Past is 4



「どうして、あなたにそんなに不機嫌にされなきゃならないの」

 珍しく感情をあらわにして、みちるはそう噛みついた。

 ふわふわのワンピースは小花柄の見慣れた部屋着。スリッパをつっかけた足は素足
のままで、今日の彼女がどこへも出かけて行かないことを教えてくれた。


「別に・・・。そんなつもりないけど?」

 ソファに浅く腰をかけて、背中に重心を置いたままはるかは答えた。もう、意識し
なくてもぶっきらぼうな口調が身体になじんでいるみたいだった。


 最初は、困ればいいと思った。少し考えれば、はるかに素っ気なくされたぐらいで、
みちるが意識なんてするわけがないと気が付くはずなのに、そこのところは深く考え
ていなかったらしい。


 けれどそれにようやく気が付いて、はるかは輪をかけたように不機嫌になる。相手
にしてもらえなくて拗ねているのだと自分でもわかった。


 それから、今日。そうすることが当然のスタイルのようにはるかはいつも通りの声
色で答えただけだった。


「それなら気が付いた方がいいわ。話しかけてもろくに返事もしてもらえないし、煩
わしそうに視線を背けられて。毎日よ?普通の人間なら、それは不機嫌にされて避け
られているのだと思うものよ」


 だから、彼女がそんな風に感じていたなんて、素直に驚きの対象だ。自分の言動が
そう捉えられているとは思ってもみなかった、なんて言うつもりはない。自分が意図
したとおりに感じていたと言うことに驚いているだけ。いつも穏やかなまま過ごして
いるような彼女が、はるかの立ち居振る舞いに感情を左右されるだなんて考えたこと
がなかったのだ。


 みちると話なんてしていない。けれどそれは特別珍しいことじゃないはずだ。彼女
には予定があって。はるかにも予定があって。それらが交わることなんてない。だか
ら二人は平行線のまま、視線も言葉も交わさない。時折重なり合う日常が、二人がと
もに歩いているかのように錯覚させるだけなのに。彼女はどうしてそれに気が付かな
いのだろう。


「僕の一挙一動が一々鼻につくわけ?それこそ自分の考え過ぎだとか思わないの?そ
んな逐一上げ足とられたらたまんないよ」


 同じ部屋で、同じように呼吸をして、言葉を交わしている。それはとても幸福な瞬
間のはずなのに、どうしてはるかはそれを大切にできないのだろう。


 原因は。考えたくもないけれど、きっとあの夜だ。

 勘ぐるつもりなんてない。彼女にくっ付いている男なんて、見る度に変わっている
のだから。けれどそれを頭で理解するのと、視覚で認識するのとでは、胸に響く音に
雲泥の差があるのだろう。


「何ですって?」

 はるかの言葉に、みちるが形の良い眉をつりあげる。凛と強張った表情は、あの戦
いの後ではやっぱり珍しい。


「何で君にそんなこと言われなきゃいけないのかってことだろ。僕がいつ、君の行動
を制限した?したことないだろ。だったら君も放っておいてくれないかな」


 何に怒っているのだろう。そう思いかけて、はるかのこのふてぶてしい態度にこそ
腹を立てているのだろうと理解する。けれど、それほどまでに感情を起伏させる理由
までは理解できなくて、はるかは彼女を傷つけるような言葉しか選べない。


 踏み込んでくるな。

 猫が毛を逆立てるように、声で、視線で、表情で彼女を威嚇する。

「そういうことを言っているんじゃないわ。わからないの?私はどうしてあなたがそ
んなに苛立っているのか教えてほしいと言っているだけよ」


 だからといって、そんなポーズで怯むことも、はるかの子ども染みた言葉に傷つい
て見せることもない彼女は、つりあげていた眉を苦しげにひそめてそう言い募る。


 こんな顔をさせたかったわけじゃないのに。

 今日までのことを棚に上げて、ふとそんなことを思う。だからって、時間を巻き戻
して何もかもなかったことになんてできるわけじゃないことは、ここ最近で身にしみ
てわかっている。


 多分これまでのはるかの言動全てが、間違っているんだ。だから今更右に出ようが
左に出ようが、正解になんて出くわすはずがない。


「だから。放っておいてくれって言ってるだろ。それが答えじゃないか」

 自分勝手に自棄になりながらそれだけ吐き捨てると、ひどく感覚が高ぶっていく。

 こんな顔をさせたかったわけじゃないんだ。

 でも、こんな風に、彼女が懸命に言葉をぶつけてくることが、気持ちを弾ませて仕
方ない。


 雁字搦めに二人を縛り付けていた使命が外されたその後でも、彼女がはるかのこと
でこんなにも感情を高ぶらせていることが。


 吐き捨てたまま睨みつけてやったら、彼女も同じようにまっすぐにこちらを見据え
返した。


 彼女は視線を逸らさない。

 必死に体面を取り繕おうとするはるかに気圧されたりなんてしない。

 だから、苦いような沈黙の後で、先に顔を横へ向けたのははるかの方だった。負け
惜しみにもならないようなわざとらしいため息をつく。


 突っかかって、それでも向かい合いたいのか。それとも逃げ出したいのか。わから
なくなりそうではるかは髪をくしゃくしゃと掻き上げる。


「わかったわ」

 しっかりとその様子を眺めた最後に、彼女はそう告げると、軽やかな足取りで自室
へと歩いて行く。それはいつもと変わらない仕草のように思えたけれど、一瞬だけ視
界に映った彼女の頬が強張っているように見えて、はるかは後を追った。


