わるい子編



「あら、駄目よ。動いちゃ」

「・・・・・・」

 こちらを見下ろす祥子さまの瞳が、輝きを放っている。それを見て、おもちゃを目
の前にした小さな子どものようだと悟る。


「ええっと、」

 お風呂から上がると、祥子さまは祐巳の身体をふわふわのタオルで包んだ。頭の先
から足の先に至るまで、それはそれは丁寧に拭かれて、お風呂上りとは別の理由で全
身が熱くなっていくみたいだった。


「でも、パジャマを・・・」

 確か、3時のおやつの時間に、祐巳は冒頭の祥子さまと同じような台詞を口にした。
だって、いつも祥子さまにしてもらってばっかりで。それはそれでとっても幸せな時
間なんだけど、祥子さまにきちんと伝わっているのかなって、急に不安になってしま
った。


 さちこさまだいすき。

 誰が見たってまるわかりなんだろうなって自分でもわかっている。でも。でも。

 祥子さまにぎゅっと抱きしめられるとうれしい。

 祥子さまにキスしてもらえたら幸せ。

 同じように思っていただけたらいいなって思ったんだ、けど。

 バスローブどころか、バスタオルを纏う暇すら与えられず、祐巳は祥子さまの手に
よって連行されていた。一直線に寝室へ。


「聞こえなかったの。動いては駄目、と言っているの。理由の如何を問答しているの
ではないわ」


「う、う・・・」

 どうやら、祥子さまに悪い遊びを思いつかせる結果になったようである。腕を組ん
で、斜に構えて、片眉を僅かに上げる仕草は、どこからどうみても女王さまだった。


「ど、して・・・」

 取り合ってもらえなさそうなことは理解しつつ、祐巳は抗議の意味合いも込めてそ
う尋ねた。


「そりゃ、私があなたにして差し上げるのですもの」

 ただ丁寧な言葉を使っているだけで、祥子さまはこれから好きにするぞと言いたい
らしい。嫌じゃないけど。むしろうれしいけど。・・・私ってマゾなのかな。もしか
して。


「何を、ですか・・・?」

 口にしてから、しまった、と思う。そんなこと声に出して説明されても困る。が。

「そうねえ・・・」

 祥子さまは元々意地悪く笑っていた表情をさらに弾ませて祐巳の耳元に唇を寄せた。

「・・・・・・・・・」

「・・・ぶっ・・・・・・!!!」

 祥子さまが最後まで言わぬうちに祐巳は咽た。とりあえず、咽るしかなかった。だ
って、何てこと言うのだ、祥子さま。もしも公共の電波に乗るようなことがあれば、
間違いなく規制音が鳴りまくりだ。


「だから、祐巳は動いちゃ駄目なの」

「私が反抗するとか、抵抗するとか、そういった想定は」

「ないわ」

「・・・・・・・・・」

 きっぱり。清々しいくらいに祥子さまは言い切る。

「でも、でも・・・」

「なぁに」

「私、祥子さまと一緒に横になって、その、ごろごろするのが好き、だから」

 ぎゅっと抱きしめあって、お互いにつっついたり、くすぐりっこして、いつのまに
かそういうことになっているのが、しっくりくるわけであるからして。


「私も好きだけど。それじゃいつもと同じでしょ」

「・・・いじめたいってことですか?」

 おずおずと尋ねた祐巳の声に、祥子さまは目をぱちくりとさせて。

「・・・・・・そう、かも」

 祐巳の言葉で、初めて気が付いたというような声色。その上、あろうことかそれを
口にしたことで確信したかのような表情を浮かべ始めた。自分の馬鹿。余計な事さえ
言わなければ、そんなことにはならなかったのに。


「そういうことだから。ね、祐巳」

「ひゃあ!?」

 横ばいになって、肘をついているような態勢だった祐巳を、祥子さまの手のひらが
らくるりと半転させた。乱暴にされたわけじゃなく、むしろ難なく動かされて、祐巳
は自分のことながらあっけにとられてしまった。


「祐巳の顔が見えないのは残念だけど」

 こういうのも好き。

 ぼそりとつぶやかれて、こめかみから汗が噴き出した。

 祥子さまの手が、祐巳の肩を後ろからシーツへ向けて優しく押さえつけている。祥
子さまにしっかりと乾かしてもらった髪に、キスの雨が降ってくる。


 思わずため息をこぼしたら、シーツにあたってより一層大きく響いていくみたいで、
耳元まで熱くなった。


(だだ、っだから、ここで何で力が抜けちゃうわけ!?)

