合宿翌日

「じゃあ、祥子と祐巳ちゃんお皿洗いよろしくね」

 私たちは部屋の片づけするから、なんていいながら聖さまはキッチンを後にした。


 長い長い夏休み、その初めを祐巳は大好きなお姉さまと一緒に避暑地の別荘で過ごした。それが終わ
れば、あとは夏休みの宿題を大急ぎで片付けて、学園祭へ向けてあわただしい日々が始まるのみのはず
だった。しかし、一時的とはいえ避暑地に現山百合会のメンバーが揃ったことを令さま経由で知った元
三薔薇さま方から、「祥子と祐巳ちゃんばっかりずるい。自分たちとも遊べ」というわけのわからない
駄々をこねられた結果、新旧入り乱れての夏の大合宿がここ小笠原邸で開催されることとなったのだ。
入り乱れて、とはいっても唯一新しい面子である乃梨子ちゃんは仏像愛好家のつどいへ出席すると言う
ことで残念ながら欠席しているため、どちらかと言うと旧山百合会同窓会みたいな雰囲気になっている

 二泊三日の合宿の二日目。昨日は初日、しかも懐かしい面々との再開と言うことでおおいにはしゃで
しまい、みんないつもなら起きていない様な時間まで夜更かしをしてしまった。おかげで今日の朝はみ
んなぐだぐだで、揃って朝食をとったのが九時過ぎという、他の生徒が聞いたらさぞ驚くであろうと言
うだめっぷり。そして今に至るというわけである。夜更かしのおかげで、部屋は散乱しており、とりあ
えずは食器とごみ類を別けて、おのおの分担を決めて片付けようと言うことになったのだ。整理整頓係
りなんていいながら祥子さまの私物をがさごそあさっている聖さまと江利子さまがちらりと目の端に映
って不安になったが、片付け上手の令さまと、まとめ上手な蓉子さまがいらっしゃるから大丈夫と無理
やり納得して祥子さまと一緒に食器を運んだ。


(それにしても・・・)

 祐巳は、自分の隣で黙々と食器を洗っている祥子さまの服装をまじまじと見つめてしまう。普段、祥
子さまと過ごすのはほぼ学校内なので、今日のように学外で私服の祥子さまを見るのはとても新鮮なのだ。


(別荘に行った時の、ジーンズやワンピースも素敵だったけど・・・)

 なにせ今日の祥子さまといったら、黒色のシンプルなブロードシャツと、これまた新たに購入された
ものなのか、濃いブルーグリーンのブーツカットジーンズという爽やかで凛々しいスタイル。おまけに
襟を詰めずに空けているというラフな着こなしなので、祥子さまファンでなくとも悩殺間違いなしだ。
なんて、妹馬鹿全開の祐巳は頬が緩んで仕方が無い。


(だって、だって、格好いいんだもん!)

 綺麗な人は何を着ても似合う。これが聖さまや令さまなら格好いいけれども、なんだか仕事帰りのホ
ストのように見えるだろう(失礼)。しかし、祥子さまからはそんな軟派な匂いはまったくしない(ご
めん。聖さま令さま)。シンプルなスタイルがかえって美しいお顔を際立たせて、まるで男装の麗人の
ようだ。その上作業の邪魔にならないようにと無造作に髪をまとめているため、露になった白いうなじ
がなんとも悩ましい。出来るなら額縁に収めて、家宝にしたいようなお姿である。それに、このシチュ
エーション。なんだか、なんだかまるで・・・。


(新婚家庭の旦那さまみたい・・・!)

 生憎ここには、脳みそが溶けかかった祐巳に突っ込んでくれる由乃さんはいない。彼女はきっと今頃
志摩子さんと一緒に爆弾(生ごみ)処理班としてあくせく働いているはずである。


(ということは、なんだ・・・祥子さまがだんな様ならさしずめ隣にいる私ってば・・・)

 新妻?なんて所まで祐巳の妄想が展開したところで、由乃さんにかわって祥子さまが口を挟んだ。

「祐巳」

「は、ひゃい!」

 唐突に現実に呼び戻されて思わず声が裏返ってしまった。慌てて声のした方へ顔を向けると自分の妄
想に思わず赤くなった顔を抑えてにやけている祐巳を、あきれた顔で祥子さまが見ていた。


「何、にやにやしているの。おまけに百面相までして・・・」

「えっ、ぅえっ!?」

「おかしな事していないで、さっさと洗った食器を流して頂戴」

「は、はい・・・」

 恥ずかしい。真っ赤だ。まさか、表情を見たぐらいで祐巳の豊かな妄想まで察せられることは無いだ
ろうけれど、思いっきり緩みまくった顔だったに違いない。大きくため息をつく祥子さまの横で、祐巳
は真っ赤になった顔をごまかすように作業に集中することにした。