「何してんの?」

 ノックもせずに彼女の部屋の扉を開くのなんて初めてだった。だけど、そのことに
気まずさを感じてしまうことはできなかった。何とも思わない、わけじゃなくて。そ
んな余裕がなかっただけ。


 はるかに背を向けたまま、彼女は黙々と愛用のボストンバッグにクローゼットの中
にある洋服やら、要塞と化した鏡台に並べてある化粧品等などを惜しげもなく詰め込
んでいるではないか。ベッドの上には、選別されているらしいそれらが広げられてい
た。


「出て行くの。何も答えたくなければ、心配されることすら嫌なんでしょう?それは
一緒にいるのも嫌だと言うことじゃない」


 一通り詰め終わったのだろうか。ボストンバッグとキャリーケースを手にした彼女
はすっくと立ち上がると、はるかにとりあうこともせず、その横を通り抜けて行こう
とする。


「何でそうなるんだよ」

 ちょっと海外旅行にでも言ってくるような軽い言動に、うろたえたのははるかの方
で。けれど、上擦った声で畳みかけるはるかの声にも気付かないように、彼女がドア
ノブに手をかけるから、それを遮るように細い手首を掴んでいた。


「離して」

 とり乱してなんていない声。でも、いつもの柔らかさのなくなってしまった声。はるか
の手を振りほどこうとする腕。


「嫌だ」

 その全部を否定したくてはるかは喚く。

「私こそ嫌だわ」

 けれどそうすればそうする程、彼女は頑なにはるかから離れようとする。ついには
るかの手の中から細い手首が逃げ出してしまうと、まるで目の前から彼女が消えてし
まうような恐怖が走った。


「待・・・」

 だから。

「・・・て、って・・・」

 しがみ付くみたいに背中ごと力任せに抱きしめた。振りほどこうとする腕も、先ほ
どと同じように握りしめる。


「はるかにはわからないんだわ」

 軋む程に抱きしめられたまま、くぐもったような声でみちるが呟く。

 髪に顔を埋めると、いつも微かに漂ってはるかを包んでいた彼女の匂いが、はっき
りと感じられて涙が零れそうになる。


「・・・わかんない。・・・全部。・・・みちるって、何考えてんの?」

 その中に、欠片でもはるかのことが含まれているのだろうか。そんなことを考え始
めたら、身の置き場もなくなって、彼女を強く抱きしめていた腕の力が抜けていく。


 でも、彼女はもう逃げだそうとはしなかった。力なくそわされたはるかの腕と同じ
ように、崩れ落ちそうな背中をはるかの胸に預けたまま呟く。


「・・・あなたのことばっかりよ。・・・だから・・・」

 身体を締めつける圧迫感はなくなったはずだろうに、彼女はそこで声を詰まらせて
しまった。薄い肩が微かに上下する。胸に触れた背中が静かに震えている。


「・・・だから、泣いてんの?」

 震えたままの肩に触れたら、強張りがありありと感じられたけれど、気付かないふ
りをしてこちらへ振り向かせた。


 濡れた瞳をみつけたら、みちるはまた、拒むようにはるかの肩を押した。

 右に出ても左に出ても間違いだ。だからって後ずさりする隙間もない。だったら前
に進むしかないじゃないか。


 力の限り抱き寄せた彼女が、はるかの腕の中でむずがるように身をよじらせる。そ
れを抑え込むように必死に腕へ力を込めて言った自分の声はひどく掠れていた。


 ―――ひとりにしないで。


                             


「こうなるって、思ってた・・・?」

 大切に仕舞いこむように、腕の中へと抱きしめた彼女を覗き込むと、きらきらの瞳
がこちらをみつめ返した。少しの逡巡の後、みちるは首を横に振った。


(・・・・・・まあ、そうだよな)

 はっきり言って無理強い一歩手前の強引さだった、と、呼吸の落ち着いた今なら何
とか理解できるのだけれど。最中でそれに気がつくことは難しい。シーツの白色が目
に痛い。途端に、申し訳ない気持ちになった。けれど、自責の念に駆られ始めたはる
かの腕の中で彼女はまどろむように言った。


「・・・こうなったら良いなって、思っていたの」

 おっとりとした口調はいつも通りのもので。けれどこちらを見上げる目元は、いつ
もよりも少しだけ上気している。


「ねえ」

 その艶やかさに見惚れていると、視界の端に映ったバッグに気が付いた。そこから
部屋の中へと視線を漂わせる。ボストンバッグにキャリーケース。脱ぎ散らかされた
服に、それから選別されなかった衣類や雑貨。


「これからの話をしようか」

 フローリングの上に散らばったそれらを眺めながら、本当はこれまでの話をしなき
ゃいけない気もしたけれど、素直に謝ることに慣れていないはるかは、ぶっきらぼう
にそんなことしか言えなかった。


 腕の中で、彼女が小さく肩をすくめる。

「お腹がすいたわ」

 呆れたように、苦笑いのように。ため息一つ零した後、それでもみちるはこちらに
微笑みかけてくれたのだった。




                              END



 そして今日もはるかさんは叩きつけたくなるようなわがままわんこ。みちるさんはそれを眺めるの
が好きなんでしょう。うんうん。(妄想)タイトルはl☆cca様好きすぎる私の趣味以外の何ものでもない感じです。ではでは。



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