Jealousy ?



 いつもはもっと、静かで、ゆったりとした速度だと思う。唇に与えられる熱を味わ
いながら、みちるはそんなことを考えていた。



                               


 きっかけは、些細なことだった。

 花束や、手紙や、積極的な人であれば、みちるを抱きすくめること位はしたかもし
れない。心地よいわけではない、けれど、心乱されなければならないような場面でも
ない。慣れてしまった、と言えば聞こえは全く良くないけれど、みちるにとって、誰
かに親愛以上の情を持って接せられることは、別段珍しいことではなかった。そして、
それに逐一とりあえる程、心の細やかな人間ではなかったと言うだけの話だ。もちろん、
ひどく残酷な立ち居振る舞いをすることは、それまでみちるが培ってきた美意識に大
きく反する。自意識もそこまでは肥大していないつもりだ。彼らにとってもそういった
振る舞いは、ある種社交辞令のようなものなのだろう。だから、気分を害さない程度に、
けれど余韻を残さず、一時の美しい思い出に出来る程の気遣いで遠ざける。礼節と言えば
それまでだが、みちるにとっても、そう言った方法が一番心穏やかでいられる打開策だった。


 ただ、少し見誤ってしまっただけ。

 分別をわきまえているような紳士や、思わせぶりな態度の応酬を好んでいるだけの
男性にしてみせるマナーとはわけが違うのだと、ぼんやりと頬を染めた彼を見て、み
ちるも少し悪いことをした気持ちになった。


「だれが、そんなことして良いって言ったの?」

 持ち帰った花瓶に水を足しなおしたみちるの首筋に噛みつきながら、彼女は殊更低
い声で呻いた。


「何のこと?」

 後ろからの感覚に、部屋の中へと入る脚を止めずに答えると、はるかは追ってくる
代わりに、当てつけのようにため息を吐く。


 あの後、おちびちゃんが大きな音と共に登場してくれたのは、とても良いタイミン
グだったと思う。その上、あのおちびちゃんはうさぎによく似た愛くるしい笑顔の持
ち主で、はるかではないけれど、ついでに彼女の柔らかそうな頬にも感謝の気持ちを
落とそうかしらと不埒なことまで考えていた。


「ふうん?無意識なら尚更性質が悪いとしか言いようがないよね」

 部屋に帰ってからも落ち着かないのか、それよりも腹の虫がおさまらないのか、は
るかは冷蔵庫から取り出したペットボトルを手のひらや指先で無意味に弄びながら、
ダイニングとリビングの合間に置いてあるラタンチェアへ乱暴に座り込んだ。


「君に自覚がないことはわかってるつもりだったけど」

 先ほどから何度も脚を組みなおしては、苛立たしげに視線をあちこちへ巡らせてい
る。座り心地を気に入ってみちるが購入したチェアなのだが、はるかにはそうではな
いようだ。


「どの話をしているのかわからないわ」

「そう言う所、全部の話」

「それなら一つは済んだわね。さっき」

 それなら尚更わからないわと言う代わりにそう答えると、はるかはますます表情を
歪ませる。けれど、「無意識に」そういった所作を持ち合わせていると思われるのは、
笑い飛ばせる程度には心外だった。言ってみれば、これはみちるが努力して身に付け
たものだ。物心が付くよりも前からそのようにしつけられていたから、身体に覚え込
ませる作業は苦痛ではなかったし、そう言った立ち居振る舞いに虚無感を覚えるよう
な時期ももう過ぎてしまっていた。そつなくこなしていく場面ばかりが続く毎日なら、
そうも言ってはいられないかもしれないけれど。


「・・・それで、僕がおさまるとでも思ってる?」

 髪を結わえ上げながら振り返ると、怒りに輝く瞳が待っていた。確かに、みちるの
言った通り、先ほど車の中でもはるかは同じようなことで不貞腐れていたのに。あれ
は小さな爆発だったと言うことか。それとも、持ち帰った花瓶と、そこへ生けられた
「情熱的な愛」に、怒りが再燃したのだろうか。どちらにしても、退屈な時間とは程
遠い。みちるはそのことに満足していた。


