その笑顔に恋をした。〜幕間〜



「・・・もっと、力を抜いて」

 首筋に顔を埋めていると、はるかを抱き寄せていたみちるがそう囁いた。

「・・・みちる、それ、こっちの科白」

「だって、はるかが緊張しているから」

「そうだけど」

 はるかが口ごもると、みちるは吹き出してしまった。あんまりおかしそうに笑うも
のだから、つられてはるかも笑う。


「ねえ」

 おかげで結構緊張が解けたかも。そんなことを考えられるくらいには落ち着きを取
り戻していた。みちるにもそれが伝わったらしく、安心したような笑顔を見せてくれ
た。が。


「・・・・・・はるか、さっきから首ばっかり」

「!!」

 すぐに冷静に指摘されてしまった。

「あんまり触られると、くすぐったい」

 そう言って、本当にくすくすと笑う声。

「だって・・・」

 だって。だって。さっきから何度自分の行動に言いわけをしてきたかわからんが、
それでもあえて言う。だって。


 そう。だって。

「い、いい・・・?本当・・・」

 首も、もちろん好き。というか、全部好き。だから、キスしたい。手のひらや指先
で触って確かめたい。


 できるなら、遮るものなんてなくしてしまいたい。全て。

 でも、やっぱり、いいのかなって。少し思っただけで。

「・・・・・・・・・改めて、言われると、・・・ちょっと・・・」

「・・・・・・。・・・・・・」

 うん。何となくわかった。いちいち言うな、ってことですよね。はい。

 みちるの頬に、薄暗い明りの下でもわかるくらいの速さで朱色が走っていく。それ
がはっきりとわかってしまって、はるかまで顔が熱くなる。


 多分。大丈夫って、また、言ってもらいたかったんだ。

 でも。

「ごめん」

 赤くなったみちるの頬に、同じように熱が上がりっぱなしの自分の頬をくっつける。

 でも。

 きっと、みちるだって、大丈夫なんかじゃないんだ。

『だから大丈夫。嫌いになんてならないわ』

 あの時抱き寄せてくれた手のひらが少し震えてたのに、精一杯笑ってくれていたの
は、強がりなんかじゃない。


 はるかのために、みちるは笑ってた。

 頬をくっつけ合わせたまま、みちるの手を取って、手首にも手の甲にも、それから
指にもたくさんキスをした。


「なぁに。急に」

「安心できるおまじない」

 今さら慌ててそんなことしても、さっきまでの自分が帳消しになるわけじゃないけ
ど。そうせずにはいられなくて。


「・・・・・・大丈夫って、言ったのに」

 けれど、キスの雨を浴びるみちるは、そう言ってくすくすと笑いっぱなしだ。くす
ぐったいのかな。そう思って覗きこんだら、思いのほか穏やかに微笑んでいるみちる
と目が合う。


「緊張は、するかもしれないけれど・・・はるかと一緒にいるのに、不安になんてな
らないわ」


 笑いかけるようにそう言うみちるはさっきと同じように微笑む。ふと思いついて言
葉が漏れた。


「・・・みちるって、ちっちゃいね」

「?そう?あまり言われたことがないわ。はるかに比べたら小さいだろうけれど、女
の子の中では背の高い方なのよ」


「んー・・・。そうじゃなくって、なんか、可愛い感じ。わかんない?」

「・・・・・・!」

 みちるが可愛いことはわかっている。容貌は可愛いと言うより美しいと言った方が
当てはまるんだろうけど。仕草や言葉や眼差しが、とても可愛いと感じるのは、今に
始まったことじゃない。


 そうじゃなくて、そう言うのじゃなくて。

 守ってあげたいとか。抱きしめたあげたいとか。

 そんな気持ちが、ゆっくり優しく湧き上がる。そういう可愛さ。

「・・・・・・わからないわ、自分でそんなこと」

 さっきよりももっともっと、みちるの頬は赤くなっていく。それを両手で隠して、
みちるははるかの下で丸くなった。


「隠さないでよ」

「嫌よ」

 赤ん坊みたいに丸くなってしまったみちるの隣に横になる形で向かい合ってそうね
だる。


「・・・やだよ。隠さないで見せてよ。顔も、・・・全部」

 ひどく甘えた自分の声を聞きながら、なんだか情けなくなりそうだったけど。

「ねえ、お願い。みちる」

「・・・・・・」

 甘ったれたままを声にすると、みちるは躊躇いながらも顔を覆っていた手を外して、
こちらを向いてくれた。


(・・・・・・ふぅん)

