mirror



「えへへ〜」

 お風呂上りのソファの上、祐巳はだらしなく頬を緩ませて数枚の写真を眺めていた。

「いつまで見ているの」

 スキンケアを終えた祥子さまは、キッチンからミネラルウォーターを手にして戻って
くると、呆れたようにため息をついて祐巳の隣に腰かけた。


「だって、すっごく楽しかったんですもん」

 祐巳が眺めているのは、春休みに二人で行った旅行の思い出を収めた写真。祥子さま
の卒業旅行、とも言えなくもない。だから祐巳にとっては少しだけ、いやとてつも
なく寂しさの付きまとう旅行になるはずだったのだけれど。


 旅行の二日目。お泊まりはその日で最後って時に、祥子さまから告げられたのは、
お別れの言葉なんかじゃなくて。


 ずっと、ずっと、祐巳が抱えていたのと同じ気持ち。

 星空と、イルミネーションの下で、祥子さまは「好き」と一言、祐巳に言ってくれた。

 春先の夜はまだまだ寒くて。

 だけど、夜の下で祐巳を抱きしめてくれた祥子さまの腕は、祐巳が思っていたより
もずっと暖かだった。


 寂しさから一転、幸せの絶頂へと駆け上ったと言ってもいい。そんな思い出の写真
を、にやけずに眺めるなという方が酷と言うものだ。祐巳にとっては。うん。


「私も楽しかったわ。でも、あなたったらいつもその写真をずっと眺めているんです
もの。そろそろ飽きないのかしら」


 パジャマに着替えた祐巳をそっと抱き寄せながら、祥子さまはやれやれと言った様
子で、またため息をついた。


「私からしてみれば、何だか放っておかれている気分になるわ」

「そんなこと」

 声に刺はないけれど、珍しく弱気な発言に祐巳は慌てて祥子さまの方へ視線を向ける。

「普段は学校も違うからまったく会えないし」

 それなのに言いつのる祥子さまの言葉は何となく愚痴っぽい。どことなく笑いが含
まれているけれど。


「寂しいわ」

 どこか熱を帯びた言葉を、祐巳の耳の中へ直接吹きこむように囁いた祥子さまは、
祐巳を抱き寄せていた腕に力を込めた。手のひらが、優しく身体を撫で始めていた。


「・・・・・・おねえさま・・・あの・・・」

 パジャマの裾から指先が入り込んで、素肌をなぞる感覚に身をよじって祥子さまを
仰ぎ見る。目が合うと、祥子さまは悪戯っぽく微笑んだ。


 大学に進学した祥子さまは一人暮らしをしている。それもこの前の旅行の時に教え
てもらった。


『一人で不安じゃないですか?』

 教えてもらった時、祐巳はそう尋ねたけれど。

『少しはね』

 短くそう答える祥子さまの顔に表情はなくて。

『私、お姉さまが引っ越しされたら、窺ってもいいですか?』

 祥子さまの顔がそのまま泣き出しちゃいそうに感じて、祐巳は慌ててそんなことを
口走った。


『ええ。構わないわ。祐巳なら大歓迎よ』

 祐巳の上ずった声に吹き出しそうな声で祥子さまがそう答えたから。

『そんなこと言ったら、毎週通っちゃいますよ』

 ちょっとした反撃に出るつもりが、まるっきりの願望を思わず吐き出してしまった。

 そうしたら、祥子さまは。

『本当に?』

 驚いた顔をして、それから花開くような笑顔を零してから、逆に祐巳に聞き返す。

 その様子がすごくきれいで。すごく、すごく、きれいで。

 うれしくて、祐巳は何度も頷いた。

 でも、その時にはまだ予想もしていなかったんだ。

 祥子さまと思いが通じ合って。それから、本当に祥子さまと逢瀬を重ねるようにな
る日がくるなんて。


「ゃ・・・・・・」

 麗しい思い出を、蕩けちゃいそうになりながら反芻していると、祥子さまの指はさ
らに大胆さを増して、祐巳の素肌の上を滑って行く。


「・・・・・・そういえば。どう?学校の方は」

 甘えるように唇を求めたけれど、祥子さまは笑い声のような吐息を浴びせかけるだ
けで。


「どうって・・・」

 むず痒いような、切ないような気持ちが胸の中でくすぶっている。祥子さま、普段
は少しだけそっけないけれど、それ以上に優しくて。だけど、こんな時、少しだけ意
地悪になる。


