Paean of the love 4




 別に特別な嗜好があるわけではない。ただその相手が大切な人だということが
重要なわけで。逆にいえば大切な人相手には、すぐに心の琴線がはじかれてしま
うということになる。


 祐巳にとっては、その相手が祥子さまであるというだけなのだ。


                          


「おかえりなさい」

 どこか甘い匂いを漂わせながら出迎えてくれた祥子さまは、祐巳を前にしてふ
わりと微笑んだ。


(・・・ぐっ・・・)

 愛くるしすぎる笑顔に思わず手のひらで顔を押さえつけた。

「た、ただいま、帰りました・・・っ」

 幸福の絶頂ともいって良い程の状況に、思わず悶絶してしまいそうだ。簡単に
言うと、鼻血吹きそう。


 祥子さまに遅れること一年、無事リリアン女子大学を卒業した祐巳は、晴れて
社会人としてのスタートを切った。その機会にというか。勢い・・・じゃない、
とにかく学生時代から同棲生活を送っていた祥子さまと正式に生涯を共にするこ
とを誓い合ったのだ。つまるところ、誰もがうらやむ新婚さん真っ最中である。


「すぐに用意できるから、座って待っていて」

 ダイニングに入るや否や、祥子さまはそう言って、半ば強引に祐巳を椅子へ腰
掛けさせた。キッチンの方へ視線を向けると、早くお帰りになった祥子さまが食
事の用意をして下さっていたらしい。くつくつと煮込まれているおなべの中から、
いい匂いがする。


「で、でも・・・」

 座らされた椅子から、おろおろと立ち上がりながら情けない声を上げてしまう。
確かに早く帰宅した方が食事の用意をするという約束にはなっているけれど、祥
子さまに働かせておいて自分はのんびり過ごすなんて、とてもじゃないけれど小
心者の祐巳にはできないわけで。それなのに、祥子さまはそんな祐巳を軽く睨み
付けると、再度祐巳の肩を押さえつけた。


「いいから。たまにはこういうこともさせて頂戴」

 それでもって、耳元に吐息を浴びせかけるような甘い声でそう囁いた。

「は・・・はい・・・っ・・・」

 美声に蕩かされそうになりながら、祐巳はふにゃふにゃと椅子に座り込む。祥
子さまってば、いつの間にこんな高等技術を習得したのか。


 素直に自分の言葉に従った祐巳を見届けると、祥子さまは上機嫌でキッチンへ
と戻る。カウンター越しに見える背中が軽やかに揺れていた。


(それにしても・・・)

『たまにはこういうこともさせて頂戴』

 そう言われてみれば、こういった家事の類をこなす割合は、祐巳の方が断然多
い。だけど、それも仕方がないこと。次期小笠原家当主としての期待を一身に受
けている祥子さまは多忙を極めている。お帰りが遅くなるのなんて日常茶飯事だ。
だからこそ、こんなにお早いご帰宅の時位ゆっくりしていただきたい。それに、
祥子さまのためにご飯を作ったり、お洗濯をすることはまったく苦痛なことでは
ないのに。そういうところ、祥子さまは律儀だなと思う。


「先にお風呂へ入ってくる?」

「え?あ?はい?」

 ぼんやりときれいな黒髪を眺めながらそんなことを考えていると、祥子さまが
不意に尋ねてくるものだから、ついついいつもの間抜けな声を上げてしまった。


「あ、いえ・・・」

「そう?」

 無意味に口ごもった祐巳の様子を訝しがることもなく、祥子さまは軽くそう答
えた。特に深い意味はなかったらしい。


 くつくつくつくつ、おなべの音。祥子さまが洗い物をしている水の音。それら
を聞きながら、頬杖をついてじっと祥子さまの後姿を眺めていた。


「・・・・・・おねえさま」

 きゅうんとときめいてしまう胸の奥から声が零れ落ちちゃうみたいに、祥子さ
まを呼んだ。


「なぁに?」

 祐巳の声に、祥子さまが振り返る。まるで、数千の花が一度に綻んだかのよう
な、美しい笑顔をたたえて。


(た・・・たまらん・・・!!)

