Sweets Buffet 2
不定期でトップページに載せていた小噺を集めてみました。


                          ランチタイム


「お姉さま、ど、どっ、どうぞっ!」

「ありがとう」

 ビスケット扉の前で祐巳が小花柄の布に包まれた小さな箱を差し出すと、祥子さまは優しく微笑んで受
け取ってくれた。
 子狸からお姫さまへの小さなプレゼントは、森の木の実・・・ではなく手作りのお弁当。
 いつもはお母さんに作ってもらっているけれど、今日のコックは祐巳だ。目指すは祥子さまに喜んでもら
えるとびっきり美味しいお弁当。いつもより二時間も早起きして作ってしまったけれど、こんなにもがんばっ
ちゃうのにはわけがあるのだ。


「お姉さま、今日ははいつものお重ではないのですね」

 遡ること丸一日。早めに薔薇の館に到着していた祥子さまと祐巳は二人でお弁当を広げていた。
 お母さんの作ってくれたお弁当を口に運びながら、ちらちらと祥子さまのきれいな横顔ばっかり眺めてい
たけれど、ふと祥子さまの動かす箸の先に視線を移すといつもの小さなお重ではなくて、平べったい小さ
な木箱だった。高級そうなのに変わりはないけれど、彩りもいつもとは違う気がする。

「いつもお弁当を作ってくれるお手伝いさんが急病で急遽仕出屋さんに頼んだの。だから、後二、三日は
このお弁当箱かもしれないわね」

 祥子さまはおっとりとそう答えるけれど、なんだかすごい次元の話だな。お弁当をお手伝いさんが作って
くれることもだけれど、病気で作れない場合は仕出屋さんに頼むって。学校行って、購買で買ってきなさ
いということにはならないらしい。出来合いには違いないのだろうけれど。
 でも、そんなこと関係ないみたいに祥子さまは淡々とお弁当を口に運ぶ。誰が作ったものとかそんなこと
あまり気にならないのかな、祥子さまは。
 そう感じるのと同時に、ふと思いついたのだ。

「あ、あの、お姉さま」

「?」

「よろしければ、明日は私がお弁当を作ってきましょうか?」


 そんなこんなで、緊張半分、期待半分で作り上げたお弁当は無事祥子さまの手に渡ったのだった。

「あ、ごきげんよう、祥子。祐巳ちゃん」

 ビスケット扉を開けると、令さまと由乃さん、それに志摩子さんがお弁当を広げて、にこやかに談笑をし
ているところだった。薔薇さまたちはまだ来ていないらしい。
 一通り挨拶を済ませると、祥子さまは早々と椅子に座り、先程祐巳から受け取ったお弁当箱の包みを解
き始めた。

(うわわ、なんだか緊張するぅ・・・)

 自分から作ってきますなんて言っておいて今更だけれど、祥子さまのお口に合うかどうかとっても気に
なる。

「まぁ、美味しそうね」

 祥子さまはお弁当箱のふたを開けると、しばらく眺めた後、微笑みながらそう言ってくれた。
 ちなみに、メニューはといえば、お約束の玉子焼きにから揚げ、たこさんウインナー。大豆のサラダに、
ポテトと玉ねぎ、ベーコンのソテー、それからお肉の甘煮と、三角でも俵でもない真ん丸おにぎり。平凡な
メニューだけれど冷凍食品なしの愛情と気迫のこもったお弁当で、「美味しそう」って言ってもらえただけ
でうれしくて仕方がない。

「もしかして祥子のお弁当、祐巳ちゃんの手作り?」

 向かい側の席に座っていた令さまが、腰を浮かせて祥子さまの手元を覗き込んだ。

「あら・・・・・・よかったわね、祥子」

「・・・令、余計なこと言わなくていいのよ」

「?」

 しばらくお弁当を眺めた後悪戯っぽい笑顔を浮かべてそういう令さまに、祥子さまはほんの少しだけ眉を
顰めて見せるから、なんだか不安になって、祐巳は令さまを窺った。

「あの、あまり、自信はないんですけれど・・・」

 お料理が得意な令さまだから、もしかしたら祐巳も知らないうちにしている失敗を見抜いたのかもしれな
い。だけれど、祐巳がそう尋ねると令さまは今度は優しげな笑顔を作って首を振る。

「まさか、とってもおいしそうだよ」

「???」

「気にしないで、祐巳。いただきます」

 なんだかよくわからないけれど、祐巳も祥子さまに倣ってお弁当を口に運ぶ。
 不安と緊張で何度も祥子さまの方を窺ってしまったけれど、その度に祥子さまは「おいしいわ」、「とって
も上手ね」なんて、優しい言葉をかけてくれて。同じものを食べている祐巳まで、いつもよりずっと幸せな
気分でお昼ご飯を食べることができたのだった。


