Good morning kiss



「・・・・・・んー・・・・・・っ・・・」

 遮光カーテンの隙間からこぼれた朝日が頬に落ちるのがくすぐったくて、目が覚めた。
 覚めたと言っても、完全に起きているわけじゃない。その証拠に、祐巳は目を閉じ
たまま、伸びを一度しただけで、すぐにシーツに顔をこすりつけた。うとうととまど
ろんでしまうような、優しい朝。


 が。

「おはよう・・・」

「ぎゃっ!?」

 不意に胸元に手が伸びてくるものだから、祐巳はいつもの恐竜の泣き声をあげてし
まった。


「・・・・・・何て声出すの」

 それと同時に、祥子さまのムスッとした声。

「だ、だって・・・お姉さまが・・・」

 お戯れをなされるからいけないのです。寝起きにセクハラされたら誰でも大きな声
上げるでしょう。


「きゃん」

 けれど祐巳が抗議の声を上げるよりも早く、祥子さまの手は更に奔放さを増して、
パジャマの襟刳りから侵入してくる。いつもはひんやりとしている祥子さまの手のひ
らは、お布団の中で暖かくなっていた。


「あ、あのっ、お姉さまっ」

「なぁに?」

 器用に後ろから祐巳を抱きかかえたまま、場邪魔のボタンをはずしていく祥子さま
に祐巳は慌てて声をかけた。


「ま、まだというか、朝になったばっかりなんですけどっ・・・!?」

 さくさくと祐巳の衣服をはぎ取って首筋に唇を押しあて始めた祥子さまに、抗議し
ない方がおかしいと思う。でも、祥子さまはそんなことでめげたりしないわけで。


「それは、あなたのせいでもあること、わかっていないの」

 かといって、祐巳を無視したりするような人でもないから、反論しながら素肌に顔
を埋めるなんてことをしちゃうのである。


「どうして、私のせいなんですか」

 もちろん、嫌なわけじゃない。むしろ、朝だろうが昼だろうが、祥子さまに抱きし
めてもらえるのは純粋にうれしい。でも、やっぱり、その行為のレベルというか、と
にかく
TPOをわきまえるのも必要なことのような気がしないでもないからして。

「まあ。覚えてもいないなんて・・・」

 後ろから抱き締めていた腕を緩めたかと思うと、祥子さまは祐巳を引っ張るように
して仰向けにさせた。すぐ目の前に、呆れたような、がっかりしたような祥子さまの
顔。少しだけ、瞳が潤んでいる。


「祐巳が私を放ったらかすからいけないのよ」


                               


「やっと、週末だわ」

 夕食前、「いただきます」と二人して手を合わせた直後、祥子さまがそう言ってそ
れはそれは長い溜息をついた。


「何かあるんですか?」

 とりあえずお腹ぺこぺこの祐巳は目の前にあるご飯を頬張ってから首をかしげた。

「何もないわ。何もなかったから、「やっと」なのよ」

 対する祥子さまはグラスを口へ運びながら、何だか力のこもった様子でそう言った。
そのままミネラルウォーターを一気にあおる。ビールの
CMみたい。

「祐巳が平日は我慢しろなんていうから・・・せっかく一緒に暮らしているのに・・・」

 そのままぶつぶつと呟くと、いじけたようにお箸でお皿をぐりぐりといじくりまわ
す。・・・茄子のお浸しのお皿を。


「がまん?」

「ええ、言ったわ。イエス・ノー枕で言うところのノーを、私は五日も付きつけられ
ているのよ」


 ガシャンっと音を立てて、手にしていた小鉢がテーブルに落ちる。中身はこぼれて
いないらセーフだ。


「の、のーって・・・そんな」

 そういえば、そんな約束をしたことがあったかもしれない。でも、祥子さまは大概
守っていない。学生の時からいっしょに暮らしているけれど、それが守られたのはテ
ストの前日ぐらいなものなのだ。祥子さまが社会人になってからは、平日の夜は静か
に過ぎていくことの方が多くなったけれど、それは言ってみれば、時間的な余裕がな
いという結果的なものである。だから、何も「
No」と拒否しているわけじゃない。けど・・・。

「祥子さま、お疲れでしょう?」

「疲れなんて。あなたが待ってくれていると思うから、仕事だってはかどるの。でも、
あなただって、試験やアルバイトがあるでしょうし。私の時間の都合だけに合わせさ
せるなんてできないもの。だから、言いつけ通りにしているだけなのに・・・」


 最後の下りは少しばかり誇張だとも思うけど。(その手の‘言いつけ’を祥子さま
はあんまり守りません)少し頬を紅潮させながら、向かい側から祐巳の手をぎゅっと
握って、祥子さまがそんなことをいうものだから、祐巳の方こそ瞬く間に、顔が熱く
なる。


「祥子さま・・・」

 そういえば、久しぶりかも。冷静に数えてみれば、三日くらいしか間が空いていな
いことに気がつきそうなものだけれど、末期の祥子さま病である祐巳が、こんな
シチュエーションの中で、正常に頭を回転させること自体が不可能なのだ。


「祐巳」

 いじけたふりをして手をつけないつもりでいたであろう茄子のお皿を思いっきり
テーブルの端へ移動させながら、祥子さまは握りしめた祐巳の手の甲に口づけて微笑
んだ。



                               


(・・・それからどうしたんだっけ)

「一緒にお風呂に入ったわ」

 祐巳の思考に応えるように、祥子さまが言った。

「その後、祐巳がドキュメンタリー特番が見たいって言うから、リビングでとりあえ
ずはおとなしくしていたわ」


「あ」

 そうそう。ゼミの課題の材料にと思って。でも、二時間って長かったなぁ。少しは
メモを取ったけど。祥子さまに抱っこされたままだったから、気を緩めるとすぐ甘え
たくなっちゃうから大変だったのだ。


(あれ、でも、最後まで見たっけ・・・?)

