Paean of love 3



 きっかけは、些細なことなんだけどな。



 お家に帰ってからずっと、祥子さまのご機嫌が悪い。

 今朝、起こした時は良かったのだ。寝起きの悪さは相変わらずだけれども。
朝食をとる時も、登校中も。昼食の際に大学構内で待ち合わせた時だって、
祥子さまはずっとにこにこ笑顔だったのに。


『やっほー、祐巳ちゃん。祥子も』

 その場に聖さまが現れたところで、祥子さまの精神状態は一変した。

 別に二人はいがみ合っているわけではない。どちらかといえば、聖さまは
祥子さまに対して愛情過多と言ってもいいぐらいちょっかいをかけたがる。
祥子さまもそっけない態度の割にはそんな聖さまを拒んだりすることは絶対
無い。口には出さないけれど、蓉子さまに対してと同じくらい、尊敬してい
る事だって祐巳はちゃんとわかっていた。

 が。

「祐巳ちゃんの手作りのお弁当いいなぁ〜。私も欲しい。絶対欲しい」

 その標的が祐巳になった場合、事態は急速にややこしくなるのだ。

「・・・・・・すでに昼食を手にされているようですけれど」

 祥子さまがぴりぴりした声でそう指摘する。

「これは今日のランチセット。食堂のね」

「それだって、調理師の方の手作りでしょう」

 ぴりぴり。

「こんな大量生産のものじゃなくて、私は愛情がこもったものがいいの」

 「はぁっ」と大きなため息をつきながら、ちゃっかりと二人の向かい側に
座った聖さまは、突然にっこり笑っていった。


「もちろん、祐巳ちゃんの愛妻弁当限定だからね」

 言いながら、片目を瞑って見せる。聖さまに慣れていない女の子がこんな
ことされたら、きっといちころであろう。もちろん祐巳だって、悪い気はし
ない。そう、悪い気持ちにはならないんだけど。


「・・・・・・万が一聖さまに作ってさし上げないとならない状況になった
としても、愛“妻”弁当にはなりませんわ」


 隣からのすさまじい怒気や殺気や冷気が恐ろしくて堪らないわけで。

「あげ足取りねぇ、祥子は」

「事実を述べたまでです。祐巳は私の・・・とにかく聖さまの妻ではありま
せん」


「妻でも恋人でも愛人でも私はまったく構わないけど?」

 後輩です、聖さま。

「私はそういう枠組みを超えて、祐巳ちゃんを愛しているの。心のせっまーい
祥子にはわからないでしょうけれど」


「なんですって!?」

 祐巳に対する熱いアプローチへか、はたまた自分を「心の狭い」と言った
ことに対してなのか、とにかく祥子さまはプチヒステリー数秒前である。こ
のままでは昼下がりののどかなカフェテラスが凄惨な戦場と化してしまう。


「あ、あのっ・・・聖さま」

 たまらず祐巳が声を上げると、二人同時に祐巳へと視線を向けた。聖さま
は相変わらずのふにゃふにゃの微笑で。祥子さまは・・・・・・額に青筋を
立てたまま。


「なぁに、祐巳ちゃん」

 “子どもからご婦人にまで優しい佐藤聖”というキャッチコピーがぴった
りと当てはまるような善良な微笑みで聖さまは首を傾げてみせる。


「お、お弁当、もしよろしければ近いうちに作ってきましょうか・・・?」

「な・・・」

「え、本当!?」

 目の前の二人が、対照的な表情を浮かべてこちらを眺めている。聖さまは
幸せの絶頂のような表情。祥子さまは、この世の終わりのような顔をしている。


(だって、だって・・・)

 祥子さまにやきもちを焼かせたいとか、あてつけのつもりで言っているわ
けでは決してない。ただ、経験上、聖さまが今のような発言をする時は要注
意なのだ。こちらが首を縦にふるまで、いつまでもおねだり攻撃が続く。そ
れはもう、あの手この手で。そんな状態を延々と祥子さまにご覧頂く方が
よっぽどか、(お互いの)精神衛生の上でよろしくないというものだ。


 だけど、祐巳はすっかり忘れていた。相手があの聖さまだということを。

「やったぁ!」

 大げさなくらいに飛び上がって喜んでくれる聖さまに、祐巳がついつい気
を緩めてしまった。その瞬間。


「ありがと、祐巳ちゃん!」

 聖さまは驚異的な速度で祐巳をぎゅっと抱きしめて。

 ―――ちゅっ♪

「「・・・・・・!」」

 手馴れた仕草で祐巳のほっぺにキスをした。

「楽しみにしてるよ」

 最早灰のように真っ白になった二人を前に、聖さまは満足そうにそう言っ
て頷いたのだった。



                 *


「・・・・・・」

 そりゃ、例え頬っぺたとはいえ、祥子さまの前で他の人とキスするなんて、
どう考えてもこちらに非があるのはわかっている。事態を修正しようとした
結果、から回るどころか更に混乱させてしまった。祥子さまを。