 祐巳は心の中でそう叫んで悶え転げた。親父といわれようと何と言われようと、
浮かんでくる言葉がそれしかないのだから致し方ない。でれっでれに緩んだ顔の
まま「何でもないです」なんておばかな答えを返したけれど、祥子さまはにっこ
りと笑い返してくれた。幸せすぎる。


 身体が溶け出しちゃうような感覚に、頬杖をついていた腕がパタンと落ちて、
そのままテーブルに突っ伏した。だけど、視線だけはちゃっかりと祥子さまを捕
らえている。この角度からだと、祥子さまの背中のちょうど真ん中、腰の辺りが
視界の中心になる。無造作に、だけどきっちり結ばれたエプロンの紐が見えた。


(祥子さま、あのエプロン使ってくださっているんだ)

 今現在祥子さまがお召しになっているエプロンは、新居へ越した時に祐巳がプ
レゼントしたものだったりする。同棲していた頃の部屋のままでもまったく問題
なかったのだけれど、祥子さまの希望により、結婚を機に新しい部屋を借りたの
だった。だけど、部屋が変わったからといって、身の回りのものまで一新するか
といえば、そうではないわけで。祥子さまは家具から小物にいたるまで新しくし
たいみたいだったけれど。使えるものを処分してまで新しいものを買うなんて、
そんなもったいないこと庶民の祐巳には考えられないことなのだ。何よりも、二
人がともにすごした時間分の思い出が、そこにはいっぱい詰まっている。それを
捨てちゃうなんてできない。そんなことを、祐巳があまりにも必死に訴えるもの
だから、お部屋を変えること意外には特にこだわりのなかった祥子さまはあっさ
りと首を縦に振ってくれたのだった。そんな紆余曲折を経ての新婚生活、必要な
ものは大概揃っている。それならば、いくらあってもそれほど邪魔にならなくて、
適度に使えるものを、と考えた結果贈られたのが今お召しになっているエプロン
なのだった。


 ホワイトベージュのごくシンプルなエプロン。

 本当はフリルやらレースやらがふんだんに使われているようなものが買いたか
ったのだけれど、祥子さまがあからさまに眉をひそめるものだから、無難なもの
を選ばざるを得なかったのだ。とはいえ、せっかく愛しい人に贈るのだからと、
選びに選び抜いた逸品である・・・・・・と思いたい。柔らかな風合いの布地に
流れるような花柄が淡い色で描かれている。まるで祥子さまの優美さを引き立て
るために作られたようではないか。と一人店頭で納得したものである。


(はうぅ・・・いいなぁ・・・)

 親父モード全開で頬を緩める。祥子さまがお料理に集中して向こう側を向いて
くれているのがせめてもの御の字であろう。


(いっそのこと、あの紐を今すぐにでも解いてしまいたい)

 ヘンタイさーん。

 どこかから激しく今の状態に警告を送るもう一人の自分がいるような気がしな
いでもないが、今にも涎を垂らしてしまいそうな祐巳がそんな声に気づくはずも
ない。第一、愛する人相手にそういった想いを抱くことのどこに、邪さがあると
いうのだ。いや、ない。


 そう納得してからの祐巳の行動は早かった。

「?」

 音を立てないようにそっと近づいてから、その背中にぴったりと寄り添うと祥
子さまが不思議そうに振り向いた。


「どうしたの?・・・・・・お手伝いは良いと言ったでしょう?」

 目を見開いてから、祥子さまがすぐに眉を吊り上げたものだから、祐巳はあわ
てて首を振った。


「ち、違います」

 まさかここで怒られるとは思っていなかったから、祐巳は祥子さまにぎゅっと
抱きついて甘えた声を上げた。


「お姉さまにくっついてたいんです」

 それは本心からの言葉だった。・・・・・・多少不純な動機がくっついてきて
いるような気もするけれど。


「・・・本当に甘えん坊さんなんだから」

 仕方ない子ねなんて言いつつもまんざらでもないのか、祥子さまは小さな笑い
声を漏らしてからまた前を向いた。和え物を作ってくださっているらしく、白い
手がボウルの中をゆっくりとかき混ぜていた。


(いい匂いだなぁ)

 お料理の匂い然り。祥子さまの髪の匂い然り。首筋に顔をうずめると、そのま
ま眠ってしまいそうなくらい安らかな気持ちになる。


 お腹にも胸にも腕にも手のひらにも。祥子さまの柔らかな温もりが伝わって、
抱きしめる腕にいっそう力がこもってしまう。何でこんなに好きなのかな。


 身体中で祥子さまに浸りきっていると、ふと先ほど思いついたことが頭をよぎ
って、考えるよりも前に手が動いていてしまった。


「!?ゆ、ゆみ・・・?」

 ふわふわのお胸にエプロンの布地越しに手のひらで触れると、祥子さまが心底
驚いたような声を上げて振り返った。


「・・・だって、甘えん坊ですもん。いつも通りお姉さまに甘えているだけです。
ですから、お気になさらずにどうぞお料理を続けてください」


 少しばかり、いやかなり反抗的に聞こえたかもしれない。事実祥子さまは思い
っきり急角度に眉を吊り上げた。だけど、きっぱりと言い切った祐巳にいちいち
言い返すのも癪だと思ったのか、「勝手になさい」といわんばかりにこちらから
ついと視線をはずして、作業に戻った。