 滑らかにでも丁寧に祥子さまは食器を洗い上げていく。洗い終わった食器は乱暴にならないように祐
巳の手元に置いてまた次の食器を洗う。祐巳は祥子さまから渡された食器を泡が残らないようにすすい
で籠へ収める。単純な作業だけれども楽しい。まるで本当に新婚さんみたいだ。祐巳はさっきの反省も
よそへやって、そんな想像ににっこりと笑った。


「祐巳ったら・・・。またにやにや」

「へっ?」

 食器をすべて洗い終わった祥子さまが、タオルで手を拭きながらまたしても呆れ顔で祐巳を眺めていた。

「何がそんなに可笑しいのかしら?」

「え、えっと・・・」

 祐巳も最後のお皿をすすぎ終わると、籠に伏せて、祥子さまから渡されたタオルで手を拭く。

「その・・・」

「なぁに?言いたくないの?」

 手を拭いたタオルを握ったままもじもじとまごつく祐巳を祥子さまは更に不審そうに見下ろす。まさ
かお姉さまとの新婚生活を想像していましたなんていえるわけも無いが、ここであやふやに流すと、祥
子さまのご機嫌はマックスで斜めになるはずだ。それだけは避けなければ。祐巳は顔を真っ赤にしなが
ら声を絞り出した。


「あ、あの・・・お姉さまが、か、格好いいから・・・」

「は?」

「お姉さまの今日の服装もとても素敵なので、み、見惚れてまし、た・・・」

 ふにゃふにゃと溶けそうな身体と一緒に、声まで小さく震えてしまった。言った後で恐る恐る様子を
窺うと、祥子さまはぽかんと口をあけたまま固まっていた。


(うわ――・・・は、恥ずかしすぎる!)

 しかし、口から出てしまったものは仕方が無い。それに何を考えていたのかと言われれば、本当にた
だただ、祥子さまに見惚れていただけなので他に言いようも無いのだ。でも恥ずかしい。顔から火が出
そうだ。


「・・・何言っているの、祐巳は」

 何とか自力で立ち直った祥子さまは、片手で額を押さえながらうめくように言った。そんなこといわ
れても、暗に「言いなさい」と命令したのは祥子さまで、祐巳はそれに素直に従っただけなのだ。しか
も言った祐巳までダメージは大きいのに。


「まったく。ばかなんだから」

「そんなぁ・・・お姉さまぁ」

 ええ。ええ、わかっていますとも。妹ばかなのは百も承知。しかし、可愛い(強調)妹相手に「ばか
」なんて殺生な。ちょっと本気で涙が滲みそうになった祐巳に、祥子さまは更に不意打ちの言葉を投げ
つけてきた。


「・・・そんなこというのなら、祐巳の今日の服装だって、その・・・かわいいわ」

「ふぇぇ〜〜!?」

 なんですと?と祐巳は思わず身体をのけぞらせてしまった。ちなみに今日の祐巳の服装と言えば、白
いシフォンブラウスに黒色のフレアスカート、それから薄手のクリーム色のニット。お姉さまのお家へ
来るのでちょっとお上品なセレクトにしてみました、まる。と言う感じだ。


(か、かわいいって、かわいいなんて)

 言ったきり祥子さまはつんと横を向いてしまったけれど、頬が微かに赤くて、ますます祐巳をどきど
きさせた。


「でも、祐巳ったら、それだけであんなににやにやしていたと言うの?」

 横を向いていた祥子さまは、ふと思い出したようにそう言うと苦笑しながらこちらへ向き直った。

「え、え、え・・・」

 そこまで言わせますかお姉さま。道路工事の変わりに祐巳は言葉にならない声を発してしまった。

「ここまで言っておいて、途中でやめるんじゃありません」

 ちょっとだけ怖い表情で祥子さまが迫ってくる。怒った顔も素敵なんてでれでれしている場合じゃな
い。少しかがむようにして祥子さまが祐巳に目線を合わせてくれたので、かえって恥ずかしくなってし
まう。思わず目を瞑って俯いてしまったが、祥子さまのお怒りが少しでも解けますようにと、祐巳は祥
子さまの右腕のシャツの袖を両手できゅっと握った。


「こら」

 祥子さまは急に甘えだした祐巳のおでこを軽く小突いたが、その声色はまんざらでもないと言う風だ。
そっと目を開けて窺うと、祥子さまは困ったような、うれしいような顔をしていて。祥子さまの表情が
穏やかになったのに安心した祐巳は素直に白状した。