「・・・・・・お姉さま」

「・・・・・・」

 祐巳の声は聞こえているはずなのに。ソファに腰掛けた祥子さまはつんと
澄ましたまま、雑誌のページを捲った。


 夕食を終えてからずっとこんな調子だ。学校にいるときはもちろん、玄関
でも、ダイニングでも。祥子さまはずーっとこんな風にぶーたれて無視を決
め込むのだった。


(せっかく一緒に帰ってきたのにな・・・)

 祐巳のアルバイトもお休みで、祥子さまも忙しくない。お家に帰ったらい
つも以上にぴったりくっついて、うんと二人の時間を満喫するはずだったのに。


「・・・・・・」

 多分、寝て起きれば多少なりともご機嫌はなおっているはずである。だけ
ど、その就寝までの残り数時間を、こうしてお互い(主に祥子さまだけど)
そっぽ向いた状態で過ごすのは気分のいいものではない。


(・・・・・・・・・仕方ないなぁ・・・)

 本当は。喧嘩やすれ違いの際に、うやむやにして流してしまう状況は作ら
ない方がいいのだけれど。今回の原因なんてわかりきっているわけで。その
上で祥子さまは拗ねているのだ。


「あの、お姉さま」

 もちろん、声をかけても応えはない。一瞬だけ気まずそうに唇を尖らせた
けど。それにひるまず祐巳は続けた。


「お風呂、どうされますか?」

 どうされるも何も、いくらご立腹とはいえ年頃の女の子が入浴もせずに不
貞寝するなんて事はないはずである。案の定祥子さまは。


「・・・・・・入るけれど」

 ぶすっとしたまま、だけどきちんとそう答えた。

「それじゃあ」

 要は祥子さまのご機嫌斜めは、どちらかに非があって発生したわけではな
いのだから。仲直りするのはそう難しいことではない気がする。


「一緒に入りませんか?」

 いつものことなのだから、わざわざ提案することではないけれど、あえて
強調。


 だって、ほら。

 愛のスキンシップで仲直り大作戦、とか。堂々と口に出せないではないか。
でも。


「・・・・・・・・・うん」

 思いっきり「ふて腐れてます」って顔をしているくせに。そっぽむいたま
まのくせに。祥子さまは頬っぺたをほんの少し上気させて、こくんと頷いた。


(くぁ・・・・・・可愛いぃ・・・・・・!!)

 心の叫びが口をついて出そうになったから、祐巳は慌てて手で押さえた。
重症だった。



                          


 祥子さまの真っ白な首筋に、手のひらをそっと這わせていく。

「・・・・・・」

 向かい合って座った祥子さまは、まだ少しだけ難しい顔をしていた。引く
に引けないって感じなのかな。


「・・・・・・怒ってます?」

「え・・・」

 祐巳がポツリと呟くと、祥子さまは驚いたような顔をした。あからさまに
わかりきったことだったから、あえてそれを口にしなかったのだけれど。も
しかして祥子さまは自覚がなかったのだろうか。


「そんなこと・・・きゃっ・・・」

 そんなことないわけがない。ということで、みなまで言い切る前に、首筋
に這わせていた手のひらを胸元に移した。・・・・・・もちろん身体を洗っ
ているだけだ。


「お姉さまのうそつき」

 拗ねていらっしゃるとわかっていても、大好きな人に知らん顔されたり、
何度もため息をつかれたり、いくら鈍い小狸だって不安になるというものだ。
それなのに、白を切ろうとするなんてあんまりだ。


「ん・・・」

 ふわふわのお胸に、石鹸の泡でいっぱいになった手のひらを何度も滑らせ
ると、祥子さまは鼻にかかったような声を漏らした。


「・・・・・・あんまりそっけなくされたら、私だって心細くなるんですよ」

 目の前のお胸に飛び込みたい気持ちをぐっと抑えつつそう告げると、何だ
か声がかすれてしまった。


「・・・でも、祐巳だって・・・」

 指先でそっと先端に触れた瞬間、祥子さまは消え入るような声とは裏腹に
ぎゅっと強い力で祐巳を抱きしめた。


「祐巳だって・・・私を不安にさせるわ」

「ええっ?」

 こんなにも祥子さま一筋なのに、そんなことを言われるなんて。思わぬ反
撃に目を白黒させていると、祥子さまは祐巳を抱きしめたまま、背中の中心
を指先全体でゆっくりと撫で下ろし始めた。