(むー・・・可愛くないんだから)

 その可愛くない態度が大好物な祐巳としてはただただ頬っぺたを緩めるしかな
いのだけれども。左手で柔らかな胸に触れたまま、右手で先ほど思っていたとお
りに、エプロンの紐を解く。祥子さまの息を呑む声が聞こえて仰ぎ見たけれど、
その表情は淡々としたもので、黙々と目の前の作業をこなしている。祥子さまは
負けず嫌いなのだ。


 解いて緩まったエプロンのすそから指先を忍ばせて薄手のニットをゆっくりた
くし上げると、祥子さまが強張ったように身じろぎするのが伝わってくる。それ
に構わず素肌に指先を滑らせて温かな胸へと向かう。


「・・・・・・ぁ・・・。・・・・・・っ・・・」

 祐巳の指先がその先端へと触れると、小さな声が零されたけれど。祥子さまは
すぐに唇をかみ締めて俯いた。


(暖かいなぁ・・・)

 小さな手のひらで、乱暴にならないようにそっと包む。・・・にはちょっと足
りないけれど。どうせなら、その柔らかな場所に顔を埋めて、唇で触れて、祥子
さまを思う存分感じたいのに。そうできないことが少しだけもどかしい。


「も、う・・・っ、祐巳・・・っ!」

 ぼんやりとそんなことを考えて、祥子さまに溺れるように指先でそこに触れて
いると痺れを切らしたかのようにその人は振り返った。


「いい加減にしなさい!悪戯ばかりして・・・っ」

 幾分か強めの口調でそう言われて、条件反射のように首をすくめてしまったけ
れど。怒られるとなおさら甘えたくなるというのが、子どもの性分というもの。
恐る恐る仰ぎ見た祥子さまのお顔が、本気で怒っている表情ではないことを確認
すると、祐巳は目の前のお胸に飛び込んだ。


「こ、こら!」

 尚も子犬モードで甘えてくる祐巳を、祥子さまは怒るよりも慌てた声で制止す
る。だけど、先ほどまでお料理をしていた手が濡れていることが気になったのか、
祥子さまは祐巳の背中へ回しかけた手を下ろすと、しなやかな腕でそっと目の前
の肩を押し返した。そんな風にされたら、なんだか切なくなってしまう。ぎゅっ
てしてほしいのに。

 与えられるはずの温もりが背中に訪れないことが寂しくて。だけどやっぱり甘
えたくて、目の前の胸に唇を寄せる。


「っだから・・・これ以上・・・」

 弱弱しく抗議する祥子さまの声にいっそう急き立てられて、手のひらと、唇と、
舌先で、白い肌を何度も辿る。


「だいすきです、お姉さま」

 跪きながら、スカートから除く脚の腿にも、膝頭にもめいっぱいの気持ちを詰
め込んで口付ける。力の抜けてしまった足を軽く持ち上げるようにしてその甲に
もキスをすると、祥子さまは諦めたような、呆れたような、それでいて熱い吐息
のようなため息を漏らした。


「・・・駄目よ・・・そんな甘えた声を出したって・・・」

 潤んだ瞳のまま、祥子さまは非難するような声でそう言ったけれど。スカート
の中へ滑り込ました指先を下着にかけた祐巳を怒ったり、突き飛ばしたりするよ
うなことはなかった。口付けた脚の方を肩に掛けるように持ち上げると、一瞬だ
け、泣き声みたいな吐息が聞こえた。


「も・・・っ・・・ゆみ・・・」

 舌先で祥子さまの中に入り込むと、甲高い声がキッチンに響いた。

 細い腰にしがみつくように抱きしめながら、祥子さまに溺れていく。耳に届く
狂おしいくらいの甘い声に煽られて、もう何も考えられない。


 濡れてしまった唇を手の甲で拭いながら顔を上げると、祥子さまが祐巳の唇と
同じように濡れた表情でこちらを見下ろしていた。


「・・・お願いよ・・・・・・意地悪しないで・・・」

 通常ならば。お料理中にこういった行為に及んでいること自体を指して「意地
悪」と言っているのだと理解できてしかるべきである。が、脳みそが溶けきった
祐巳の耳には「焦らさないで(はぁと)」と聞こえてしまうのだから不思議であ
る。偉大なり、妄想フィルター。