                                *


「あ、令さま」

「あら、ごきげんよう祐巳ちゃん」

 本日二度目の薔薇の館での「ごきげんよう」一番乗りは令さまとだった。
 お昼休みにたくさん祥子さまから褒めていただいた祐巳は、午後からの授業も幸せ気分で過ごし、放課
後の掃除が終わると同時に、足早に薔薇の館にやってきたのだ。

「そういえば、令さま」

「ん?」

 自分のお茶を淹れて席に着くと、既に席についてお茶を口にしていた令さまから、新作の手作りクッキー
を勧められたところで、祐巳はお昼休みの出来事を思い出した。

「あの、今日のお弁当。祥子さまの嫌いなものなんかが入っていたのでしょうか・・・?」

 気にしないで、等と言われたものの、なんだか意味深な二人の様子はやっぱり気になったままで。幸せ
気分で忘れかけていたけれど、令さまと二人きりになると突然思い出してしまったのだ。

「ああ、うーん・・・そうねぇ・・・」

 令さまはなんとも歯切れが悪く言葉を選んでいる感じだけれど、その様子がますます祐巳を不安にさせ
る。でも、もしそうならば今後のためにも教えてもらいたいななんて、ちゃっかり思ってしまったところで令
さまがぼそっと呟いた。

「大豆サラダ」

「へ?」

「大豆サラダ、食べれるようになったんだなぁって、思っただけよ。うん」

「・・・・・・」

 つまり、祥子さまは大豆サラダが嫌いということで。聞けば、豆自体はそうでもないけれど、サラダにした
時のあの豆の食感と他の野菜の繊維質な食感が混ざり合うのがご不快ならしく、祥子さまは見ただけで
いやそうな顔をするのだそうだ。

「・・・じゃあ、申し訳ないことしちゃいましたね・・・」

 わざとではないけれど、嫌いなものがお弁当に入っていたらうれしくはないだろうし。その上、そんなこと
にも気付かず、祐巳一人幸せ気分でお弁当食べていたとなると申し訳なさも五割り増しくらいになる。だ
けど、令さまは。

「そんなことないでしょ、実際美味しそうに食べていたし」

「でも・・・」

「・・・・・・祐巳ちゃん、祥子の好きなもの嫌いなものといえば?」

「へ?」

 完全に落ち込んでいきそうな祐巳に令さまは突然そんな質問をした。
 祥子さまの好き嫌いというと。
 祥子さまは桜が嫌いで、ギンナンが嫌いで、同情が嫌いで、男が嫌い。
 これでは嫌いなものばっかりになってしまうなと必死に考えると、紅茶をよく飲まれていることを思い出し
て、紅茶は好きなのかなと思う。
 目の前にいる令さまは、お料理が好きで、編み物が好きで、由乃さんが大好き。
 祐巳は桜が好きだけど、ギンナンは嫌い。それから、祥子さまのことがとっても好き。

「あら、一つ忘れているわ、祐巳ちゃん」

 祐巳が思ったままを口にすると、令さまはおかしそうに笑ってから祐巳にそっと耳打ちした。

「・・・・・・え?」

「だから、祥子にはとっても美味しいお弁当だったはずよ、きっと」

 令さまは一言そう残すと、紅茶のお代わりを淹れるべく立ち上がってしまった。

「・・・・・・えっと・・・」

 シンクの方へと歩いていく令さまを呼び止めることも、振り返ることもできなくて。顔だけが熱くなっていく
のを感じて、慌てて両手て頬っぺたを押さえたけど、今度は耳まで熱くなってくるから、ぎゅっと目を閉じて
令さまの言葉をもう一度、心の中で復唱した。

 令さまはお料理が好きで、編み物が好きで、由乃さんが大好き。

 祐巳は、桜が好きで、ギンナンが嫌いで、祥子さまのことがとっても好き。

 祥子さまは、桜が嫌いで、ギンナンが嫌いで、同情が嫌いで、男が嫌い。

 だけど。

 祐巳のことが大好き。

 だから、祐巳の作ったお弁当はとっても美味しかったんだよって。

 祐巳を幸せにする呪文のようなその言葉は、いつまでも耳に残って。繰り返されるたびに祐巳の胸に魔
法みたいに染み渡るのだった。


                                       END


 祐巳ちゃんが一年生の時と思われます。大好きな人に手作りのお弁当(はぁと)なんてお話なのに、祥子さまの出番はあまり
なし(汗)。TEXTよりは短いかなと思って小噺になりました。



ネーミングバトル?




