Paean of the love 5




 浮き足立っているのは、今日がリリアン女子大学入学式当日だからではない。
しかも祥子はすでに一年前にその行事を滞りなく済ませている。


 今日は祐巳の入学式なのだ。リリアン女子大学への。

 もちろん、同じ学校へ通えることはうれしい。けれど、こんなにも心が弾んで
しまうのは、そのためだけではない。


 祐巳の大学入学を機に、二人は一緒に暮らすことになっていた。

 高等部と同じ敷地内の学校へ進学するのだから、バスや電車で通えない距離で
はない。それでも祐巳が家を出て、大学へ通うようになったのは、祥子の軽い一
言に原因がある。


『どうせ同じ学校へ通うのだし、私の部屋に来たら良いわ』

 祥子は祐巳より一足早く一人暮らしを始めていた。小笠原グループの後継者と
しての社会勉強の一環・・・ということになっている。表向きは。実際のところ
は、目に入れても痛くないくらいに祥子を可愛がってくれている父と祖父に、「
一人暮らしがしたいの」なんてことを、数年来使っていない可愛らしい声でお願
いしたところ、あっさりと了承を得ただけなのだが。


 念願の一人暮らしである。

 別に一人で過ごすのが特別好きなわけではない。自分の時間を持つことはもち
ろん快適ではあるけれど、家族で食事を取ることや談笑することも嫌いでは決し
てない。


 ただそれよりも、祐巳と過ごす時間を作りたかったのだ。祥子だけが住んでい
る部屋の方が、実家住まいの時よりもずっと、祐巳には敷居が低いはずである。


 そう思っていたのに。

 実際には、住んでいる場所が多少変わったところで、祐巳との距離が縮まるわ
けではない。お互いの本分は学生で。おまけに祐巳は高校生で、祥子は大学生。
精々休日を利用しての買い物や散歩くらいしか接する機会もない。例え祐巳が部
屋に遊びに来てくれたとしても、夜になったら帰ってしまう。当たり前だけれど
も、祐巳の帰るところは祥子の部屋ではないのだ。


『本当に?』

 そんな(自己中心的な)うっ積が溜まりに溜まった結果の祥子の発言に、祐巳
は瞳を見開いた。それから、輝く澄んだ瞳でそう尋ねた。


『もちろんよ』

 ご両親の説得や、新生活を始める祐巳の負担や。そんなことを考えるよりも前
に祥子は頷いていた。


 そんな身勝手な提案に、祐巳は泣き出しそうな顔をして、それからにっこりと
笑ってくれた。


『はい』

 まるで、プロポーズのようだ。

 浮かれ過ぎた頭の中でそんなことを考えた。それが、三月の初め。

 そして今日、祐巳はこの部屋に帰ってくる。

 二人の部屋に。


                            


「大学って一学年でもすごい人数なんですね」

 昨日までの引越し作業と今日の入学式とで疲れた身体を、長めの入浴でしっか
りと寛がせた後、夕食の席で祐巳はそう言った。


「最終的には学科単位で講義を進めていくのだから、接する人数は高等部までと
あまり変わらないわよ。クラブ活動をするのならそれよりは多くなるかもしれな
いけれど」
 向かい合って食事をするのは初めてではない。けれど、終わってしまえば祐巳
が帰ってしまうという寂寥感を感じることのない食事は初めてだった。いつもよ
りも饒舌になってしまうのは、きっとそのせいだろう。


 今夜からは、ずっと一緒なのだ。目の前の愛しい人と。

 入学式の後、クラスごとでのオリエンテーションでリリアンからの持ち上がり
組みではない人もたくさん見かけたという話や、似たような苗字の人と高校の頃
の話をしたことなど等、上機嫌で話してくれる祐巳をみつめているだけで、心が
はじけていくようだ。


 でも。

 落ち着きがないほどに浮かれてしまっているのは、そのせいだけではない。

 夜はまだ、終わっていない。その期待が身体中を満たしていた。


                            


「そろそろ寝ましょう」

 食事の後片付けを終えて、しばらくリビングで寛いでからそう提案すると、祐
巳は一瞬だけ顔を強張らせた。頬が赤かった。


 その表情に、胸が突き上げられるように高鳴る。

 元々一人暮らしをしていた場所だから、部屋数は多くない。寝室も一つだけ。
そこに置いてあるベッドももちろん一つだけだ。だからといってどちらかがリビ
ングのソファの上で眠るなんてことはないわけで。つまり、二人で一緒に眠るの
だ。今夜からは。