 祥子さまに反抗したり、抵抗したり、というプログラムは、祐巳自身にも組み込ま
れていないらしい。


「・・・背中、好き?」

 うなじから肩甲骨の間に唇を滑らされて思わず背中を反らせると、祥子さまは甘え
ているみたいな声でそんなことを尋ねてくる。


「いちいちそういうこと聞かないでくださいっ!」

 前言撤回。口を動かすぐらいのことは祐巳にもできる。よくわからないけど、尊厳
を守るための意思表示はするべきだ、うん。


「ここは?」

 けれどもちろんなのか、何なのか。祥子さまは祐巳のちょっとした自己主張には触
れもせずせっせと自分の好奇心を満たしていた。


「ひゃ・・・っ」

 背中の中心から、わき腹にかけて指先が滑っていく。そこを辿るように口付が落と
されるとくすぐったさと一緒に、熱を埋め込まれていくような感覚が走った。


「・・・うーっ、うーっ」

 嫌じゃない。むしろ嫌じゃないのが嫌というか何というか。

 祥子さまが触れた処から、じんと痺れていく。それが頭の芯まで届いて視界がぼん
やりと潤む。


 祥子さまのひやりとした手が、少しずつ熱を持っていく。

 その指先が、腿の後ろにつっと這わされて、ほんの一瞬だけ身体が浮いた。

「祐巳。私、あなたの好きなことしかしたくないのよ。だから、きちんと答えてほし
いのだけれど」


「・・・・・・」

 浮いてしまった身体を諌めるように押さえてから、祥子さまは素肌に触れさせた指
先で円を描くように動かし始めた。


「どこに触れられるのが一番好き?」

 描かれる円の中心が皮膚の上を少しずつ上がっていくのを感じながら、祐巳は自分
のお味噌加減を心底呪う。口を滑らせたりなんかしなければ、もしかしたら今この瞬
間は、こんなにも恥ずかしいものじゃなかったかもしれない。


『いじめたいってことですか?』

 変に祥子さまの嗜虐心をあおるような真似、するんじゃなかったと。今更してもど
うしようもない後悔で祐巳の胸はいっぱいだった。恥ずかしすぎる。堪らん恥ずかしい。


「ねえ、祐巳」

 そうじゃなくとも艶っぽい祥子さまの声が、たっぷりと水分を含んだような響きで
耳元に触れてくる。


「教えて?」

 わかっているのに、祥子さまはわざわざ言葉で尋ねて、こちらの反応を窺っている。
こういうの、何て言うんだっけ。涙の滲みそうな目をぎゅっと瞑りながら祐巳は考え
る。この期に及んで何をしているのかと言えば、現実逃避に他ならない、けれど、思
考をどこかしら別のところへ持っていかないと、この状況をまざまざと認識させられ
てしまう。身の置き場がないってこういう時に言うんだなって思う。


「・・・う、ふえ・・・」

「泣いても私を喜ばせるだけよ?」

「・・・・・・」

 そんなん確認しなくてもわかります。何て嬉しそうな声あげてるんだこの人。ずっ
とずっと憧れていた人で、今は大大大好きな人だけれども、そんなことは一旦脇へ置
いて祐巳は肩越しにキッとその人を睨みつけた。


「あのね・・・」

 ばちばちと火花が散りそうなほどにぶつかり合う視線。

「私はここが好き」

「ひゃあ!?」

 と思っていたのは祐巳だけのようで、祥子さまにはおねだりしているようにしか見
えなかったらしい。ふくよかでも何でもない胸の膨らみを手のひらに包み込まれて、
祐巳はばたばたと暴れるしかない。


「ずっとこうしていたいわ」

「祥子さま・・・」

 例えばそれが音声だけならすごくロマンチックなのかもしれないけれど。組み敷い
た祐巳を後ろから抱きしめて、慎ましやかなそこへ熱心に触れている姿が付け加えら
れると、間違いなくヘンタイさんにしか見えない。そうか、祥子さまは祐巳と同じ人
種だったのか。


「ん・・・、ん」

 けれど、どれだけつらつらと分析している風を装っていても、指先が執拗に先端へ
触れてくると、それすらも突き崩されてしまう。


「後ね・・・」

 上擦った声を聞き流しながら、耳へ息を吹きかけてくる祥子さまの声は変わらず楽
しげで嬉しそう。片方の指先が名残惜しそうに一度、芽吹いたそこを摘みあげてから、
ゆっくりと身体の中央を撫でおろしていく。もう睨みつけるどころか、顔を上げて振
り返ることすらできない。耳朶に、祥子さまの唇が触れた。


「・・・ゆみがすき」

 愛しさが音になって、形になって、ぶつかってくるみたいだ。耳の奥へと注ぎ込ま
れたその声に思わず肩をすくめてしまったら、声を上げる暇もなく、祥子さまが入り
込んできた。


