涼風凛凛 7




「・・・よかったですか・・・?」


 甘く乱れた吐息を耳の奥に感じながらうっとりと身体をベッドに沈ませると、不意にそんな
言葉が口をついて出た。瞬間、祐巳にシーツを掛けてくれようとしていた祥子さまの動きが止
まる。


(あれ・・・?)

 余韻に浸っていた祐巳はその言葉の意味など深く考えていなかったけれど、目をぱちくりと
させている祥子さまを見て、自分の言った言葉を頭の中で復唱してみる。


―――よかったですか?―――

(・・・ってなにが!?)

「それはこっちの台詞でしょう?」

 祐巳が訂正する間もなく祥子さまはそう言って苦笑した。確かに。祐巳はお返しする余裕も
ないくらいに祥子さまから与えられる悦びに乱れていた。柔らかい唇が、温かい舌が、たおや
かな指先が祐巳の身体全て、余すところなく触れてくる狂おしい感覚にただただ祥子さまにし
がみ付くしかなかった。

 思い出すと恥ずかしくて、それなのに火照った身体が悩ましくて、まごつきながら祥子さま
を窺うと悪戯っぽく微笑む瞳と視線がぶつかった。


「よかったの?」

「・・・・・・!」

 意地悪だ!祥子さまは意地悪だ!
 真っ赤になった顔が恥ずかしくて、ちょっとだけ悔しくて掛けてもらったシーツに包まるよ
うにして顔を押し付けた。その上から祥子さまの楽しそうな笑い声が聞こえてきて、近くに感
じるようになったと思ったら祐巳の包まっているシーツにするりと入り込んだ。


「どうして隠れるの?」

 シーツの中にいても、その表情が愉快そうなものであることがわかって尚更恥ずかしい。

「だって・・・」

 言い返そうとしたら、からかうように唇にキスされた。

「もう・・・」

 恥ずかしくて、ちょっとだけ悔しくて拗ねて見せていたのに、じゃれあうようなキスに全て
取り払われてしまう。キスの合間に漏れる祥子さまのうれしそうな声に祐巳までつられてうれ
しくなる。
 だけど、何度も何度もキスを繰り返していると触れるだけのものなのに、胸に残っ
た埋まり火がちろちろと燻ぶり始めるのに気づいてしまった。


(触れたいな・・・)

 無防備な表情に、耳に心地良い声に、吸い込まれるように祐巳は祥子さまに抱きついた。

「甘えん坊ね」

 祥子さまはしがみ付くように抱きついて胸に顔を押し当てる祐巳の髪をあやすようにそっと
撫でてくれたけれど。ぴったりとくっついて、祥子さまの体温や甘い匂いを感じていると、そ
んな穏やかな触れ合いすらももどかしく感じる。もっともっと、触れたい。子猫が甘えるよう
に胸元に舌を這わせても、緑の黒髪の下の白い背中に指先を滑らせても、全身をさざめかせる
この燻りは治まりそうにもない。


「ん・・・っ」

 頭の上から聞こえてくる切なげな声は、祐巳の中で燻っていた残り火を瞬時に燃え上がらせ
る位に甘く、扇情的で。


「お姉さま・・・」

 祐巳の小さな手では包みきれないくらいの豊かな胸にそっと触れながら、その間に顔を埋め
るようにして頬擦りすると、とても気持ちよかった。

 ひとしきり甘えるように祥子さまの胸の感触を味わってから顔を上げると、眉を顰めて少し
だけ非難するような表情をした祥子さまと目が合った。


「・・・こら」

 めっ!という表情で祐巳を見る祥子さまがかわいくて、うれしい。

「・・・私も、お姉さまに触れたいです」

 ちょっとだけ恥ずかしくて、恐れ多くて、それでも何とか絞り出された声は自分で思ってい
たよりもずっと震えていたけれど。祥子さまは怒ったりしなかった。


「祐巳・・・」

 祥子さまは少しだけ困ったように微笑んでから、そっと瞳を閉じてくれた。
 祐巳がおずおずと肩に手を置くと祥子さまはぴくりと震えて、キスする直前にみつめた睫も
少しだけ震えていて。もうそれだけでどきどきして、しばらく見惚れていたら、祥子さまが焦
れたように喉の奥で甘く呻くから、どうしようもない位に胸が熱くなってしまう。

 手と手をあわせて、指と指を絡ませて。もう一度みつめ合ってから触れた唇はとても熱くて。
求めるように抱きしめられると、もう他には何もいらなかった。

 祥子さましかいらない。本気でそう思った。


                        *     *     *


 カーテン越しの柔らかな朝の光と、微かに聞こえる小鳥のさえずりが、祐巳の意識を優しく
揺り起こす。そんな穏やかな朝。


「うにゃ・・・」

 ぼんやりと目を開けるとそこはいつもの天井、ではなくなんだかゴージャスな天蓋。未だに
はっきりとしない頭で考えるが、よくわからなくて幼児のようにごしごしと目をこする。軽く
頭を振っていると隣から規則正しい寝息が聞こえてきた。


「〜〜〜〜〜〜〜!?!?!?」

 目の端にその人が映った途端、起こしかけた身体がそのまま勢いよく仰向けに倒れた。

(ど、ど、ど・・・)

 いつもならあり得ない幸福な目覚めに、祐巳は軽いパニックに陥ってしまった。
 自分のものではないその穏やかな寝息は、隣で眠る美しい人のもので。
 シーツの中、伝わってくる柔らかい温もりは、間違いなく愛しい人の体温で。

(そういえば、昨日はお姉さまのお家に泊めていただいたんだっけ・・・)

 しばらく目を瞬かせていたが、徐々に頭に上っていた血が引いてきたのか何とか思考を再開
することが出来た。


(お姉さまと一緒に食事をして、それから・・・)

 そこまで考えてから急に気恥ずかしくなってもぞもぞとシーツに包まると、祥子さまの体温
や甘い匂いをより一層近くに感じて。頭の中に昨夜の光景が鮮烈に蘇って頬が熱くなった。


(・・・夢、じゃないよね・・・?)