「聖さまだけじゃないわ、他の子にだって。子犬みたいに無邪気に笑いかけて」

 指先が手のひらに変わって、背中から腰に、それからその下方へと向かっ
てゆっくりゆっくり這わされていく。


「ひゃぅ・・・」

「私と一緒にいるとき位・・・・・・」

 両手で腿を抱え込むように撫で上げられるもどかしい疼きに、白い肩にし
がみつくしかできないでいると、祥子さまは耳元へ熱い吐息を吹きかけるよ
うに言った。


「私だけを見て欲しいのに」

 耳元から入り込んだ吐息が背筋を伝って全身を駆け巡るような感覚に膝の
力が抜けてしまう。くてんと力の抜けた状態で祥子さまに寄りかかる。


 それが不味かったのだ。

「だから、これはおしおきよ」

「へ?」

 あまりにソフトな感覚だったから、力の抜けた身体じゃすぐにはわからな
かった。

 祥子さまにしな垂れかかっていた身体が、いつの間にか押し倒されてしま
っていると気がついたのは、背中が冷たいタイルに押し付けられてからだった。


「な、なな・・・・・・」

 天井をバックにして祥子さまは満面の笑みを浮かべてくれたけれど。その
瞳と言い、口許と言い、とんでもなく意地悪な表情だ。


(な、なんで・・・)

 手にしたシャワーヘッドを祐巳の目の前に掲げると、祥子さまの微笑みは
より一層深くなった。


 で。

「わきゃ!?」

 ぽかんと緩んでいた間抜け顔めがけて、シャワーの水沫が勢いよく噴出した。

「な、何するんです・・・きゃあ!?」

 反射的に顔を横に向けて水流から逃れると、今度は無防備だった胸元へと
水沫が降り注ぐ。


「な、わ・・・さち・・・ひゃっ・・・」

 身体中に無遠慮に叩きつけられていくお湯のくすぐったい感覚に、意味不
明の言語しか発せないでいると、祥子さまは更にシャワーヘッドを素肌へと
近づけた。その上、胸元からお腹へかけて、ゆっくりと身体の線を下へ下へ
と辿っていく。


「○×□※▲!?!?!?」

 脚の付け根にまで到達した水沫の感触に、祐巳はとうとう声にならない声
で悲鳴を上げてしまった。だけど、祥子さまはそれだけではまったく怯んで
くれない。むしろその様子に更に煽られたかのように、執拗にその場所めが
けてお湯を噴きつけた。


「もう・・・!い、じわる・・・!お姉さまのふて腐れ虫!怒りん坊!」

 押し当てられる水沫の、とんでもない感触に身を捩るようにしながら、そ
れでも何とか祥子さまの薄い肩を押し返す。もちろん、乱暴にならないよう
に力を押さえてはいるけれど、じゃれあいの抵抗なんかじゃない。だって、
本当に恥ずかしいのだ。

 だけど、思いの外力が入ってしまっていたらしい。というより目測を誤っ
た。肩を押し返したつもりが祥子さまの腕を押し返してしまっていたようで。
しかもよりによって、押し返した腕はシャワーヘッドを持っている手の方だ
ったから。


 ザ―――――――――・・・・・・・・・ッ。

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

 凶悪なシャワーヘッドは方向を変えて、新たなる標的へ向かって水沫を噴
きつけた。


 祥子さまの麗しいお顔に。

 数瞬の間の後に、『ゴトン』という鈍い音を立てて、シャワーヘッドはタ
イルの上に落とされた。それでもその勢いを失っていないお湯の流れが、タ
イルの上を滑りながら、祐巳の右肩を濡らしていった。


「・・・・・・お、お姉さまが悪いんですからね・・・」

 呆然としている祥子さまに、おどおどとそう切り出す。だけど、祐巳が身
体を起こすよりも前に、祥子さまは唇を開いた。


「・・・・・・でも、おしおきだもの」

「んな・・・」

 まったく動じない様子でそう告げると、祥子さまは先程よりもずっと近い
距離で、祐巳の顔を覗き込んだ。


 額から滑り落ちた水滴が、祥子さまの睫を、鼻筋を、頬を、唇を伝って、
最後に顎で一瞬だけ止まってから、祐巳の頬に滴り落ちる。


 その光景に思わず見惚れてぽかんと開いた唇に、暖かく濡れた唇が重なった。

 息を呑むように喉の奥で唸ると、祥子さまは祐巳の頭を両腕で抱え込むよ
うに抱きしめながら、舌先で唇を撫でた。


 長いながい口付けが終わると、祥子さまは一瞬だけ祐巳をみつめた。その
頬や唇と同じように濡れた瞳で。


 『私だけを見て欲しいのに』

 そんな声が聞こえてきそうな表情のまま、祥子さまは少し不満そうに唇を
突き出して見せてから、やっぱりふて腐れた顔で胸の間に唇を落とした。


(・・・・・・もう)