「なーなー、でこちん。ここの書式どうしたらいいの?」

「特に指定はないから好きに書いたらいいじゃないのスケコマシ」

「でこちんがこう言っているけど、どうなの女王様?」

「なんでもいいわ」

 祐巳が薔薇の館に来た時にはすでに三薔薇さまの姿があったが、その異様な空気に祐巳の背中
にひやりと汗が流れた。


「えっと・・・」

 いや、三薔薇さまがおかしいのはいつものことなのだが今日も今日とておかしい。おかしいのにどの言
葉が誰を指しているのか尋ねることもなくわかってしまう自分もおかしいのだろうか。


「あら、ごきげんよう子狸ちゃん」

「ガビーン!!」

 スケコマシもとい白薔薇さまがこっちを向いてにっこりと笑ってそういった瞬間、薔薇の館の天井が落ち
てきたのかと思うくらいの衝撃が頭に走った。確かに狸顔の自覚はあるがこうもあからさまに言われるな
んて。


「ひ、ひどいです!気にしているのに」

 好きで狸顔に生まれたわけじゃないのにと心の中で叫んでみるけれど、余計にむなしい。これならまだ
百面相の方がましかも。


「いいじゃない。かわいいしわかりやすいもの」

「そういう問題ではありませんっ。それにどうしてこんなことしているんですか!?」

「あら、嫌?」

 女王様もとい紅薔薇さまは目をぱちくりとさせて聞いてくる。

「嫌というか意味がわかりません・・・」

「意味なんてないわ。おもしろいかそうではないか、それだけよ」

・・・このでこ・・・黄薔薇さまってば。

「とにかくそういうことだから、今日は本名ではなくあてがわれた名前で呼び合うのよ」

 ぴしゃりと言い放つそのお姿はまさに女王様だった。


                                *


「「ごきげんよう、お姉さま方」」

「ごきげんよう、ミスター、青信号」

「「え・・・」」

 ビスケット扉のこちら側で令さまと由乃さんは笑顔を貼り付けたまま固まってしまった。

「あらあら、どうしたの早くいらっしゃいな。ミスターに青信号」

 黄薔薇さまはさもおもしろそうにそう繰り返す。鬼だこの人。しかもぴったりだから余計笑えないんですけ
ど。


「これはいったいどういうことでしょう?」

 固まったまま動かない令さまを押しのけて由乃さんはぐるりと部屋を見回した。輝くような笑顔が眩しす
ぎて怖い。


「今日は、ニックネームで呼び合うの。ぴったりでしょう?青信号」

 黄薔薇さまに負けず劣らずニヤニヤ笑いながら白薔薇さまがそういったけれどそこは由乃さん、ひるん
だりしない。


「まぁ、じゃあさしずめ白薔薇さまはタラシかしら」

「残念。スケコマシでした」

 微笑み会う二人、というより由乃さんと三薔薇さまの間に火花が見える。何とかしなきゃと思いながら令
さまを見るけれど、令さまは立ち直るどころかどんどんどつぼにはまっていっているみたいに青い顔で何か
ぶつぶつ言っている。


「ミスターって・・・ミスターって・・・この前ワンピース買ったばっかりなのに・・・今度のお休みはそれを着
て由乃と出かけるのに・・・」


 それは・・・。いやみなまで言うまい。とりあえず、これ以上被害者が増えませんようにと合掌。


                              *


 生きる屍となった令さまは放っておくにしても、相変わらず由乃さんと三薔薇さまは臨戦態勢だ。

「青信号、お茶入れてくれる?」

「ええ、かしこまりましたわ。でこっぱちさま。ああ、でこちんでしたっけ?眩しすぎて一瞬わからなくなって
しまいましたわ」


「まぁ、たまには色を青色から赤色にして脳みそを使う必要がありそうね。あなた」

 うう〜こわいよぅ。お母さーん。祐巳が助けを求めて辺りを見回し始めたとき、再度ビスケット扉は開かれ
た。


「ごきげんよう、皆さま」

 優雅にふわふわ巻き毛を揺らしながら登場したのは志摩子さん。ああ、志摩子さんこの空気をどうにか
して。そんな無理難題な願いを込めて祐巳は志摩子さんをみつめた。


「ごきげんよう、銀杏」

「え?」

 志摩子さんは一瞬きょとんとした表情になったけれど、すぐにふわりと微笑んだ。

「まぁ、お姉さまったら・・・」

 はにかむように微笑みながら志摩子さんは白薔薇さまをみつめた。みつめられた白薔薇さまも優しい瞳
で志摩子さんをみつめ返す。何、この空気は。なぜそこで分かり合っているのだこの二人は。よくわから
ないけれど二人だけの世界を醸し出している白薔薇姉妹を目の前に祐巳が再度頭を抱え込みそうになっ
たとき、最後の住人がやってくる足音が聞こえた。

 ゆっくりと音を立てないように、滑らかに階段を上って来るこの気配は―――。

(お、お姉さま・・・!)