「はい・・・」

 少しだけかすれた祐巳の声に軽く頷いてから手をとった。鼓動が早くなりすぎ
て、胸が痛い。


 足早に入り込んだ寝室の中で、軽く触れるだけのキスをすると、祐巳はますま
す顔を赤らめた。


 そのまま祐巳の手を引いて、ベッドまで歩いていく。上掛けを捲って先に祐巳
を入らせてから、祥子もシーツの中にもぐりこんだ。身体中に鳴り響くかのよう
に心臓が脈打っている。


「・・・・・・」

 ぎゅっと祐巳を抱きしめたまま、何を話したらいいのかわからない。喉が渇き
きってしまいそうだ。


 だって、仕方がない。祐巳と同じ布団に入るなんて、初めてのことなのだから。

(・・・・・・予習をしておいた方がよかったのかしら・・・)

 自分のあまりの狼狽振りに、祥子はそんなことを考えてしまった。

 祐巳が好きだ。そして、祐巳も祥子のことを好いてくれている。それはわかっ
ている。姉妹ではなく恋人となったのは、もうずっと前のことだと思う。

 けれどもが。
 お互いの気持ちを確認していることと、それが愛情表現に結びついているかと
いえば、一概にもそうとは言えないわけで。


 今まで、お互いの家を行き来して、二人は逢瀬を重ねてきたけれど、お互いの
顔を見るだけで満足というか。愛情の確認なんてものは、手を繋いだり、抱きし
めあったり。精々唇を優しく重ね合わせる程度のものだった。

 つまるところ。

 名実共に、今日こそが初夜なのだ。二人にとって。

 もちろん、そうしたい気持ちがまったくなかったわけではない。むしろ、それ
を望んでいたからこそ、強引ともいえるぐらいの性急さで二人暮らしをはじめた
のだ。・・・はしたないといえなくもない。


「ゆみ・・・」

 強張った背中を抱きしめながら、そっと囁く。息が上がってしまいそうだった。

「あ、あの・・・」

 囁いた耳元に唇を落としながら、寝巻きの裾に指先を忍び込ませたところで、
祐巳が慌てた様子で声を上げた。


「ま、まってください、その・・・少しだけ」

 戸惑いを隠せていない声が耳に届いた瞬間に、胸の奥で何かがはじけた。

「もう十分待ったわ」

 小さな身体を一層強く抱きしめながらそう言うと、語尾が強くなってしまった。
細い肩が小さく震える。


 それさえも、祥子の心の琴線を弾く。

 震えてしまいそうな指先を、祐巳の寝巻きの釦にかけると、それを遮るように
柔らかな手のひらが重ねられた。


「自分で、あの・・・しますから・・・」

 消え入りそうな声。温かな手のひら。愛しい体温。

 この全てが、自分のものだ。

「駄目よ」

 重ねられていた小さな手を逆に握り返して、その動きを封じ込める。

「祐巳のことは、私が全部するの」

 まるで聞き分けのない子どものようだと言ってから気がついたけれど。

「だから、恥ずかしいだけなら、我慢して」

 もう、その気持ちを自分でも止められそうになかった。

 釦を一つ一つ外していく動作がもどかしくて。全てを外し終わると、肩紐に指
を掛けてキャミソールごと寝巻きをはだけさせた。


「・・・あ・・・」

 白い肩に引き寄せられるように、唇を寄せる。首筋も肩口も背中も。衣服を身
にまとっている時よりもずっと、小さく、柔らかく見えた。


 邪魔な寝巻きも下着も乱暴にならないように、それでも急かされるように、祐
巳の身体から奪い去っていく。一枚一枚剥ぎ取られていくたびに、祐巳の身体か
ら力が抜けていく。その逆に表情は硬くなっていく一方だ。


