おかえり。



「は、・・・るか・・・」

 吐き出された声が、部屋の中で白く形作られてうっすらと消えていくみたいに熱っ
ぽい。ほつれた髪が頬に一筋かかっている。それをすくい上げて梳いてやると、みち
るは眉を顰めたまま瞳を伏せて、また、ため息をつく。手のひらに当たる熱が心地よ
くて、彼女の頬を撫でて見せたら、はるかの願いどおりにみちるはそこへ口付けてく
れた。


 二人抱き合って、くっつき合って。ちょっと切なくて。でもいっぱいうれしくて。
どこか真剣。


 のはずだけれども、はるかの脳内はと言えば。

(あー、もう。本っ当可愛い。何しても可愛い。つーかもっと泣かせたい。いじめた
ら怒るかな・・・。でも怒った顔もそそるしな)


 戦いに明け暮れていた日々が終わりを告げるとともに、シリアス脳を使わなくなっ
たはるかは気持ちの赴くまま、願望を脳内で盛大に弾けさせていた。


 枕を背にして、ゆったりと脚を投げ出しているはるかを跨ぐようにして、みちるは
こちらの肩へ手をついている。試しに左脚を軽く揺するように動かすと、彼女は驚い
たように身体を震わせて、手を置いたはるかの肩へ力なく顔を伏せた。


「みちる、手、止まってるよ」

「・・・!」

 笑い声になりそうなのを堪えて、震えている肩を眺めながら告げると、もう一度大
きく彼女の背中が震えた。


「おかしーなー。今日はみちるがいっぱい可愛がってくれるって言ったのに」

「・・・・・・」

 顔を上げてくれないみちるに焦れながら、けれど髪の隙間から見える耳が赤く色づ
いているのを確認して、はるかはだらしなく頬を緩めた。上機嫌で白い脚に指先を這
わせると、シーツに食い込んだ膝が耐えるみたいに震えている。駄目だ、楽しすぎる。



 たまたまはるかの出場するレースと、みちるの演奏旅行のスケジュールがぶつかっ
てしまうのはよくあること。予定が重なっていなくとも、演奏会にコンクール等など
何かしらのイベントが近づけば、みちるが一人の時間をとても大切にすることも知っ
ている。だからのべつ幕なしに触れ合えるわけじゃないことだって、百も承知。それ
くらいの分別が出来る位には、はるかもオトナになっている、はず。


 だけどそんな時に限って。

 ほたるは学校のオトモダチやらおちびちゃんと忙しく遊んで過ごしているし。もし
かしてボーイフレンドとかだったらそいつをシメとこうと後をつけたりもしたけど、
そんな心配もなくすぐに飽きてしまった。


 せつなは研究室に籠りっ放しで。白衣で出勤して白衣で帰って来るし。おまけに家
事とほたるの相手してる時以外はパソコンを離さないし。何で僕も構ってくれないんだ。


 二週間ばかりそんな状態で過ごすと、理性やら体面やらは著しく低下するらしい。
元々一人で過ごしてきた分、そう言った状況には耐性があると思ってたんだけど。


 彼女を空港まで車で迎えに行って、それだけでも飛び跳ねてしまいそうなぐらいは
しゃいでいた。車に乗り込むと同時に手を取ったら、家に帰るまでみちるはずっと手
を繋いでいてくれた。


 玄関の扉が閉まるよりも早くぎゅっと抱きしめたら、苦しくなるくらい胸が狭まっ
て行くから、懐かしいみちるの匂いを胸一杯に吸い込んだ。


『僕、すっごく寂しかった』

『あら』

 普段はるかがそう言った類の言葉を素直に口にしないからだろう、みちるは一瞬だ
け目を丸くして、すぐに口元をほころばせた。


『だから、今日はいっぱい可愛がってほしいな』

 笑顔を零すみちるに吸い寄せられて、頬っぺや瞼にたくさんキスをする。その分だ
け優しく頭を撫でてくれるから、もっとして欲しくて口付けを繰り返す。今日はこの
まま独り占めできるよね。もうずっと甘やかしてもらうもんね。腕の中にみちるを閉
じ込めながらはるかは一人そう宣言した、のに。