「だから、わからないと言っているのでしょう」

 はるかはもう一度脚を組み直した。けれど、すぐにそれを無意味にするべく立ち上
がる。立ち上がった彼女の代わりに、座面のクッションの上へとボトルが放り投げら
れる。長い脚が一歩こちらに踏み出しただけで、彼女は易々とみちるの目の前に立った。


「じゃあ、その性能のいい頭に残しときなよ。僕はね」

 眉を顰めたまま彼女は言い募る。その相手が自分だということはわかっているのに、
少し斜に構えてこちらを見下ろす角度に胸が高鳴っていくような気がする。


「君が、他の奴に笑いかけるだけで気分が悪くなる」

「そんなの、・・・」

「君のせいに決まってるだろ」

 思わず噴き出すところだった。それを何とかこらえてじっとみつめ返す。

「まあ。それじゃ、どうなってしまうのかしら。私」

 まったく悪びれる風もないみちるに、はるかの眉間のこわばりが僅かに緩まった。

「そりゃあ・・・、こうなるさ」

 言い終わらぬうちに、はるかの腕の中へと引き入れられた。そのまま首筋の、先ほ
どと同じ場所へと唇が押し当てられる。舌先の感触が這ってから、今度こそ、そこを
きつく吸い上げられた。


「・・・まったく。一体いくつ印をつけたら気が済むの?」

 本人曰く、ところ構わずではないらしいが。はるかがこんな風にふて腐れると、翌
朝は目を覆いたくなるような惨状なのだ。


「君に悪い虫が寄ってこなくなったらだよ」

「払い落とすくらい、自分で出来るわ」

「くっついてからじゃ遅いだろ」

 耳のすぐ傍で湿った声が聞こえて、みちるは思わず肩をすくめた。音を拾う感覚の
研ぎ澄まされたそこは、少しの刺激にも過敏に反応してしまう。それを知っているか
ら、はるかは執拗にそこを弄る。目眩がしそうな感触に息が上がっていくのがわかった。


「妬いてくれているの?」

 昼間も同じ台詞を口にした。その時、彼女はさらりと否定して見せたけれど、もう
一度尋ねてみたくなった。


 背中を抱いていた手のひらが、指先を忍び込ませるように脇腹を撫でおろしていく。
腿のあたりを包んだそれが、少し熱い。じれったい感覚を伝えるように、みちるも
ゆっくりとはるかの胸元から肩にかけて指先で撫で上げた。吐息が重なって、もう
一度目を閉じる。


 視界が閉じられると、お互いの衣服がこすれ合うような些細な音ですら鮮明に聞こ
えてくる。そこに。


「あっ」

 やけに高くて、明るい旋律と、慌てたようなはるかの声が飛び込んできた。その次
に、押し殺すような息遣い。もちろん、その間もメロディは流れつづけている。


「・・・出たら良いのに」

「・・・う、うん・・・」

 彼女の携帯電話から発せられている着信音だった。ジーンズの後ろポケットにねじ
込んだままのそれがいつまでたっても鳴り続けている様子から、相手はメールではな
く通話をご希望のようだ。


「・・・はい」

 抱き寄せていたみちるからそっと離れてから、どうしてだかはるかは焦っているよ
うに上擦った声で電話に出た。


(・・・・・・ふうん?)

 心の中で、はるかの声色を真似てみる。普段の彼女なら。みちるが側にいるからと
言って、電話を取る程度のことでうろたえたりなんてしない。こちらが気付かない程
のさり気なさでとりあっているか、もしくは放置していることすら気付かせない。つ
まりスマートにやり過ごしているはずなのだが。


 わざとらしく視線をはるかに合わせると、彼女は先ほどとは違った落ち着きのなさ
で視線を左右させた。けれど、そこはさすがと言うべきか、会話を続ける声に、心も
となさは微塵もない。いつもの気さくで、どこか甘ったるい口調。わざわざ確認しな
くとも、相手は女性のようであった。


(間が悪いのね、きっと)

