かが。多分堪忍袋の緒ってやつだ。

「祐巳?」

「・・・・・・しりません」

「?」

 とはいえ子狸にできることといえば、頬っぺたを思いっきり膨らませて、
つんとそっぽを向くことぐらいだけれど。


「どうしたの」

 どうしたの、なんて。祥子さまが悪いのに。

「私は子どもですから。子どもらしく拗ねてふて腐れているんです」

 わざとらしく三角すわりまでしてみせる。それなのに、祥子さまはまった
く動じた様子も見せずに言った。


「あら、そうなの。それは困ったわね」

 言葉とは裏腹に、おかしそうに笑い声してから。

「わきゃ・・・!?」

 うずくまるように座っていた祐巳を、いきなり抱きかかえたのだ。

「お、お姉さま!?」

 お姫さま抱っこみたいにされた祐巳は、突然のことにじたばたと暴れるけ
れどまるで取り合ってもらえない。


「それなら、責任を取って私がベッドまで連れて行ってあげるわ」

「・・・・・・」

 悪びれた様子なんてまったく見せずに、祥子さまはにっこりと笑った。

(もうっ!)

 こんな至近距離で笑いかけられて、しかも抱っこまでしてもらったのでは、
喧嘩にもならない。もともと沸点にほど遠かった怒りは、すぐにかき消され
てしまった。


「・・・・・・ずるい、お姉さま」

 だけど、まだほんのちょっと拗ねて見せたくてそう言うと、祥子さまはに
こにこ笑顔のまま尖らせた唇に、軽くキスをした。


「うー・・・」

 もう何もいえなくて、ただ祥子さまの肩にかじりついたら、ふんわりとベ
ッドに下ろされた。


「お姉さま」

 頬っぺたにもちゅっとキスされると、ふわふわのお布団を意識して、途端
にドキドキと胸が高鳴った。本当になんて現金なのだろう。


 それなのに、祥子さまは祐巳をそっと横たわらせると、おでこにも一つキ
スをして、お布団を首元までかけてくれた。


「?」

 どうして?そんな風に首を傾げると、祥子さまはさっきまでの悪戯っぽい
笑顔を浮かべていった。


「子どもにキス以上のことなんてできないでしょう?」

「・・・・・・!」

 そりゃ、確かに「子どもです」なんていったのは祐巳のほうだけれど。元
はといえば祥子さまが悪いのに。


「・・・意地悪・・・・・・っ。最初に子ども扱いしたのは、お姉さまなの
に・・・」


 かけてもらったお布団に隠れるようにして、そういうと、祥子さまはぱち
くりと目を丸くした。


「していないわよ、子ども扱いなんて」

 ぬけぬけとそんなことを言って見せてから、祥子さまはお布団の中にもぐ
りこんで祐巳の膨らませた頬っぺたを撫でる。


「・・・子どもじゃなかったら、何なんですか」

 どうせ、「赤ちゃん」なんて言い出すに違いない。そう思いながら甘った
るい声で、だけど拗ねたままの声でそう言ってみせると、祥子さまは祐巳の
手を取ってその甲にキスをした。


「お姫さまに決まっているでしょう」



                        END



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