「授業は・・・少し、難しくなりました、けど・・・受験生もいるし・・・」

 くすぶってた気持ちが全身に充満していくみたい。それを鎮めたくて、額を祥子さ
まの首元に押し付けると、甘ったるい声が漏れてしまう。


「山百合会の方は、うまくいっているかしら」

 それなのに、祥子さまはそれに気づかないふりをして、先ほどまでの会話を進めて
いく。


 祥子さまの意地悪。

 だけど、そんなこと言えなくて。

「・・・・・・志摩子さんは前年度も薔薇さまをしているから、慣れていますし。由
乃さんも事務処理すごく早いですから。活動に支障を感じるようなことはないです」


「祐巳は?」

「私は・・・ついて行くのがやっとですね・・・。でも、瞳子がいてくれますから」

 祥子さまの意地悪。

 そんなこと口になんてできない。だからと言って、意地悪な仕返しをしたかったわ
けじゃないんだけど。


「・・・・・・ふぅん」

 瞳子の名前を聞いた途端、祥子さまの声色が変わったのがはっきりとわかった。

「そう。よかったわね」

「・・・・・・・・・」

 そっけない。でも、それはいつもの感じではない。いうなれば、努めて冷静にそれ
だけ言葉にしたという感じ。だって、棒読みだもの。祥子さま。


 まずい。

 火照っている身体とは裏腹に、頭の先からさーっと血の引いていくような感覚がす
る。


 こんな時の祥子さまは、はっきりいって要注意。頭の中の点滅信号が黄色から赤色
に変わっている。


 本当はすっごく焼きもちやきなのだ、祥子さまは。

 姉妹になった頃からうすうすはそのことに気づいていた。聖さまと祐巳がスキンシ
ップをした後には、どことなく不機嫌になっていたし。聖さまが卒業した後の一年も、
その片鱗は見え隠れしていたのだけれど。


 晴れて恋人になってから、祥子さまはそのことを隠そうとしなくなった。あからさ
まに理不尽な仕打ちをされることはないけれど。祐巳の学校での様子を聞きたがるの
に、誰かと仲睦まじくしている様子が伝わると、ぷーっと頬っぺを膨らませたりして。
その仕草はとても可愛らしくて、ついつい祐巳の頬っぺたも緩んだりするんだけど。


 その後は、とてもじゃないけれど、にこにこと頬っぺたを緩ませてなんていられな
い状況になったりする。


 端的にいえば、すっごく激しかったりする。愛情表現が。

「お、お姉さま・・・」

 ついつい怯えたような表情を浮かべてしまう。その上、声までも震えている。だけ
ど、そう言った仕草の一つ一つが、祥子さまを刺激してしまう。


「あ、の・・・・・・っ・・・」

 言いかけた祐巳の唇を、祥子さまが貪るようにして塞ぐ。合間にもれる荒い吐息が、
祥子さまの高ぶった感情のように感じられて、祐巳の方こそ、頭の芯まで痺れていき
そうになる。


 パジャマの裾が乱暴に首元まで手繰り上げられると、素肌のほとんどが白日の下に
さらされる。


「待っ、・・・くださ・・・」

「駄目」

 祐巳の途切れ途切れの制止をまったく聞き入れてくれない様子で、祥子さまは同じ
ようにパジャマのズボンにも手をかける。


(そ、ソファの上なのに・・・)