「意地悪なんて」

 立ち上がりながら祥子さまをぎゅっと抱きしめる。

「祥子さまが好きだから・・・だから甘えたくなっちゃうんです」

 首筋に顔を埋めて、言葉通りうんと甘えた声でそう囁く。目の前の白い喉がこ
くんと鳴る。

 熱く溶け出してしまいそうなそこに忍び込んだ指先が、舌先で触れた時よりも
ずっと奥深くまで入り込むと、白い喉は戦慄くように仰け反った。


「おねえさま・・・おねえさま・・・」

 ぎゅっとしがみ付きながら、祥子さまを呼ぶ。繋がって、ひとつになっても、
まだ足りない。いっそのこと、ずっと祥子さまの中にいたい。


 途切れがちに響く、祥子さまの声にかき消されてしまいそうな声で呟く。

「服が汚れても良いから・・・」

「え・・・?」

 涙の混じったような祐巳の声に驚いたのか、祥子さまは潤んだ瞳をこちらに向
けた。


「どうしたの」

 首元にかじりついたまま黙り込んでいると、祥子さまが優しい声でそう尋ねて
くれたから。


 やっぱり甘えた声が出てしまった。

「抱っこして、お姉さま・・・」

 蚊の鳴くような声だったけれど、きちんと伝わったのだろうか。祥子さまは困
ったような笑い声をもらしてから、力強く抱き返してくれた。


 祥子さまの甘やかな声と自分の乱れた吐息の合間に、何か別の音が混ざってい
るように感じたけれど。それに気がついたのは、少し後になってからだ。


 いつのまにか、ぐつぐつとうなり始めた、おなべの音に。


                         


「お、おいしいですっ・・・」

「・・・・・・」

 食卓に並べられているのは、祐巳の大好きなものばかり。煮込みハンバーグに、
マッシュポテトに、温野菜。パスタとスープまでついている。


 ちょっとだけ、焦げ付いた匂いを漂わせながら。

「お、お、お姉さまは、召し上がら・・・ないん・・・です、か・・・?」

 おずおずと上目遣いで視線を送るけれど、祥子さまは目を合わせるどころか、
つんと横を向いてまったく取り合ってくれない。


「お姉さまぁ・・・」

「知りません」

 今度こそ涙声でそう訴えてみても、祥子さまから返ってくるのはそんな冷たい
お言葉。そりゃ、せっかくのお料理を台無しにしてしまった責任は祐巳にだけあ
ることは明白なのだけれども。だけど、いつまでもそっぽを向かれたままという
のは、耐え切れないわけでして。


「何でもしますから、もう許してください」

 まるでうだつの上がらない夫のような言葉だと思いながら、それでも祥子さま
のご機嫌が直るのならばと必死に頭を下げる。


「・・・・・・何でも?」

「ひぅ・・・」

 きろりと睨まれて、思わず震え上がる。でも、目を合わせてくれたことはうれ
しくて小さく尻尾を振ってしまう。


「お台所であんな悪戯をするような子に育てた覚えはないのだけれど」

「・・・・・・ぁぅ・・・」

 いえ、しっかりとお姉さまの教えを受け継いだだけです。なんてことを口走ろ
うものなら、後一週間ぐらいは本気で口を聞いてくれなくなりそうなので、祐巳
はしゅんとうな垂れた。


「今度からは悪戯をしないって約束できる?」

「も、もちろんです!」

 マリア様に、いや、祥子さまに誓って。こぶしを握り締めて立ち上がると、祥
子さまは思いっきり苦笑した。


「それでは、今日のところは無罪放免にしてあげるわ」

 祥子さまは美しい微笑を浮かべると、立ち上がった祐巳の頬を撫でてくれた。
ああ、本当にマリア様みたいだ。


「それに・・・」

 やっとのことでご機嫌が直った祥子さまは、被害の少ないマッシュポテトに端
を伸ばしながら呟いた。


「・・・・・・やっぱりああ言ったことは・・・・・・寝室の方がいいわ」

「へ?」

 ハンバーグを頬張りながら祐巳が顔を上げると、祥子さまは少しだけ怒ったよ
うな顔をして言った。


「だって。きちんと祐巳を抱きしめられないなんて。そんなの嫌よ」



                                 END


 拍手で祥子さま×エプロン♪なリクエストをいただいていた(ような気がする(汗))ので妄想させていただきました〜。
祐巳ちゃん桜〜で落ち込み気味な分、各方面ではじけてしまっているようです。。。

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