 そんなことを思いながらそっと隣を窺うけれど、無防備な寝顔も、裸の肩も、その肌の所々
に見える小さな赤い跡も、全てが昨夜のことが夢でないことを祐巳に教えてくれた。

 その肩に頬でそっと触れると、少しだけひんやりとしていたけれど。二人で寄り添いあって
迎える二度目の朝に胸がくすぐったくなって笑みがこぼれた。


「・・・・・・ゆみ?」

 肌に感じる祐巳の髪にくすぐったそうに肩をすくめてから祥子さまはぼんやりとそう言った。
寝起きの掠れた声が、なんだか子どもみたいでかわいらしかった。


「おはようございます、お姉さま」

「おはよう」

 『ごきげんよう』ではなく『おはよう』と言い合うのは少しだけ照れくさくて、いっぱいう
れしくて、祥子さまの首筋に額をくっつけてくすくすと笑ってしまった。でも、祐巳の髪に祥
子さまの頬が揺れながら触れてくるから、祥子さまも笑っているんだってわかる。二人で笑い
あいながら、頬と頬で触れ合って、くすぐりあってからお互いに寄り添ってキスをした。やん
わりと大切な人を包み込むように抱き合いながらする『おはよう』のキスは、とても暖かかっ
た。


「朝ご飯にしましょうか」

 唇と唇を触れ合わせるだけの穏やかなキスが終わると、祥子さまはそう言って身体を起こし
た。


「あ、はい」

 もっと、触れ合っていたいとも思ったけれど、祐巳が昨日のように雰囲気ぶち壊しのかえる
の独唱を鳴り響かせてしまわないように気を使ってくださったのかもしれないと考えるとなん
だか申し訳ない様な、助かった様な複雑な気持ち・・・。一人でそうやって考えていたらくす
くすと笑い声が聞こえてきた。また百面相を披露してしまったらしい。


「な、なんでしょう?」

 せっかく空気を壊さないように気を使っているのに、隣で一人忙しく赤くなったり青くなっ
たりしている人間を見ればもう笑うしかないのだろうけれど。もそもそと起き上がりながら、
祐巳はちょっとだけ唇を尖らせた。


「何でも・・・ああ、そういえば・・・」

 くすくす笑いをごまかすみたいにさらさらの黒い髪をかき上げていた祥子さまは、何か思い
ついた様子でそう呟くと、はにかんだ様に笑って祐巳をみつめた。


「?」

「よかったわ」

「な・・・・・・!?」

 こんな時に限って、言われた瞬間にその言葉の意味がわかってしまって頭にまでカァッと血
が上った。


(やっぱり祥子さまは意地悪だ!)

 昨日のことを言われているんだろうけど。からかっているんだろうけど。恥ずかしいったら
ない。何もあんな理性が溶けかけている時に言ったことを蒸し返してからかわなくてもいいじ
ゃないか。


「なっ、なっ、あぅ・・・」

 何と返して良いのかわからなくて真っ赤になって固まる祐巳の横で、祥子さまはくすくすど
ころかお腹を捩る様にして、くの字になって笑い転げていた。


「お、お姉さま!」

 あんまりな扱いに咎めるように抗議の声を上げるけれど、祥子さまはお構いなしにたっぷり
と三分間は笑い続けた。


「・・・もうっ・・・」

「ふふふ・・・悪かったわ、そんなに拗ねないで」

 居たたまれなくて、恥ずかしすぎて、祐巳が頬を膨らませて真っ赤になった顔をぷいっと反
対方向へ向けると、祥子さまは本当に反省しているのか疑わしい位に愉快そうな声で謝ってく
る。本当は全然怒ってなんかいなかったけれど、恥ずかしさと、ちょっとだけ困らせてみたい
気持ちでずっと横を向いていたら、右肩に二回ぎこちなくて、微かな感触が訪れた。物足りな
い位のほんの少しの触れ合いなのに、前にもこんなことがあったみたいに感じて、なんだかど
きどきした。


「お詫びに、朝ごはんの用意は私がするわ」

 微かに笑いを含んでいるけれど優しい声が耳に届いて振り返ると、祥子さまがベッドから出
ようとしているところだった。シーツから抜け出た祥子さまの肌は透き通るように白くて。一
糸纏わぬ姿なのに、そこに昨日の激情の面影はない。降り注ぐ朝日を浴びながら立ちあがる祥
子さまの姿は、まるでマリア様みたいに神々しく輝いて見えた。


(きれいだな・・・)

 釘付けられたみたいに見惚れていたら、祥子さまは不意にこちらを向いてしばらく祐巳をみ
つめた後、眩しそうに目を細めてから囁く様に呟いた。


「きれいね」



END 

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