 まぁ、この場にいるのは白と黄の姉妹に紅薔薇さまと祐巳なのだからやってくるのは必然的に祥子さま
だけなのだけれど。今はまずい。何がと言われても困るけれど、祥子さまのヒステリーの元がここには間
違いなく待ち受けているのだ。


(逃げて、お姉さま!)

 もうよくわからないけれど、祐巳が心の中でそう叫んで祈るように胸の前で手を組んだところで、無常に
も扉は開かれた。


「ごきげんよう、皆さま」

 バックに薔薇の花とバロック音楽を背負い、花開くような微笑と共に祥子さまがビスケット扉を開けた。
いつもと変わらない美しいお姉さまに、一瞬だけこの場の最悪な雰囲気も忘れて祐巳はときめいたけ
れど。

「ごきげんよう」

 祐巳のそんなささやかな幸せは白薔薇さまの声と共に打ち砕かれた。

 ごくり。

 息を呑んでただただその場を凝視することしか出来ない。何を言うつもりだこの人は。吹き出てきた汗を
ぬぐうことも出来ず、固まってしまった祐巳の耳に最後の通告が届いた。


「ごきげんよう、むっつりスケベ」

「・・・・・・!」

 落雷。

 いや、雷が本当に落ちてくるわけなんてないけれど、確かに雷はやってきたのだ祐巳と祥子さまの頭上
に。もう盛大に。


「あははははははははは!!」

 雷だと思っていたのはどうやら祐巳と祥子さまを除く山百合会の面々の笑い声。もう大爆笑だ。令さまま
で・・・。


「な、な、な、何なんですの!?」

 白薔薇さまの言葉に一瞬絶句した祥子さまだったけれど、轟音で我に返ったらしく額に何本も青筋を立
てて喚いた。


「祐巳!」

「はっはいぃ!!」

「あらあら、祐巳ちゃんは何も言ってないわよ?」

 どうやら祐巳がまたぽかをしたと思ったらしく般若のようなお顔で迫ってくる祥子さまに、白薔薇さまが愉
快そうに声をかける。


「だったら、なぜ。そんな不快な単語を私に浴びせる必要があるのですか!」

 祥子さまは眉を吊り上げたまま視線を祐巳のほうから白薔薇さまの方へ向けるけれど、そんなことにひ
るむはずもない白薔薇さまはにたりと不敵な笑みを作った。


「私は知っている」

「え?」

 白薔薇さまは椅子から立ち上がって祥子さまの前まで歩み寄ると人差し指を上に立てて、わざと低い声
を作って響かせた。


「リボンを調えるふりをして、祐巳ちゃんの耳に息を吹きかけている」

「!」

 白薔薇さまがそう言った途端、電流を流されたみたいに祥子さまの身体はびくりと震えた。
 あれ、そう言えばリボンを直してもらう時にはなんだか遠くへ行っちゃいそうな気分になって
いた気がする。


「タイを直すふりをして、実はその胸元を覗き込んでいる」

「!!」

 びくん!とまた祥子さまの身体がはねる。
 そういえば最近、タイ直しの時間がよくあるなぁなんて。

「祐巳ちゃんの頬に触れさせる前に手のひらに口付けている」

「!!!」

「え、ええ!?」

 そ、それって、それって。ほっぺにチュウ?祥子さまから!だから頬に触れてもらった時にあんなにどき
どきしていたのか。


「そういうの、むっつりスケベって言うの」

 ガターン!