「・・・・・・っ・・・」

 全ての衣服を取り払ってから、その両手をシーツの上に繋ぎとめて見下ろすと、
喉元まで早鐘がこみ上げた。


 白い肌。薄い肩。乳房の膨らみ。丸みを帯びたお腹。柔らかな脚、膝。

 ずっとみつめていた女の子なのに。

 その美しい肢体を目の当たりにするのは初めてだった。

「・・・あ、の・・・」

「?」

 魅入られてしまったかのようにじっと固まっていると、震えた声が耳に届いて
はっと顔を上げた。


「・・・やっぱり、その・・・・・・恥ずかしい・・・です・・・」

 何かの伺いを立てる時のような上目遣いでそう言った瞳が潤んでいた。

『恥ずかしいだけなら、我慢して』

 それをみてやっと、先ほどの言葉があまりにも傲慢だったことに気がつく。

「・・・ええ」

 気がついて、だけど、そこで止まることも出来なくて。したくなくて。

 縋りつくような瞳をみつめ返しながら、祥子は自分がまだ衣服を身につけたま
まだったことを思い出した。


「お姉さま・・・?」

 唐突に自分の寝巻きに手をかけた祥子に、祐巳は心底驚いたかのように声をか
けたけれど。


 先ほど祐巳にしたのと同じように、キャミソールごと寝巻きを脱ぎ捨てて、そ
の勢いでズボンからも脚を抜く。ベッドの下に落ちたそれを見て、おそろいのパ
ジャマを着ていたのだと思い出した。


 下着も全て脱ぎ去ってみつめ返すと、目元を朱に染めた祐巳がじっとこちらを
みつめていた。


「これなら、恥ずかしくない?」

 本当は、今すぐにでもこの場から逃げ出したい。そうでなければシーツに包ま
って全身を隠してしまいたい。それぐらい、全てをさらけ出すことは緊張を伴う
のだ。例えばそこにいるのが、愛しい日とただ一人だとしても。自分もその姿に
なってからやっと理解できた。


「・・・はい」

 祥子の問いかけに、祐巳は短くそう答えた。強張っていた頬が少しだけ緩んだ。

 小さな身体に手を伸ばすと、祐巳も同じように腕を広げてくれた。
 肩口から背中へ向けてゆっくりと手のひらで撫で下ろす。それからお互いをぎ
ゅっと強く抱きしめた。


 触れ合った場所から、素肌が蕩けだしてしまうような、柔らかさだった。

「ゆみ・・・?」

 温かな身体を抱きしめてその首筋に顔を埋めていると、震えるような吐息が耳
たぶに当たって顔を上げた。


「・・・泣いているの?」

 声にしてそう尋ねると、心もとなくなって身体を僅かに起こして祐巳の顔を覗
き込んだ。


 濡れて瞳がじっとこちらを見上げている。

「どうしたの」

 まだ何か、祐巳は不安を感じているのだろうか。

 もしかしたら、祐巳にとっては苦痛な時間なのだろうか。

 そんなことを考え始めると、休息に足元から凍り付いていくような心地がした。
だけど。


「違うんです・・・その・・・」

 立ち竦みそうになった祥子の頬へ指先を伸ばして、祐巳は言った。

「うれしいから」

 うれしいといった祐巳は、その言葉通り瞳を柔らかな三日月に細めて。そこか
ら耐え切れなくなったように涙が零れ落ちた。


 うれしいから。

 そう言われることがこんなにも心地よいことだなんて知らなかった。
 誰かがそう思ってくれることこそが、こんなにもうれしいことだと初めて知った。

 先ほどまでの早鐘とはまた別に、力強く、心地よく、心音が胸に響き渡る。

 奥底から、愛おしい気持ちがあふれ出てくるというのは、きっと、こういうこ
となのだろう。心からそう思った。


「あ・・・でも・・・」

「?」

 頭を掻き抱かれながら、胸元に唇を這わせていると、不意に祐巳が呟いた。

「もう、こんなにも祥子さまが好きなのに」

「え?」

 唐突な告白に首元まで熱くなってしまった祥子を他所に、祐巳は言葉を重ねる。

「これ以上好きになったら、どうなっちゃうのかな・・・なんて・・・」

 まじまじとみつめてしまうと、祐巳の言葉が徐々に消え入って、最後には口の
中にかき消されてしまった。その上、自分の口にした言葉に後から恥ずかしくな
ってしまったとでも言うように、祥子から思い切り視線を逸らせて、シーツに顔
を埋めてしまった。


「大丈夫よ」

 その様子に、だらしなく頬を緩めながら、背中から祐巳を抱きしめて囁いた。

「私はそれよりもっと、あなたを好きになってしまうだろうから」

 祥子の言葉に、祐巳が驚いたように顔を上げるから。ねだるように首を伸ばし
て、口付けた。


 背中越しに抱きしめながら、指先で祐巳の中へと入り込むと、その熱で指先か
ら溶けてしまうのではないだろうかと思った。それから。


 耳元に、泣き声のような、吐息のような、囁きのような。愛しい声が聞こえて
くる。


 今確かに、愛しい人と繋がっているのだ、そう思えた。



                         END



 妄想三部作やら奥様シリーズとは打って変わって純情な二人なような気がしないでもない
ですが、お気楽キャンパスあたりではこんなことになっていたのかもしれません。ではでは。



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