 埋めるというには足りないくらいの胸に顔を押し付ける姿は、何だか子犬
みたいで可愛いのだけれども。


「あ・・・・・・」

 脇から胸全体を包み込むように滑らされる両手は、あまり可愛くないよう
な気がする。


 先端を弾く指先と、麓を滑る舌先。それから息継ぎのような吐息の合間に、
甘く呻く祥子さまの声が素肌に当たると、そこから溶け出してしまいそうだ
った。


 タイルに押し当てた背中や腿がひんやりと冷たくて。祥子さまとぴったり
と重なった胸やお腹や脚が熱い。その中間を、シャワーヘッドから押し出さ
れたお湯が流れていく。

 祐巳の肩やお腹を温かいお湯が濡らしていく。タイルの上に落とされた、
祥子さまの長い髪の毛先まで。


 子どもっぽいお腹に唇が落とされると、くすぐったくて思わず笑い声をも
らしてしまった。


 膝頭に軽くキスされると、つま先まで痺れてしまいそうだ。

 腿の内側にきつくきつく唇を押し付けられた瞬間、指先で祥子さまに縋り
ついた。


 中心に暖かな吐息が触れると、もう何も言えなくなった。

 シャワーの水流の音に混じる自分の嬌声が、バスルームの壁に反響して殊
更に恥ずかしい。


『でも、おしおきだもの』

(さ・・・・・・)

 熱に浮かされた瞳に滲んだ涙はきっと、感情の昂ぶりと、それからほんの
ちょっとの敗北感の表れだ。


(祥子さまの意地悪――――――!!!)


                            


「・・・・・・っくしゅ・・・」

 あったかパジャマを着た上に、ふわふわの毛布までかけてもらっているの
に。


「・・・・・・37.8℃・・・・・・」

 祐巳の口から取り上げた体温計に表示された数字を口にしながら、祥子さ
まはばつが悪そうにこちらへ視線を向けた。


 そんな様子を眺めなていると、ほんの少しだけ悪戯心が芽生える。

「・・・・・・・・・お姉さまのせいですからね」

「・・・・・・!!!」

 効果は絶大だったようで。祐巳の言葉を聞いた祥子さまは、『がーん』と
いう擬音と共に漫画の背景に出てくる縦線をびっしりと背負ったかのように
うな垂れてしまった。少し意地悪しすぎたようだ。でも。


「・・・・・・ごめんなさい」

 消え入りそうな声でそう呟くと、祥子さまはもぞもぞと祐巳の包まった毛
布に入り込んできた。


「風邪、お姉さまにうつっちゃう」

 そう宥めても、祥子さまはむずがるように首を横に振ると、ぎゅっと抱き
しめてくれた。

 そのまま、頬っぺたやおでこに何度も何度もキスをした。まるで、風邪を
治すおまじないのように。

 何だか胸がきゅんとなって祥子さまの頬っぺたを熱くなった手のひらでそ
っと撫でると、祥子さまはその指先にもキスをした。


「・・・・・・甘えんぼさん」

 祐巳の指に唇を押し当てたまま、じっとこちらをみつめる様子が、赤ちゃ
んみたいで思わずそう呟いてしまった。


(熱が引いたら、お弁当を作っていこうかな)

 ふとそう思った。

 約束した聖さまと、大好きな祥子さまと、それから自分の分と。
 今日みたいに三人で一緒に食べたら良い。また少し騒がしくなるかもしれ
ない。もしかしたら、祥子さまは拗ねてしまうかもしれない。


 そうしたら、また、今日みたいにうんと甘えてくれるのかな。

 祐巳の首筋に鼻先をすり寄せた祥子さまを抱き返しながら、そう思いつい
て頬を緩めてしまった。それから。


(・・・・・・できたら、暖かい場所の方が良いなぁ・・・・・・)

 そんなことを考えた、春の入り口。祐巳の頭の中は桜色一色だった。



                         END



 祥子さまはやきもち焼きで甘えん坊♪もうミネタの脳内ではそれしか考えられないのです。
L・O・V・E ラブリー祥子さま!そんな感じでごきげんよう。



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