「お、お姉さま!!」

 祐巳がおろおろと見守る中、聖さまのトドメの言葉が終わるか終わらないかの所で、耐え切れなくなっ
たのか祥子さまは派手な音を立てて卒倒した。


 ――――――合掌。


                                 *



「そのうち目が覚めると思うけれど」

 後輩たちをおもちゃにして遊ぶのにも飽きたのか、そんな冷たい言葉を残して薔薇さまたちはそれぞれ
に家路へと向かっていった。白薔薇さん家と黄薔薇さん家はその妹たちも連れて。うう、紅薔薇さま、私た
ちも連れて帰ってください・・・。


「う・・・ん」

 縋るように窓辺から紅薔薇さまの後姿を眺めていた祐巳の耳に、微かな吐息のような声が届いて振り
返ると、眉を顰めて首を振っている祥子さまが見えた。


「お姉さまっ、大丈夫ですか!?」

 倒れたって言っても怪我や病気ではないから大丈夫なんだろうけど、もしかしたら倒れた時に頭でも打
っているかもしれないし。そう思って慌てて傍らに膝をつくと、祥子さまはやっぱり眉を顰めたままでふいと
顔を横へ向けた。


「してないわ」

「へ?」

「そんな不埒なこと、しないわ」

 目覚めて最初の一言が「してない」とは。どの状況を継いでとかそういう説明を一切省くものだから一瞬
目が点になってしまった。


「あの」

「私はむっつりスケベなんかじゃないわ」

「・・・・・・」

 だったらライトにスケベとか言われた方がいいんだろうか。いやいや、そうじゃなくて。どうやら祥子さま
の頭の中では気絶する前に遡っているらしい。ぷーっと頬を膨らませて明後日の方向を見ている祥子さま
のご機嫌は、この問題が解決するまでは直りそうにもない。


(・・・かわいい)

 ごめんなさい、マリア様。祐巳はだめな子狸です。
 夕焼けに赤く照らされた部屋の中でそう懺悔をしながら、祐巳は何も言えずに祥子さまをみつめた。ど
れくらいかかるのかな。祥子さまのご機嫌が直るの。


「・・・・・・祐巳も私のことをそんな風に思っているの?」

「はい?」

 でれでれと見惚れていたら、祥子さまが唐突に目も合わさずにそんなことを言うから。

「えっと・・・」

 考える間もなく言葉が口をついて出てしまった。

「こっそりしなくても、私はいつでもオッケーです」



                              EMD

すみませんすみませんすみ・・・いや、祥子さまは間違いなくむっつりさんかと・・・(殴)


真夏の一コマ



「私に一つ提案があるのだけれど。聞いてくれる?」

 祥子さまは悪戯っぽく笑ってそう言うと、掴んだ手首をそのままに祐巳を引き寄せた。

「あ、はい」

 お姉さまからお許しいただいた祐巳は、尻尾をふって喜ぶ子犬のように嬉々として祥子さまをみつめた。
もう何でも聞いちゃいます。そんな感じで。

「さっきの話、ご破算にするにはもったいないと思わない?」

 祥子さまは柔らかく微笑んで、はしゃぐ祐巳を更に引き寄せて肩を抱く。

「そ、そ、そうですねっ」

「だから、それをそのまま使わせてもらうって言うのはどうかしら・・・」

 祥子さまは祐巳の耳に息を吹き込むようにそう囁く。いつの間にか祐巳はしっかりと祥子さまの腕の中
に収まっていて。祥子さまの唇が触れるか触れないかぎりぎりの近さまで耳元に寄せられていた。

「祐麒さんの台詞の部分を・・・」

「〜〜〜〜〜っ・・・」

 密談なのだから仕方がないのかもしれないけれど、そんなに近くで囁かれると妙に意識してしまう。
激しすぎる自分の脈拍のせいで、内容がきちんと頭に入ってこない。

「ね?祐巳、どうかしら?」

「ん・・・・・・」

「祐巳?」

「ふぇ?あ、や、はいっ。それでいいと思いますっ」

 どこか遠いところへ飛んでいっちゃいそうになっていた意識が、祥子さまの凛とした声に何とか呼び戻さ
れて祐巳は慌ててそう答えた。

「ちゃんと聞いていて?」

 祐巳の不審な返答に祥子さまが訝しそうに眉を顰めるから、悪戯がばれた子どもみたいにおろおろと
首を振った。

「聞いてます、聞いてましたっ」

 聞いていたけれど内容が頭に入りにくかっただけで。それでも断片的に入ってきた単語を必死に組み
合わせるとなんとか祥子さまの言おうとしていることは理解できた。

「そう、よかったわ」

 祐巳がこくこくと首を縦に振り続けるのを確認すると、祥子さまは華ひらくように微笑んだ。

 ああ、お美しい。

 うっとりとその微笑に魅入られながら、祥子さまにこんな表情をさせたのは自分なのだと思うと、身体中
がとろとろに溶けてしまいそうなくらい幸せな気持ちになってしまう。

「お姉さま・・・」

 呟いてそっと祥子さまを窺うと自然に目と目が合って、祥子さまの指先が優しく頬に触れてくれると同時
に自分でもわかるくらいに甘い吐息が漏れて。祥子さまの腕の中でくったりと力が抜けてしまった。