『みちるママ!』

 ソファに腰かけたみちるの膝の上をきっちり占領したほたるからは、はるか同様、
「もう絶対に離さない」という意気込みがこれでもかと言う程に発せられていた。


(僕がしたかったのに・・・っ)

『いい子にしていたかしら』

『うんっ』

 みちるの膝の上に座ったほたるは、彼女の胸に顔を埋めて、小さな手をみちるの手
のひらに重ねる。そこにみちるがいることを確認するみたいに、指をからめて、じっ
と彼女を見上げて見せた。


(・・・みちる、堕ちたな)

 傍から眺めているはるかでもわかるくらい、ほたるのその仕草にみちるは感極まっ
たように眉を寄せて、緩慢な動きで微かに一、二度、首を振ると、小さな額に自分の
額を押し当てて満面の笑みを零した。


『そう、うれしいわ。でも、風邪を引いたり、お腹が痛くなったりしなかったかしら。
私はそちらの方が心配よ』


『大丈夫だよ、みちるママは?』

『あら、私だって平気よ?体調管理もお仕事の一つだもの』

『そうなんだ』

(・・・・・・・・・)

 みちるの手がほたるの髪を撫でて、肩を撫でて、背中を撫でる。そこいらの恋人た
ちにも負けないくらい、二人はお互いのおでこをくっつけあって、きつく熱く抱きし
めあっていた。


(僕もしたい・・・)

 楽しそうに旅行の話に花を咲かせる二人を、指を咥えて眺めていたら、よっぽど物
欲しそうな顔をしていたのだろう。せつなにぶっとい百科事典で頭をはたかれた。何
でそんなもの持ち歩いているんだ。



「だって、はるかが・・・」

 内心のにやけ笑いも隠せなくなりそうなはるかの肩に顔を埋めたまま、みちるが途
切れがちにそう訴えた。


「あれ?僕のせい?」

「・・・・・・あなたが悪戯ばかりするから・・・」

「えー、こういうこととか?」

「!」

 震える膝のあたりから、包み込むようにして撫で上げたら、みちるの手がはるかの
肩をきつく握りしめた。まるで、何かに耐えているみたい。そう思いながら、彼女の
背中のあたりから視線を流していたら、彼女が膝で身体を支えているらしいことに気
が付いた。


(ふうん・・・)

 ぴったりくっついてる方が気持ちいいのに。でも、動きづらいのかな。だけど、は
るかがくすぐったり、口付けたりする度に、その動きは止まってる。


「ねえ、ずっとそうしてたら疲れるだろ?こっちにおいでよ」

 それならやっぱり抱っこしてる方が気持ちいいよなと、腰を引き寄せようとしたら、
みちるが抵抗するみたいにはるかの腕を掴む。むしろそれに煽られたように力任せに
抱き寄せて、お腹の上に座らせたら、湿ったような熱がそこに触れて、今度こそはる
かはにやけていく顔を隠せなくなった。


「・・・ほら、いじわるばっかり」

 はるかの表情を読み取ったみちるが、今にも泣きだしそうな顔をして、唇を噛みし
める。そのままキッと睨みつけられたら、うれしくて余計にやけちゃうよ。


「みちるが僕を一人ぼっちにしてたからだろ。だから仕返し」

 目尻に溜まった涙が零れちゃうよりも前にそこへ口付けてから、じっとみつめ返す
と、怒ったような表情を浮かべていたはずのみちるは、僅かに目を見張る。


「馬鹿ね・・・」

 呆れたような声の後、彼女は苦笑いのまま、はるかの髪を優しくかき乱して、そっ
と額に口付けてくれた。




                             END



 でもこの後噛まれたり引っかかれたりすると思うよ。



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