モシモキミガ泣クナラバ



 月明かりの下で、頬を寄せた素肌の色は白く冴え冴えと夜の闇に映えていた。

(元々色素が薄いのかしらね・・・)

 少しだけ、眠気でぼんやりとした頭でそんなことを考える。肌の色だけではない。
髪の色も、瞳の色も。彼女の硬質な心とは対照的に、その容貌は柔らかだった。


 取り留めもなく思考を漂わせながら裸の背中を眺めていると、何だか胸の奥が
狭まって行くように感じられて、みちるは思うともなくその素肌に唇を寄せた。


 はるかは胎児のような体勢で眠る。寒い夜も、満たされた朝も。同じような格好で
丸まっていた。そして、それは今日も変わらない。


 首筋に掛る短めの髪を指先に絡めると、また、胸が苦しくなった。泣きたいのだろ
うかとふと思う。悲しくても、苦しくても泣いたことなんてないのに。


 考えなければならないことは、他にもっとたくさんある。胸の中にある事案に優先
順位をつけるとしたら、きっと、この痛みはずっと下の方へ位置づけるべきだろう。


 それなのに、どうしていつもいつも、こんな風に胸が痛むのだろう。その痛みに
沈溺してしまうのだろう。


 はるかの髪も、頬も、瞳も、唇も。腕、脚、指先、彼女を形作る全てが愛おしい。
けれど、一番長い時間みつめていたのはこの背中だと、痛む胸の中で思う。



 ―――私、ずっとあなたを見ていたわ。


 いつだったか、彼女にそう告げたことがある。それももうずいぶんと昔の話のようだ。

 ずっと、あなたをみつめていた。

 振り返ってくれるなんて、夢にも思えないくらい。

 あなたの背中をみつめてた。

 はじめて言葉を交わした日、はるかは当たり前のようにみちるに背を向けた。

 招待した会場でも、壇上から送られるみちるの視線を煩わしげに振り払って、あな
たは出て行った。


 遠く、遠く、離れたところにある彼女は、いつも後ろ姿しか見せてくれない。

 強い人。誇り高く、美しい人。

 彼女を形容する華美な言葉とは裏腹に、みちるがみつめる背中は、いつも儚げで。
この人の、命も、心も、全てを守ってあげたいと思ってしまった。それは、はるかが
その人だとわかる、もっとずっと前のことだ。


「・・・くすぐったい、みちる」

「え」

 いつの間にか、その背中にしがみ付くようにして抱きしめていたら、不意にはるか
が掠れた声で呟いた。


「起きていたの?」

「寝てたよ。でも、急にみちるがくすぐってくるから」

「くすぐっていたわけじゃないわよ」

「じゃあ、怖い夢でも見た?」

 ばつが悪く言い淀んでいたら、はるかがゆっくりと振り返って、みちるの髪を撫でた。

「違うわ。・・・少し、思い出していただけ」

「何を?」

「色々」

「色々なら少しじゃないじゃない」

「そうねぇ」

 曖昧な返答に笑いながら、はるかはそっとみちるの首を手のひらで抱き寄せて、頬
や顎に口づけてくれる。


「くすぐったいわよ」

「お返し」

 首筋を唇でなぞられて、声をあげて笑ってしまった。

 ただ、うまく言葉にできなかっただけ。

 色々な情景が、一瞬一瞬頭の中に浮かんで。そのどれもがはるかのことで。

 あなたが愛おしい。

 そう言葉にするだけでは短すぎる気がして、説明できない。

「・・・・・・ちょっと」

「んー?」

「あなたこそ、くすぐらないで」

「くすぐってるわけじゃないよ」

「・・・・・・」

 いつの間にか彼女と真正面で向き合う形で、シーツに沈んでいた。その上、はるか
の唇は、その移動範囲を先ほどよりもずっと広げて、鎖骨から更に下へと進んでいる。


「・・・そうしていると、何だか小さな子どもみたい」

「そう?」

「普段は澄ましているのに、甘えん坊なのね、まったく」

 乳房に顔を埋める彼女の姿を眺めていると、思い浮かんだ言葉がそのまま口を突い
て出てしまった。


「あれ、今頃気がついたの」

 どことなく、意地悪な言い方になってしまったと、内省するみちるを他所に、はる
かは悪びれもせずそんなことを言う。


「それに、普段から別に澄ましているわけじゃないよ」

「そうかしら」

「みちるの前ではね」

 緩やかに弧を描いた唇から洩れる吐息が先端に触れてくすぐったい。

 指先が麓の素肌を行き来して、吐息と一緒に唇がそこへ触れる。舌が絡まるのを感
じながら柔らかな髪ごと抱きしめると、彼女の背中を眺めていた時と同じように、胸
の奥が狭くなった。


 狭くなったそこが、彼女の指で、舌で、唇で、温かく溶かされていくと、この気持
ちが止めようもなくあふれ出てしまいそうだ。


 愛しい。

 尊い。

 大切。

 私の全て。

 言葉になんて、できない。

「・・・・・・ずっと前に、約束した時のこと、覚えてる?」

 少しずつ湧きあがってくる感情をもてあましながら、不意に思いだして尋ねてみる。

「覚えているよ」

 みちるの指で、柔らかな髪の毛をかき乱されながら、はるかが小さな声で言った。

「僕を置いて行った時のことだろ」

「あら」

 少し拗ねたような声。しっかりと覚えている上に根に持っているようだ。


 ―――ここから先は、お互いの身に何があっても、残った一人で先へ進むの。


 今も、その時の気持ちは変わらない。

 例え自分に何があったとしても、はるかの枷にだけはなりたくない。

 けれど、そのせいで随分と彼女を傷つけてしまった。もちろん、それを予想できな
かったわけではない。


 本当は誰よりも繊細な彼女だからこそ、目の前で誰かが倒れて行くことに、心が痛
まないわけがない。


 ただ、それでも、はるかを守りたかった。自分の目の前で、彼女の身体までもが傷
ついて行くのを見ること等耐えられないともいえる。言ってみれば、みちるの自己満
足。だから、恨まれるのも承知の上だ。


「・・・・・・ちゃんと覚えてる。みちるが、心も、身体も、守ろうとしてくれたこと」

「え」

 それなのに、はるかの声は殊の他穏やかだった。

「でもそれなら、ちゃんとみちるも覚えていてよ」

 甘い疼きの中で、はるかの優しい声がこだまする。

「僕も同じ気持ちだってこと」

 胸に抱くあなた以上に、大切なものなんてない。

「・・・・・・はるか」

 先端から麓へと、唇が素肌を下降していく。口付けられた場所が、灯をともされた
ように熱くなる。けれどすぐ側に彼女を抱きしめていないことがもどかしくて。引き
上げるようにして、彼女の頭をかき抱いた。先ほど通り過ぎた肌の上を引き上げられ
ながら、はるかは笑い声を漏らした。


 みちるの腕に抗う気もないのか、彼女はまた胸の間に顔を埋めて見せた。笑い声は
吐息となって、みちるの胸の中を熱く満たしていく。


「・・・だから」

 与えられる心地よい感覚に心を漂わせていると、不意に彼女の声がした。

 ぼんやりと視線をその声の聞こえた方向へ向けると、青空のように澄んだ
瞳がみちるをみつめていた。


「もう僕を置いて行くなよ」

 手を伸ばして抱きしめると、柔らかな前髪が頬に当たる。その確かな感触に、やっ
ぱり涙がこぼれそうになった。




                            END



 精神的にはみちるさんの方が大分お姉さんな気がするなぁ。。。それでもって恋する乙女全開な感じで。(何)




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