「祐巳」

 祥子さまも一層祐巳を抱きしめる腕に力を込めて、鼻先が触れ合うくらいの距離の中、濡れた瞳でじっと
祐巳をみつめてくる。
 そういえば、(恐れ多くも)祥子さまをだまし討ちするって決まってからこっち、こんなふうに祥子さまとみ
つめあうことってなかった。後ろめたくてまっすぐに祥子さまを見られなかったからに他ならないけれど、久
しぶりに見る祥子さまの瞳はやっぱりきれいだった。

「そういえば」

 あと少しで唇と唇が触れ合うという距離で、祥子さまは再び悪戯っぽい笑い声を零した。

「え?」

「未遂でも、私を欺こうとしたことに変わりはないものね・・・」

 うぐ・・・。
 そこをつかれると何も言えなくなってしまう。気まずさに黙り込んでしまった祐巳に祥子さまはおかしそう
に笑うと、人差し指で祐巳の頬を撫でた。

「・・・ゃ・・・・・・」

 人差し指で円を描くように何度も頬を撫でられながら、唇にふっと息を吹きかけられて、じりじりと焦らされ
るような感覚に思わず呻いてしまうと、祥子さまはもう一度笑い声を零した。

「だから・・・そうね、さっきの計画が成功したら、ご褒美をあげることにするわ」

 私は根に持つタイプなの、そう付け加えて祥子さまは祐巳の唇に人差し指を押し当ててから、心底楽し
そうに抱き合っていた身体を離した。

「そ、そんな・・・」

 そりゃ、確かに祥子さまをだまそうなんてこと考えていた祐巳が一番悪いのだけれど。ここまでしておいて、
途中止めなんてあんまりだ。

「お姉さまぁ・・・」

 涙がポロリと零れそうになりながら祐巳が情けない声を上げると、祥子さまは澄ました顔でそれを流す。

「そういうことだから、きちんと成功させてくれなければだめよ」

 そう言って、祥子さまはそっけなく前を向いて歩き出す。
 だけど、向こう側を向く瞬間、ちょっとだけ唇を尖らせて、拗ねたような表情で付け加えた。

「でないと、祐巳にキスできないもの」

−−−って。


                                       END

 ミネタは暑くて脳みそが溶けちゃっているようです・・・。


花寺の合戦舞台裏?



「あ、ここがお姉さまのお席ですね」

 櫓にくくりつけられた椅子に座って見せながら、頑丈だから大丈夫ですと付け加えると、祥子さまは少し
だけほっとしたような顔をして、祐巳と入れ違いでそこへ腰掛けた。

「ね?大丈夫でしょう?」

 席についた祥子さまの表情が幾分か緩んだのを見た祐巳は、後ろから明るい声でそう言う。

「・・・・・・」

「お姉さま?」

 もしかしてやっぱり怖いのかな、そう思って屈むようにして祥子さまの顔を軽く覗き込もうとしたところで、
祥子さまが唐突に呟いた。

「・・・てくれたら、大丈夫かしら」

「へ?」

 野外で風もそこそこ吹いており、何より地上からはざわざわともののふどもの呻き声、もといざわめきが
聞こえてくるので、うまく聞き取れない。もう一度確認するように祥子さまのお顔のすぐ横に耳元を持って
いくと、はにかんだような囁きが吹き込まれた。

「祐巳が後ろから支えてくれたら、大丈夫よ」

「・・・・・・えっと?」

 一瞬何を言われたのかわからなくて、目を丸くすると祥子さまはさも当然といった風に言葉を続ける。

「してくれるでしょう?」

「・・・・・・ちなみにどのように?」

「言葉の通りよ。後ろから私を抱きしめなさい」

「・・・・・・・・・」

 言っていることは駄々をこねる幼児と同じなのに、あまりに自然な命令口調に暑さのせいだけではなく、
くらりとした。それなのに。

「・・・祐巳は不安に苛まれている姉を見殺しにするつもりなのね」

「・・・します。させてください」

 多分櫓の下からは上の様子なんて見えないだろうから、姉妹の抱擁を花寺の皆様に大公開なんてこと
にはならないはずなんだけど。

「早くなさい」

 そんな祐巳の苦悩なんてまったくお構いなしの祥子さまは、そう言って抱擁・・・いやいや、後ろから支
えるようにとせっつく。

(甘えん坊だなぁ・・・)

 祥子さまに聞こえないようにそっとため息をついてから、祐巳は緑の黒髪ごと祥子さまの細い身体をふ
んわりと包む。

「これなら、大丈夫ですか?」

 耳元で囁くように確認すると、祥子さまは素直にこくんとうなずいた。
 座っている祥子さまに合わせて少し屈むようにすると、立っていた時よりも少しだけ視線がおろされて、
真下の状況は視界には入らなくなったけれど、意外にも視線が低い方が足元とその先の境界がより近く
なって心もとない感じがした。

(あれ?)