 ここに至って、そんなことで悩んでいる祐巳も祐巳だが。でもほら。祐巳も年頃の
女の子なのだから、そういった雰囲気も大切にしたいわけで・・・って。


「ひゃあ・・・・・・」

 何ら思いとどまることなく、祥子さまは祐巳のパジャマを床に落とすと、胸を縁取
るレースの下着にまで指をかけ始めるものだから、思わず素っ頓狂な声をあげてしま
った。


「ほ、本当に、待って、お姉さま・・・」

 抱き合うのは初めてじゃない。優しいだけじゃない祥子さまも知っている。でも、
こんな明るい室内では、やっぱり戸惑ってしまう。


「待たないと言っているでしょう」

 祐巳のお願いに意地悪くそう答えると、祥子さまは慎ましやかな祐巳の胸を掬い上
げるようにして、レースの縁取りをそこから押しのけてしまった。


「・・・・・・ふえ・・・・・・」

 ほとんど泣き声のような声を漏らしても、祥子さまは無視を決め込む。恥ずかしい
だけで、祐巳が本気で嫌がっていないせいもあるんだろうけれど。こんな時の祥子さ
まは容赦ない。胸の先端を指先が少しだけ乱暴につまみあげると、もう何も言えない。


「・・・・・・ん・・・っ・・・」

 指先がそこを執拗に責め立てると、甲高い声が上がるのを自分でも止められなくな
った。弱弱しく頭を振る素振りを見せると、祥子さまは余計に祐巳を責め苛む指先に
力を込めるからたまったものじゃない。


「・・・・・・祐巳、見て」

 不意に、後ろから祐巳を抱きすくめた祥子さまが耳元でささやく。何だか、楽しそ
うな声で。


「・・・・・・?」

 こめかみのあたりに口づけられながら、祐巳はきつく閉じていた目をうっすらと開
く。薄く張った涙の膜で、視界がぼやけていた。それが徐々に明確になっていくと、
全身に熱が駆けていくのがわかった。


「・・・いや・・・・・・」

 目の前の光景に、そんな言葉が漏れた。

「どうして?」

「だ、だって・・・こんな・・・」

 祐巳の目の前には、祐巳と、祥子さまがいた。

 正確に言えば、重なり合った二人が映った姿見が置いてあるのだ。

「・・・・・・祐巳の可愛い顔が見られるのだから、そっぽを向いたりしては駄目よ」

「・・・・・・っ!」

 姿見の中で、祥子さまはそう告げながら、祐巳の耳に舌を這わせ始めていた。

 それはいつも、祥子さまや祐巳が身なりを整えるために使うもので。使わない時に
は、祥子さまが海外へ行かれた際に買ってきた、ショールのような布が被せてあるの
に。どうして今日に限ってそれが外されているのだろう。そう思いかけて、先ほどま
で祥子さまが念入りにスキンケアをしていたことを思い出した。


(でも・・・でも・・・)

 そんなことを思い出したからと言って、現状を打開できるわけでもなんでもなく。
姿見には相変わらず、愛の営み真っ最中な二人の姿が映し出され続けているわけで。


「や・・・だ、だめです・・・」

 鏡の中に、胸の間から滑り落ちた手のひらが、ゆっくりと下方へ撫でつけられてい
くのを発見して、祐巳は声を上げる。それから、後ろの祥子さまの様子を確認しよう
とした。振り返るのではなく、その鏡の中で。それが、いけなかったのだ。