 みちるはそう結論づけて、彼女に聞こえるようにため息を零した。

 本当に都合が悪いのであれば、部屋から出るなりの気遣いは見せるはずだ。けれど、
彼女はリビングのソファに座り込んで、そこから動く気配はない。疾しい気持ちがま
ったくないわけではないけれど、かといって疾しい間柄ではないらしい。だから、ら
しくもなく慌てているのは。みちるの、他の人間への思わせぶりな態度をなじった直
後の出来事だったからだろう。


(・・・・・・つまらないわ)

 つまらない、は退屈ではない。少なくとも、みちるの胸の中は、通常よりも少しざ
わついている。これが平穏なはずがない。おもしろくはないが、今更彼女の気の多さ
にひどく躍起になっても仕方がないと、腹は据えているつもりだ。それに大方、仕事
の話なのだろう。会話の端々に出てくる耳になじみのある単語は、はるかの口から教
えてもらったものだ。ただ。


(もう少し楽しませてくれても良かったのに)

 どこまでも素直に、そして純粋にそんな感想を漏らす。

 ―――妬いてくれているの?

 頷いて見せてくれていたら、きっといつになくはしゃいでしまっただろう。

 ―――だれが、そんなことして良いって言ったの?

 頷いてくれなかったとしても、その言葉の後の、抱きしめる腕の強さだけで充分。

 ぶつけられる感情が、癖になってしまいそうなくらいに心地よい。

 でも、これではいつもと変わらない。誰にでも愛嬌をふりまくあなたと、それを少
ししかめっ面で眺めている私。


 多すぎる感情を綯い交ぜにしたままじっと眺めていたら、不意に彼女と目があった。

「・・・・・・」

 そこに気まずそうな表情をみつけてしまったみちるは、おもしろくない気持ちのす
ぐ側に、全く逆の感情を芽生えさせた。


 思いつくままソファに歩み寄ると、滑らかに会話を続けながらはるかが何事かと目
を見張る。


 それを受け流してすぐ傍らに膝をついてから、玄関で彼女がそうしたように、首筋
にそっと噛みついた。


「・・・っ・・・?」

 受話器からは滑らかに続いている女性の声が零れ落ちていた。けれど聞き耳を立て
るつもりなんてない。みちるの目的はもっと別のものだ。


 肘置きに手をついて、彼女がみちるにしたように、水音を立てながらそこに赤々と
した跡を付けていく。胸元から遅すぎる速度で撫で下ろしていると、腿の上にたどり
着いたみちるの手を、はるかが強く握った。


「それじゃあ、次のミーティングで」

 みちるよりも少し大きな手を握り返して人差し指の背に噛みついたら、頭上からそ
んな声が聞こえて会話は途絶えた。


「・・・何してんの?」

 次にはるかの声が聞こえたのは、ガラステーブルに携帯電話を置きながら、呆れた
顔でこちらを見下ろす彼女と視線が重なった時だった。


「だって、はるかがおさまらないって言うんですもの」

 みちるに噛みつかれた手が、もう一度しっかりとこちらの手を握り直して、自分の
膝の間に引き寄せる。されるままに身体を擦り寄せると、白いシャツの釦が目の前に
見えて、躊躇うこともなく指をかけた。


「いや、そっちの話じゃなくて」

 露わになった形の良い臍に口付けるみちるに、はるかは驚いたような声を上げてか
ら、そっと肩を押した。


「そうかしら」

 押し戻されて、みちるは仕方なく彼女の膝に顔を埋める。額を押し付けてもう一度
「そうかしら」と呟いた。


 繋いだ手とは反対の手のひらが、みちるの頭を撫でた。

「それじゃやっぱり、私が妬いてばっかりだわ」

 甘い感覚に、喉を鳴らす猫の気持ちがわかったような気がして顔を上げると、はる
かがやっぱり目を丸くしたままこちらを見下ろしていたから、ねだるように伸びあが
る。頭を撫でていた手のひらが首の後ろを捕まえて、引き寄せられたらみちるの願っ
た通りに唇が重なった。


 いつもはもっと、静かで、ゆったりとした速度だと思う。唇に与えられる熱を味わ
いながら、みちるはそんなことを考えて。


 笑みの形を残したまま、静かに目を閉じたのだった。



                             END



 弄ばれるはるかさんが好きです(オイ)



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