 祥子さまのお腹の辺り似まわした両手を組もうと視線を落とすと、その先に祥子さまの白い手が震えて
いるのが見えた。

(そっか・・・)

 ダイレクトに地面が見えなくなったからと言っても、高いところが怖い人にとっては、やっぱりこういう心
もとない足場は不安なんだ。そう納得すると、さっきまでの祥子さまの少々高ビーな態度も強がりの裏返
しに思えて、なんだか可愛くて仕方なくなってしまった。

「大丈夫ですから」

 震える白い手ごとぎゅうっと抱きしめて、耳元で優しく囁く。愛しいお姉さまの不安が少しでも早く消え去り
ますようにと願いを込めて。

「ええ・・・」

 そう答えると、祥子さまは祐巳の腕の中で少しずつ、強張った身体から力を抜いていった。

「もしかしたら、遠目からだと祐麒さんに抱きしめられているように見えるのかしら?」

 祥子さまがそんなことを言い出したのは、祐巳が細い身体を抱きしめて、さりげなく(役得)その黒髪に
顔を埋めた時だった。

「へ?」

 思わず髪から顔を上げて祥子さまを覗き込むと、楽しそうに微笑んでいて。冗談がいえるほどの余裕が
出てきたのだとも思えたけれど、何故だか素直に喜べない自分がいた。
 そりゃ、今祐巳は祐麒の制服を着ていますけど。ぱっと見はまさしく福沢家のおとうさんスタイルですけ
れども。
 いや、そもそも問題なのは祐麒と間違えられることではなくて。
 祐巳以外の人に抱きしめられるなんてことを一瞬でも祥子さまが考えたことに、言いようのない苛立ちを
覚えてしまった。

「私と祐麒は同じ狸顔ですもんね」

 ぼそり。

「え?」

「同じ狸顔なら、どうせなら私より力の強い祐麒の方がいいですよね」

「祐巳?」

 祥子さまが驚いたような顔をして、ゆっくりと振り返った。
 やめないとって心の中ではそう言っている自分がいるのに、口が勝手に動いて止まらない。困ったよう
な顔をして祐巳をみつめる祥子さまを見ると、申し訳ない気持ちと、言いようのない嫉妬が胸に渦巻く。
 そう、嫉妬。というより焦り。
 祐麒に対して、じゃない。普段は考えもしないのに花寺みたいに男の子ばかり集まっているところにい
ると唐突に湧き上がってくる。子どもみたいな独占欲。
 手足が長くて、背も高くて、力も祐巳なんかよりずっと強い男の子に、祥子さまを取られてしまうんじゃな
いかなんてことを想像して不安で仕方なくなる。それに追い討ちをかけるみたいに、冗談でも祥子さまに
そんな事を言われたら、胸のふてくされ虫が暴れ出してしまった。

「祥子さまは顔が同じなら、祐巳でなくてもいいんだ」

「そんなこと言っていないでしょう」

 何、無茶苦茶なことを言っているんだって言った直後に後悔したら、案の定祥子さまがぴりぴりした声色
で否定する。
 勝手にふてくされている祐巳が悪いんだって頭ではわかっているけれど、祥子さまにそんな風に言われると、
お母さんに怒られた反抗期の子みたいに頬っぺたを膨らましてしまう。