「その、お姉さまの凛々しい格好を見ていたら、ですね・・・まるで・・・」

「まるで?」

(うわーん、やっぱり恥ずかしいよ)

 でも、言いかけたことを途中でやめられたりなんかしたら祐巳だって嫌だから。

「なんだか、新婚家庭のだんな様みたいだなって・・・」

「な・・・」

「そ、そ、それに、一緒にお皿を洗っていると本当に新婚さんみたいだな、とか・・・」

 途中で止まらないようにと、一気に話したけれどやっぱり最後の方はか細くなってしまった。しかし、
祥子さまは何も応えてくれない。静まり返ったキッチンで二人して固まってしまった。ああ、やっぱり
言うんじゃなかった。祥子さま、きっと呆れてる。


「・・・ばか」

「あぅ・・・」

 ほら。もう、まともに祥子さまの顔が見られなくて、祥子さまの肩に顔を埋めて、シャツの袖を握っ
ていた手に更にぎゅっと力を込めて、意味なく左右に揺らしてしまう。変なこといってごめんなさい。
忘れてください。と願いを込めてみる。すると沈黙を打ち破るかのように、祐巳の耳元で祥子さまが甘
く囁いた。


「・・・では、私がだんな様ということは、祐巳がお嫁さんになるの?」

「ええええ〜〜?」

  絶対呆れて、流されると思っていたのに。「ばか」なんていうからこの話はもうお終いって言うん
だと思っていたのに。そうきますか。驚いて金魚のように口をパクパクさせている祐巳なんか放ってお
いて祥子さまは「別に逆でも私は構わないけれど」なんて真面目な顔してぶつぶつ言っている。お嫁さ
んの祥子さま。思わずポワンとウエディングドレスを着た祥子さまや、可愛いエプロンをつけている祥
子さまが頭に浮かんできて、それはそれでいいかもと一瞬思ってしまった。いやいや、とりあえず問題
はそこですかお姉さま。


「まぁ、どちらでもいいわ」

 祥子さまは一通りぶつぶつ言うと気が収まったのか、さっきまでの照れたような表情はどこへやら。
にっこりと微笑むとさっきまで祐巳に掴まれていた右手を祐巳の腰へ回し、左手で祐巳の右手を取った、
やんわりと引き寄せられると、息がかかるくらいの至近距離に祥子さまの顔が近づいた。


(わ、うわわわ!)

 美しいお顔のどアップ。前置きなしでこういう風にされると俯いて身構える余裕すらなくなって、祐
巳は顔を真っ赤にして固まるしかない。


「では、お皿洗いを手伝ってくれた奥さまにご褒美」

「ふぇ?」

 ちゅっ、というかわいらしい音と共に祐巳の唇ぎりぎりのほっぺたに祥子さまの唇がくっついて離れ
た。一瞬、聖さまへのお餞別のことを思い出したけれど、その時とは比べ物にならないくらいのどきど
きが体中を駆け巡った。だけど祥子さまはそんなことなんてお構いなしに祐巳の頭を優しくぽんぽんと
叩くと、身を離してもう一度微笑んだ。


「ぁぅぁぅぁぅ・・・」

「さ、お部屋に戻りましょう」

 真っ赤になって、目を回している祐巳の様子に満足したのか、祥子さまはそのままくるりと身を返し
てすたすたと廊下へ向かおうとする。


(・・・今、奥さまって言った?)

 不意打ちのようなキスにももちろん驚いたけれど、それより何より「奥さま」という言葉の響きが、
なんとも甘く祐巳の胸に広がった。しかし、祥子さまはそんな祐巳のどきどきなんてお構いなしにすで
にキッチンのドアに手をかけて部屋を出ようとしていた。


「あ!ま、待ってください」

 それはあんまりでしょう。こんなにどきどきさせといてほったらかしなんて。そんな風にちょっと拗
ねたような顔で祐巳は祥子さまに駆け寄った。


「あら、嫌だったの?祐巳」

 では、もうしないわ。なんて意地悪なことを言っている祥子さまに追いつくと、その腕に抱きつく。

「ち、違います!」

「なら、どうしてそうむくれるのよ」

 祥子さまはくすくすと笑いながら、ぷうっと膨らんだ祐巳のほっぺたをつっつく。わかっているくせ
に、祥子さまは意地悪だ。


「ご褒美なのに、どうしてほっぺたなんですか」

 あまりにも恥ずかしすぎる言葉だったが、駆け寄った勢いでそのまま口にしてしまった。「奥さま」
なんて言って祐巳をどきどきさせたくせに、からかう様なキスをひとつくれただけで放っておくなんて。