 途切れ途切れになりながらも書き留めたメモの内容を思い出しながら、ふと首をか
しげてしまう。


「・・・・・・そのままソファでうたた寝を始めたでしょう」

「・・・・・・!」

 エンディングが流れると同時に、その音にエコーがかかりながら途切れていく光景
を思い出した。


「抱きかかえて寝室まで来た時に、一度だけ目を覚ましたみたいだけど。あなた、私
の顔を見て笑いかけてから、そのまま眠ってしまったの、覚えていないの」


(ああーーー!!)

 そう言えば。

 その番組のエンディングテーマは流行のポップスのようなにぎやかなメロディじゃ
ない。どことなくオーケストラを連想させるような曲で。緩やかに、穏やかに。だけ
ど荘厳に、祐巳の鼓膜を撫でて、流れていく。


 祥子さまの腕の中で目を閉じた祐巳を、優しく眠りの国へ誘っているかのように。

「生殺しだったわ」

「・・・・・・ぅぅ・・・」

 シーツに手をついて祐巳を見下ろしている祥子さまの目は本気だ。怖い。いや、怒
っているわけじゃないみたいだけど。


「で、でも・・・その、ちょっと、だけ待って、欲しい・・・です・・・」

 何の時間稼ぎなんだろう。自分で言ってみてから自問してみるけれど、答えなんて
出るわけもなく。眩しい朝日がちょっとばかり、恥ずかしいだけで。


「ちょっとって、どれくらい?」

 それなのに、祥子さまときたら生真面目にそんなことを言い始める始末。祐巳の鼻
先に触れちゃいそうな距離で、じっと待っている祥子さまの瞳は、さっきよりもずっ
と潤んでる。


「えっと・・・」

 今さら、「いつでもどーぞ!」なんて言えるわけがない。(というかそんなこと言
えない)祥子さまのどこか焦った表情を前にして、祐巳の方こそ額に汗が流れちゃい
そうだ。・・・何の攻防戦なのだ、これは。


 じりじりと睨み合っているような、気まずいような時間が流れていく。

 それに耐えきれなくて、祥子さまの背中に手のひらを這わせると同時に、祐巳より
も先にギブアップしてしまったかのように、祥子さま力なく祐巳の首筋のあたりに倒
れ込んだ。


「さ、祥子さま?」

 息を止めていたわけじゃないだろうから、酸欠なんかじゃないんだろうけど。がっ
くりと突っ伏した祥子さまは微動だにしない。


(もしかして、怒らせちゃった?)

 祥子さまは傲慢で高ビーだけど、怒りをあらわにしちゃうようなことは稀だ。時折、
どうしても、怒りを感じてしまうような時には、ちょうど今のように黙り込んで、何
とかそれを抑え込もうとする。たまにヒステリーや癇癪を起してることもあるけれど、
基本的に祥子さまはじっと我慢の人なのだった。


「祥子さま・・・?」

 祥子さまの吐息が首筋をくすぐる。

 だけど、すぐに唇と素肌の距離がゼロになる。

 それから。

「・・・もう・・・っ・・・、・・・お預けばっかりしないで」

 ゆっくりと顔を上げた祥子さまがじれったいように、小さく叫ぶ。

「へ?ふあ・・・っ・・・」

 髪の毛をかき乱すようにされたかと思った途端に、唇にかみつかれて、祐巳は首を
のけぞらせる。


 閉じる猶予さえ与えられなかった目で、あたふたと周りを見渡すけれど、視界いっ
ぱいに映るのは、祥子さまだけ。


「・・・・・・やっぱり、嫌?」

「はい?」

 それなのに。長い口付けを終えた後、祥子さまはどうしてだか気まずそうに眉を下
げて、そんなことを言った。覗き込むような上目遣いに、くらくらする。


「ど、どうして・・・?」

 ぽーっと火照った頬っぺたのまま、祥子さまが言っていることがよくわからなくて。
祐巳は上ずった声のままそう尋ねる。どうして、そんなこと言うの。そんな風に。


「だって・・・・・・ぎゅってしてくれないもの・・・祐巳、いつもはキスの時、抱
き返してくれるのに・・・」


 不貞腐れた子どもみたいな顔をして、祥子さまがちらりと祐巳の方を見た。正確に
は、祐巳の顔の両脇に置かれた手を。まるで赤ん坊がひっくり返った時の姿勢のよう
に、祐巳の腕は軽く折り曲げられて、シーツの上に投げ出されていた。どうりで、力
が入らないわけだ。いや、力が抜けてるからこんな体勢になっちゃうのか。


 そこまで思い至ったところで改めて祥子さまをみつめ返すと、相変わらずの不貞腐
れ顔で。笑い声が漏れるのと一緒に、祥子さまの首をふんわりと抱き寄せた。


 祥子さまのにおいを胸一杯に吸い込むと、そこから溶け出していきそうで。

「いい?」

 祐巳に抱き寄せられた祥子さまが耳元でそっと囁くから。また、胸の奥がゆるゆる
と溶けていく。


「いっぱい、いっぱい優しくして」

 祥子さまのささやき声の艶やかさには程遠い、かすれちゃいそうな声で、小さく囁
き返すと、彼女は吐息のような笑い声を漏らす。



 優しい声だった。


                                    END



 肌寒くなってきたので、祥子さまの甘えっぷりもひとしおです。うんうん。
 もちろん祐巳ちゃんも甘えたさんな感じでっ!こう、子犬のようにじゃれあってるのが好きなんですよう。
 そんなこんなで、ごきげんよう。



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