「・・・じゃぁ・・・・・・たら、いいじゃないですか・・・」

「え?」

 もう一度ぎゅうって後ろから祥子さまを抱きしめながら、独占欲でいっぱいのまま祐巳は吐き捨てるよう
に呟いた。

「祐麒に支えていてもらったらいいじゃないですか」

 言いながら、祥子さまの耳たぶを八つ当たりみたいに甘く噛む。

「・・・・・・っ・・・」

「?」

 言い捨てたまま、しがみ付くように祥子さまの首筋に顔を埋めていたら、短く息を飲むような音と同時に
肩がぴくりと震えたのを感じて祐巳は顔を起こした。

「っく・・・・・・」

「え?・・・・・・あ、・・・」

 覗き込んだ先の祥子さまの瞳には、きらきらと涙の雫が今にも零れ落ちそうなくらいたまっていた。

「ご、ごめん、なさいっ、ごめんなさいお姉さま」

 それを見てやっと我に返った祐巳は、慌てて祥子さまの前方にまわって必死で頭を下げた。落とした視
線の先で一度は治まっていた震えが指先から立ち起こっていて、今更ながら申し訳ない気持ちでいっぱ
いになってしまった。
 いくら独り占めしたいからって、祥子さまを悲しませたら何の意味もないのに。

「・・・・・・祐巳がいいと言ったわ・・・」

 必死に耐えるみたいに祥子さまは涙が零れそうになるのを堪えながら、ぽつりと言った。

「え?」

「『祐巳が後ろから支えてくれたら大丈夫』と言ったのに・・・」

 いつもなら。祐巳が駄々っ子になってしまった時には、お姉さまらしく宥めてくれる祥子さまが、
眉を顰めて、涙を堪えて、小さな子どもみたいな声でもう一度呟くから。

「はい・・・」

 祐巳は傍らに膝をついて、震える白い手をもう一度包み込んだ。

「あの、ごめんなさい・・・お姉さま」

「・・・・・・ばか」

「はい」

 包みこんだ祥子さまの手の甲に、「ごめんなさい」の代わりにキスをして。

「祐巳が、側にいます」

 今度こそ、お姉さまを心から抱きしめようって胸の中で誓ってからそっとそのお顔を見上げると、
お姫様はうれしそうに微笑んでくれたのだった。

                                *

「おーい、祐巳」

 祐巳と祥子さんから遅れること数分、祐麒が櫓に上がると、何ともいえない暖かい空気があたりに立ち
込めていた。

(?なんだ?)

 心なしか、赤み掛かっているというか、ピンクというか視界の中の空気が微かに色づいている気がする

「お前ずっとここにいる?階段片付けたいんだけど」

 もやもやとした雰囲気に戸惑いつつも尋ねると、祐巳はさも当然のように。

「三人だと、やっぱり狭いかな」

 なんてことをのたまう。

「最初だけ見させて。様子を見て、下りるから(多分)」

「・・・・・・」

 下りんだろ。

 最初だけなんて言いながら、何故だか祥子さんを後ろからぎゅうっと抱きしめて答える祐巳にそう思わ
ずにはいられない、夏の午後だった。


                                END

 「そうね」から「おーい、祐巳」までの二行の間にこんなことが・・・(殴)す、すみません。
いえ、ミネタは涼風さつさつがとっても好きなんです、はい。いつも拗ね拗ね祥子さまに困らされる祐巳ち
ゃんなので、今日は逆に祐巳ちゃんに拗ね拗ね虫になってもらいました(おい)。みもふたもなくただの
バカップル話でした。そんなこんなで、ごきげんよう。


あいのことば


「・・・・・・・・・・・・」

 そろそろ声をかけた方がいいのかしら。
 先程からそう思いながらも、結局動かずに祐巳の好きにさせている。朝日が差し込む部屋の中、目覚め
た時には既にその感触が背中にあり、漣のように繰り返されるその感覚にしばらくは心地よくまどろんで
いたのだけれど。

「・・・・・・・・・・・・」

 祐巳がまた、頬をすり寄せた背中にせっせと指先を走らせる。いつ終わるのかもしれないくすぐったい感
覚に祥子はついに大きなため息をついた。

「あ、起こしてしまいましたか?」

「・・・起こすも何も。あなたいつまでそうしているつもり?」

「だって」

 あえて振り向きもせずそっけなく言うと、祐巳はもごもごと口ごもってから祥子の背中にしがみ付く。その
くせくすくす笑っているものだから、じゃれつく悪戯っ子のようだ。

「・・・・・・好きになさい」

 呆れたように祥子はもう一度ため息をつくけれど、祐巳はめげることなく先程までと同じように祥子の背
中に指先を走らせて文字を書いた。

 私もよ。なんて言ったらどうなるのかしらね・・・・・・。

 ふと思いついてくすりと笑みが零れたけれど、祐巳は気付いた様子もなく最後の一文字まで書き終えて
ぎゅうっと背中にしがみ付いて頬を押し付けた。

 『おねえさまだいすき』

 そう書いた祥子の背中の上に。

                              END

 0930な小噺。いえ普通にいちゃラブしているところが好きというだけの・・・(汗)



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