 祥子さまのお顔を見るよりも前に、祐巳の目に映ったのは。

「あ・・・」

 紅潮した頬に、うっすらと涙を零している自分の顔だった。けれど、それは泣いて
いる表情なんかじゃない。


 潤ませた瞳も、戦慄いている唇も、表情の全部が祥子さまを求めている。

 素肌を滑って行く手のひらを拒絶するどころか、焦れるようにして待ちわびている、
ひどく淫らな表情が、そこにははっきりと映し出されていた。


「駄目だと言っているのに」

 見ていられなくて慌てて眼を閉じた祐巳の顎を、祐巳のお腹のあたりを撫でている
のとは別の手でやんわりと捕らえると、祥子さまはため息交じりにそう言った。それ
から。


「でも、いいわ。・・・・・・私からは、祐巳がどんな表情をしているのか見られる
のだから」


 その言葉を言い終えると同時に、祥子さまがまた、祐巳の唇を塞いで、顎に添えら
れていない方の指先が、祐巳の中に入り込んだ。


「――――――っ・・・・・・」

 祥子さまの言葉と、入り込んでくる熱に、鋭い感覚が爪先まで走る。それに合わせ
て、身体が震えてしまうのがわかる。


 全部、見られてるんだ。

 絡めとられるような舌に必死で応えながらそんなことを考えると、恥ずかしさより
も、全身に感じている悦びが強さを増していくような気がした。


 唇が離れると、どちらともなく名残惜しそうな吐息が漏れる。

「・・・・・・ゆみ」

「?」

 祥子さまの指先から与えられる感覚に、膝から力が抜けていくように感じて彼女に
身体を預けていると、不意に名前を呼ばれて緩慢に顔を上げた。


「こんな顔を見せるのは、私にだけ?」

 先ほどまで意地悪く笑っていた祥子さまは、今は少しだけ切なそうに瞳を揺らめか
せていた。


 そんなこと、当たり前なのに。というか、そう言った表情に至る行為、つまるとこ
ろ愛を確かめ合ったりする相手は祥子さましかいないのだ。むしろ他の人に見せたら
まずいと思う。そんな気持ちを込めながら思いっきり頷いて見せながら、祐巳は祥子
さまが先ほど言っていた言葉を思い出した。


『普段は学校も違うからまったく会えないし』

 心はずっと一緒だけれど、身体は離れているのだから。祐巳だって、毎日毎日そん
なことばかり考えている。


 その上、想いが通じ合ってからだって、どこか余裕のある祥子さまの態度に、祐巳
ばかりがそう思っているような気持ちにさえなっていたけれど。


『寂しいわ』

 祥子さまもそんな風に想ってくれてたんだ。

 そう思うと、何だかくすぐったくて、だけど、意地悪もやきもちも怒る気なんかに
なれなくて。


「お姉さまだけです」

 自分の声が、いつもよりもずっと甘ったるく聞こえる。これだって、祥子さましか
聞いたことがない。


 背中越しに抱きしめられていることがもどかしくて後ろを振り返ると、すぐにその
隙間を埋めるように抱き寄せられる。膝で立つようにして祥子さまの首に腕を巻きつ
けると、入り込んだ指先の力強さとは正反対の優しい動きで、反対の手のひらが祐巳
の腿の内側を撫で始めた。


 だけど、もう鏡を確認する余裕なんてない。

 首元に鼻先をこすりつけるようにしていた顔を上げると、目の前に祥子さまの濡れ
た表情があった。


 きっと、祐巳も同じように瞳を揺らめかせているに違いない。

 きれいな瞳に吸い寄せられるように目を閉じると、祥子さまの唇が祐巳の唇に触れ
て、他には何もいらなくなる。



                              


「そう言うお姉さまこそ、学校でどんなふうに過ごしているんですか?」

 ベッドまで祥子さまに抱っこしてもらった状態で運んでもらっただけでも図々しい
のに、二人並んでシーツの上へうつ伏せに寝転がると、祐巳はほんの少し不服そうに
唇を尖らせてしまった。


「・・・どんなふうにって、普通に勉強しているわよ」

 む。一瞬のその間は何?

「でも、聖さまもいますし。他にもたくさんお友達はいるじゃないですか」

 この間も、お友達と遊びに出掛けられたみたいなことを言っていたし。

「それは、そうだけど・・・」

「うー」

 祐巳が理不尽なやきもちを焼き始めたところで、祥子さまはにっこりと笑って、と
んでもないことを言った。


「でも、祐巳以外の人にはあんな顔させたいって思わないもの」

「ふえ!?」

 手のひらが、また、祐巳の裸の肩を抱き寄せた。



                           END



 いや、0930とかキャンパスとか考えているうちに、とにかくいちゃらぶー!と突発的な妄想に
走った結果こんなことに、春休みの旅行、二人っきりだといいな〜という願望がふんだんに盛り込ま
れております。それでは。



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