 どうやら、強く出るよりも、素直におねだりする方がみちるの好みらしい。その嗜
好はよーわからんが、とりあえずよかった。こっち向いてくれて。


 声と同じ表情で覗き込んだら、みちるは困ったように眉を下げて、はるかの前髪を
指先でくすぐった。


(気持ちいいかも)

 ひんやりとした彼女の指先が、火照った頬に心地よい。その手を取って手のひらに
頬擦りしたら触れ合う場所が広がって、心地よさももっとずっと広がっていく。


「猫みたいね」

 擦り寄るはるかに笑い声を漏らして、みちるが耳元に唇を寄せる。耳に、髪に、顎
に、触れては滑っていく柔らかな感触がくすぐったい。


「・・・・・・ずっとこうしたかったんだ」

 頬に触れてくる唇にこちらから口付けて、また指先に額を擦り付ける。

 ずっと、ずっと、こうしたかったんだ。

 髪に、指先に、素肌に、触れて、ぎゅっとくっついて、みちるがそこにいるんだっ
て確かめたい。


 いっそのこと溶けて一つになっちゃうくらい、一番近くでみちるを抱きしめたかった。

「・・・でも、最初は迷惑そうにしていたわ・・・」

 口付けていた手のひらに自分の手を重ねて、シーツに押し付けながらみつめていた
海色の瞳がほんの少し揺れたかと思ったら、彼女は不服そうにそんな言葉を呟いて、
こちらから視線をそらした。


(・・・・・・うわ、わ・・・)

 今にも「ぷいっ」って聞こえてきそうな仕草に、はるかはみちると繋いだままの手
にぎゅっと力をこめて耐えた。


「何?」

 肩を震わせるようにして俯いたはるかに、みちるは訝しそうな視線を投げかける。

(だめだ・・・無理・・・)

 とりあえず努力はしたけど、やっぱり耐え切れなくて、はるかは肩と同じように、
震えるような笑い声を漏らしてから言った。


「だから、そう言うところが可愛いんだって」

 笑い声と一緒にそう告げると、みちるの頬が見る間に赤色を増していく。あらわに
なった首元まで色づいて見えるのははるかの気のせいなのかな。


「・・・ばか」

 今度は目をそらしたままじゃない。真っ赤な頬っぺたのまま、一生懸命怒った表情
を作って、みちるははるかをみつめ返した。


「うん」

 そんな風にみつめられたら、動けなくなっちゃう。

 首の後ろの方から、熱くて、重たいような音がせり上がって、耳の奥でどんどん大
きくなっていくみたい。


 熱いのか、苦しいのか、それとも、本当は心地いいのか。

 わからなくなるくらいに、彼女しか見えない。

「・・・はるか?」

 頷いたきり、黙り込んでしまったはるかを、みちるが不安そうな顔で覗き込んだ拍
子に、重ねた手の親指が微かに動いた。


 汗ばみそうなくらい、そこが熱を持っていることに気が付くと、まるで溶かされて
いく氷みたいに崩れ落ちそうになった。


「うん」

 自分の声がひどくぼんやりと漂っていく。

 熱に浮かされるって、こういう感覚なのかな。

 声と同じように霞んでいきそうな意識の中でそんなことを考える。だけど、もう明
瞭な言葉を探して吐き出すことはできないような気がした。


 先ほどまで何度も触れていた首筋に額を押し付けると、素肌の白色が視界いっぱい
に広がって、どこに口付けても足りない。


 鎖骨へ、肩へ、腕へ、唇を寄せて、舌を這わせていたら、不意に、水の中で漂う彼
女はこんな感覚なのだろうかと思った。


「・・・ね、待って・・・」

 肩口を撫でながら、背中から抱きすくめようとしたら、それを押しとどめるように、
彼女がはるかの手を取った。その指に口付けて、細い腰を抱き寄せる。それなのに、
鼻先を腕から背筋へと寄せようとしたら、やっぱり彼女はそれから逃げるように、シ
ーツへと背中を押しつけてしまった。