 どうしよう、どうしよう。

 どうしたらいいかなんて、考えてもわからないのに、祥子さまに抱きすくめられる
とそんなことばかり考える。


 抱きしめられながら、けれど目の前に祥子さまがいなくて、どこへしがみついたら
いいのかわからないままシーツを掴む。


 かき分けられるような、満たされるような、落ち着かない感覚の中で、真っ白なシ
ーツの上に散らばって絡まる祥子さまの黒い髪と、茶色掛かった自分の髪が、やけに
浮き上がって見える。


「祐巳、は?」

 祥子さまの華奢な腕が、目いっぱい力を込めて祐巳の身体を抱きしめると、息苦し
くて、切なくて、でもそれだけじゃなくて泣きたくなる。


 笑うとすごく優しい顔になるところとか。

 考え事をしていると、唇が少しずつとがっていく癖とか。

 さみしくなると、ずーっと祐巳の胸に触ってる甘えたさんな時とか。

 祥子さまの可愛いところや好きなところなんて、たくさんありすぎて言葉にできない。

 きっと今日の祥子さまは意地悪をしたいのだ。だから答えられない質問ばかりして
くるに違いない。


 指先を絡めて振り向いたら、当たり前みたいに唇が触れあって重なった。


                             


「めっ」

 上擦っていた呼吸が落ち着くと、祐巳は抱き合ったまま、目の前の祥子さまにそう
告げた。


「ど、どうして?」

 告げられた祥子さまは目を見開いてうろたえる。

「どうしてもですっ、怒ってますからね、私」

「・・・・・・!!」

 きっぱりと言い切ってみせたら、祥子さまはしゅーんと肩を落として項垂れてしま
った。それはそれはプライドが高くて高慢とか高飛車なんて言われているけれど、実
のところ繊細で傷つきやすい祥子さまは、怒られるなんて状況に慣れていないらしい。


「ごめんなさい、祐巳」

 それでもってどこまでも素直。切れ長の大きな瞳をうるうると涙で潤ませて祐巳を
みつめてくる。だがしかし。


「何が祐巳の気に障ったのかしら・・・?」

「・・・・・・・・・」

 悪びれる様子がないって、こういう時にもあてはまるのだろうかと祐巳は思った。
祥子さまには、多分祐巳の気持ちは伝わっていない。嫌じゃないけど、嫌じゃなかっ
たけど、ちょっとだけ恥ずかしくて、拗ねて見せているんだよって気持ちが。


「ああ、もしかして・・・」

 二の句も継げられないままの祐巳の前で、不意に祥子さまが何かを閃いたと言いた
げに顔を綻ばせた。


「物足りなかったということかしら」

 眩しいくらいの笑顔で言い切る様子から、祥子さまはその結論に確信を持っている
のだ。最早何も言うまい。


「それなら、そうと言ってくれればいいのに。てっきり祐巳はもう休みたいのだと
思っていたのよ」


「・・・オヤスミナサイ、サチコサマ」

「今更恥ずかしがらなくてもいいじゃない」

「違います。それに祥子さまの最初の予想で合っています。祐巳はもう休みたいです」

 実際かなり体力を消耗したような気がするし。

「まあ、そうなの・・・」

 残念そうな声とは反対に、祥子さまの瞳はとろんと瞼が下がりかけていた。やけに
素直だったのも、眠たかったかららしい。


「・・・ねえ、ゆみ」

 怒ってますからね、なんて言っておいて。うとうとし始めた祥子さまを眺めている
と、途端に愛しい気持ちになってしまうのだから、祐巳の怒りの感情はかなりいい加
減なもののようだ。


「さっきの、もう一度言って」

 密着していた身体を少し離すと、お互いを抱きしめていた腕は、相手の身体に添わ
せるだけの形になる。少し肌寒いような気がするけれど、その代わりに、祥子さまの
きれいなお顔がきちんと見える。


「さっきの?」

「・・・うん、・・・さっきの

 ゆっくり瞬きをするみたいに、眠りに落ちる前の仕草で、祥子さまが言う。

 さっき。

『・・・ゆみがすき』

 祥子さまはそう言って、

『祐巳、は?』

 確かめるみたいに尋ねるから。

「・・・さちこさまのぜんぶがだいすき、です」

 答えた祐巳を一度見て、笑みの形に細められた瞳がそのまま閉じられる。口元も微
笑みを形どったままの、眠る前の祥子さまのお顔は少し幼くて可愛らしい。


「うん・・・」

 少し高めに掠れた声の後、祥子さまは祐巳の頬をゆっくりと撫でてから、静かな寝
息をたて始めた。


 頬に乗せられたままの手を取って自分から頬擦りすると、彼女につられるように
あくびが零れる。


 明日の朝、同じように囁いてみせたら、きちんと起きてくれるかな。

 そんなことを考えた閉じかけの瞼の向こうへ穏やかな寝顔が見えて、先ほどの祥子
さまと同じように、笑顔のまま目を閉じた。




                            END



 そんなこんなでいい子編その後でした。



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