「あら、他の人と浮気するような子には、それで十分よ」

「う、浮気なんてしてませんっ」

 とんでもない言われように、さすがの祐巳も怒ったように言い返した。浮気なんて絶対するものです
か。こんなにも祥子さまひと筋なのに、わかってくださらないなんて。ますますほっぺたが膨れて、こ
れじゃ子狸というより、餌をつめすぎたハムスターだ。


「してました。私が嫌がるのを知っているくせに、聖さまや江利子さまに良いようにされて。あなたが
お二人に、抱きしめられたり、頬にキスされているのしっかり見ていたのだから」


「ああ!そ、それは・・・!」

 確かに、昨日は小笠原邸に着くと同時に聖さまにはセクハラされ、江利子さまにはおもちゃにされ、
蓉子さまは面白がるだけでまったく止めてくれなくて。それはみんなでご飯を食べた後、茶話会という
か二次会というかよくわからない席でも止められる気配はなく、結局祐巳たちが就寝するまで続いたの
だった。


(そりゃ、罰ゲームで聖さまにほっぺにちゅってされたり、江利子さまの膝の上に座らされたりはして
いたけれど・・・)


 そんなことを言うなら、同じくゲームをしていたお姉さまだって、蓉子さまに抱きしめられたり、志
摩子さんをだきしめたりしていたのに。あまりにもその光景が美しすぎて、思わず嫉妬するのを忘れて
いたが、祐巳だって、祥子さまが祐巳以外の人にそんなことをするのは嫌なのだ。まぁ、どんなゲーム
をしていたかなんて皆まで思い出したくも無いけれど。

 それに、あの後拗ねてしまった祥子さまを宥めるのは大変だった。眠っているみんなに気づかれない
ように祥子さまのお布団に入って、祥子さまの気が済むまで何度もキスをして、やっとで眠ってもらっ
たのだから。とにかく、それをいうならお相子なのだ。


「それだったら、お姉さまだってしているじゃないですかっ」

 思わずムキになって少し大きな声になってしまったが、祥子さまはまったく動じることもなく涼しい
顔をして応えた。


「私は良いのよ。私が好きなのは祐巳だけですもの」

「!」

 またしても不意打ちの言葉に、とうとう首まで真っ赤になってしまった。今日の祥子さまはやっぱり
意地悪だ。祐巳をさんざんいじめておいて、絶妙のタイミングでとろけるような言葉を投げつけてくる
のだから。


「う、う・・・・・・」

「ほら、わかったなら早く行きましょう」

 真っ赤になっている祐巳とは対照的に、祥子さまは余裕綽々と言った感じで微笑んでそう促す。悔し
い。祐巳が祥子さまを好きなのは当たり前だけれど、それにしても祐巳ばかりどきどきさせられっ放し
ではなんとなく悔しい。

 だから、今度こそ、ドアノブに手をかけて部屋を出ようとする祥子さまにぎゅっと抱きついて、今一
度その動きを止める。


「祐巳?」

「そ、それをいうのなら、私だって・・・」

「・・・なぁに?」

「私が好きなのも、お姉さまだけです・・・あ・・・えっと、ではなく・・・」

 祥子さまの胸から顔を上げて、祥子さまを見つめる。どきどきしすぎて、目が潤んでくるけれど気に
しない。大好きな人に溢れそうな思いとちょっとしたいたずら心を込めて囁いた。


「大好きです。・・・・・・あなた」

 口にすると、自分で思っていた以上に甘えた声だったこともあってすごくすごく照れてしまったけれ
ど、言われた祥子さまも目を見開いて、みるみる真っ赤になっていった顔を抑えて、ちょっと怒ったよ
うにつんと横を向いたから。うれしくなってにっこり笑った。抱きしめた腕に力を込めると、祥子さま
はちょっとだけ眉を顰めてから祐巳を見つめてくれた。


「もう・・・」

 ため息のような声が前髪にかかったけれど、祐巳を見つめてくれる祥子さまの顔は優しい微笑みに満
ちていて。抱きしめられたところから、じんわりと暖かくなって、まるで祥子さまの気持ちが祐巳の中
にまで染み込んでいくようだった。

 その心地よさにうっとりと目を瞑ると、愛しいだんな様は、祐巳の大好きなキスをそっと唇に落とし
てくれたのだった。

*      *      *

「この生ごみ、どこへ捨てるのか聞きたかったのだけれど・・・」

キッチンの外で由乃は胸焼けをおこしたような表情でつぶやいてから。

(・・・とうとう脳みそ溶けきっちゃったか、祐巳さん)

 生暖かい視線をドアの向こうの親友に送りつつ、そっとため息をついたのだった。



                                    END

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