 腕の中で、みちるの身体が強張っていく。怖がらせてしまったのだろうかと、内心
でうろたえながら視線を泳がせると、ふと右腕にうっすらと、ひきつったような傷跡
があるのをみつけて、はるかの頬も固まってしまった。



 腕から背中にかけて残されているだろう、その傷跡を、はるかは知っている。

 よく見れば、真っ白な素肌のいたるところに、薄く残る幾つもの傷。彼女がシーツ
へと押し付けた背中にも、大小いくつもの跡が残っているだろうことが、容易に想像
できる。


『大丈夫よ。もう、痛くも何ともないもの』

 いつかの彼女の声が蘇って脳裏に響き渡ると、喉が渇いて息を吐きだすことさえ苦
しくなりそうだった。


「・・・隠さないでって、さっき言った」

 言葉を吐きだすと、それはもっとひどくなる。

「・・・私が嫌だと言っても?」

 傷跡から彼女の瞳へと視線を上げると、吐き捨てるような声と共に、みちるはこち
らから顔を背けてしまった。


「嫌なことなんて、何もないよ。きっと」

「でも、はるかは」

 震えるような声を聞きながら納得する。

 小さな傷も、大きな傷も。

 そのほとんどが、はるかのせい。それが二人出会う前にできたものだとしても、そ
う思わずにはいられない。


 だから。

 みちるが嫌がっているのは。傷跡を他の誰でもないはるかの目に映すことなんだ。

 その傷をみつけたはるかが、罪悪感に苛まれることを知っているから。

『君に庇ってもらいたくなんてない』

 あんなこと、何で言えたんだろう。

『・・・・・・ごめんね、・・・・・・はるか』

 傷ついた素肌をみつけても、そんな言葉しか吐き出さないはるかを、それでもみち
るは抱きしめてくれた。


 シーツの白色の上を、みちるの視線が彷徨っている。言葉もなく、呼吸すらも潜め
られているかのように、静寂が耳に痛かった。


 言葉を探しながら、まっさらな布地の上に波打つように広がっている髪に触れると、
宙を漂っていた視線が戸惑いながらこちらへ戻されてくる。


 不安そうに。心配そうに。優しく緩んだ彼女の瞳がはるかを捉えると、隠しだて出
来ることなんて一つもない気持ちになって言った。


「・・・うん。これって僕のせいだって思ってるよ」

 傷だらけになっても、みちるははるかをずっと待っていてくれた。

「だから、違・・・」

 はるかの言葉を聞いた途端に、みちるは噛みつくようにこちらを見据えて、頬を気
色ばませた。


 シーツの上へと投げ出されていたはずの手のひらが、はるかの肩を掴む。きれいに
整えられた爪の先は、はるかの肌へ食い込むようなことはなかったけれど。指先に込
められた力が、必死にはるかの気持ちを否定していた。


 けれど、強張った手の甲に、はるかの手のひらが重なると、そこがゆっくりとほど
けていく。


 どうせなら、食い込ませて傷つけてくれたって構わないのに。

「何で?痛いのも、辛いのも、ちゃんと分けてよ」

 緩まった手を取って、はるかの頬へ触れさせると、密やかな願いとは反対に、みち
るはそっとそこを撫でてくれた。


 ねえ、素直におねだりしたら、聞いてくれるんでしょ。

「だから、隠さないで全部見せて」

 甘えたような自分の声色をどこか遠くに聞きながら、そんなことを考えた。

 頬を撫でていた手のひらに、耳の後ろの髪ごと掻き抱くようにして引き寄せられる
ままにしていたら、みちるが泣きだしそうな顔で額を押し当てた。


 掴んでいたはずの手のひらが、はるかの手首を撫でおろすと、胸の奥にさらさらと
優しい気持ちが流れていくみたい。


 膝と膝がそっとぶつかると、落ち着きなく背中が揺れる。

 熱に引き込まれるように、みちるの中に入り込んだら、空高く投げ出されていた身
体が包み込まれていくみたいで。


 静かに息を吐きだすと、それと一緒に目元から零れ落ちていくきらきらと同じよう
に、もう離れたりなんてしないって呟いていた。




                          END



 こうしてみちるさんのわんこしつけ計画は着々と進んでいくわけです(殴)



                        
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