Temptation



「・・・ねぇ、・・・手伝って・・・?」

 髪をかき上げながら彼女をみつめると、心底呆れた様子のため息が聞こえた。その
まま一歩こちらへと近づいた彼女から感じられるのは、若干の苛立ちと、所在なさげ
な焦燥感。みちるは、そのどちらともに満たされながら、深く息を吐き出す。口元へ
と零れ落ちたそれが、ひどく熱い。


 はるかを待つ楽屋に現れたのは、共演者の青年だった。意志の強そうな瞳が印象的
で、少しだけ気になっていた。退屈をしのぐには、格好の相手だろう。


『不思議な人だな』

『あなたこそ、どんな人なのかしら』

 みちるはこんな言葉遊びが好きだった。

『もっと、あなたのことが知りたい』

 対するあの青年の解答はとても模範的だ。相手を推し量るために技巧を凝らす彼の
姿勢は、言ってみれば礼儀作法をわきまえているとでも。そして、それは至極みちる
の嗜好を満足させた。


『着替えを手伝ってくださる?』

 困ったように自分の肩を抱いて一旦はこの事態を収束させるのか。

 かきあげた髪を手にとって、もう一度みちるにその身体へ触れる了承を得るつもり
なのか。


 それとも、もっと違う返球をしてくれるのかしら。

 はるかが来るまでの時間潰しにしては上出来なゲームだわ。

 そんな風に、半ば心を躍らせていたのだけれど。

『入るよ、みちる』

 みちるが思っていたよりも早く、そのゲームは終了してしまった。

(残念)

 心の底からそんな言葉が浮かんでくる。けれど、それも一瞬だ。

「・・・・・・」

 目の前の、はるかの猛り狂ったかのような視線の方が、この退屈しのぎのゲームよ
りも、ずっとみちるの心を躍らせる。


「・・・少し、悪ふざけが過ぎるんじゃない」

 髪をかきあげて見せたみちるの手をそっと取りながら、はるかが低い声で呻く。

「あら。ふざけているだけだと、わかっているんでしょう?」

 はるかの目元が微かに動く。

「わかっていても、不愉快なことってない?」

「どうかしら」

 返しながら、はるかの目元がまた、不快にゆがめられるのを確認する。みちるが他
の人間に好意的に振る舞うことが、今の彼女には我慢ならないのだろう。


 わかっていない。

 そう思いながら、笑いがこみあげてくる。ここでいう、はるかにとって不愉快なこ
とが、みちるにとっては堪らなく愉快なことなのだから。


「それで、あなたは不機嫌にしているの」

 けれど、目の前で笑いだすのは些か憚られる。いくらそれを愉しみたいからと言っ
て、一度に噴出させてはつまらない。


「そう見えるのなら、少しは自重してもらいたいよ」

 あなたこそ。そう言い重ねるのを寸でのところで飲み込みこんだ。彼女には全く自
覚がないようだし。今さらそのことを咎めても仕方がない。ただ、どちらの方がより
始末が悪いのかと比較すれば、断然みちるの方だろう。もちろん、それを改める気な
んてさらさらないけれど。


「じゃあ、手伝ってくださらないの?」

 握られた手をそのまま項へ導いて、首をかしげて見せると、後ろへ払っていた髪が
一房肩へと流れ落ちた。


「・・・・・・あまり良い気分じゃないね」

 悪びれもせず強請るみちるにはるかは苦々しい表情を隠しもしないでそう吐き捨て
た。


 何て楽しいのかしら。

 こんな感想を抱く自分は、性根から意地が悪いと言う自覚はある。けれど、それを
改善したいとも思わないからこそ、こんなにも楽しくて仕方がない。


「そう。それじゃあ、残念だけれど一人でするわ。それまで外で待っていてくれる?」

 項から頬へその手を移動させながらそう囁くと、また、熱い吐息が零れ落ちる。

「どうして」

「あなたにみつめられていると、恥ずかしいもの」

 押し当てられている手のひらに頬擦りをしてから、その小指を唇で挟んで見せる。

「それなのに、あいつには、平気で手伝わせるわけ」

 小指を口に含んだままみつめると、彼女はより一層その瞳に怒りにも似た感情を燃
え上がらせる。


 わかっていない。

「そうねぇ・・・。でも」

 一度に噴出させてはつまらない。でも、くすぶらせていては、もっとつまらない。

「あなたがしてくれないのなら、やっぱりあの子に手伝ってもらっていればよかったわ」

 みちるがそう言い終わるよりも前に、身体がふわりと抱きあげられて、次にひどく
乱雑に椅子の上に放り出された。


「お望みなら、全部着替えさせてあげるけど」

 不格好になってしまった体勢を立て直そうとしたみちるの肩を抑えつけながらそう
言い募るはるかの声は震えている。怒り心頭と言ったところか。


「全部脱がせるの間違いでしょ。あんまり乱暴にしないで」

 背中のファスナーに手を掛けられるのを感じながら、はるかの首を抱き寄せると
先ほどよりも鮮明に、胸の奥が満たされていく。


「はるか、・・・・・・まって、・・・・・・ねぇ」

 ワンピースのドレスが難なく足元まで流れ落ちてしまったのを感じながら、胸元に
顔を寄せるはるかに言った。


「まだ何か?」

 目の前の、幾重にも張り巡らされたレースを忌々しげに指先で払いながら、彼女は
ひどく不機嫌なままだ。


「ドアの鍵、かけていないのよ」

 宥めるように金色の髪を指先で撫でると、はるかはより一層眉をしかめる。

「そうだね。無防備もいいところだ」

「わかっているなら・・・」

 片足を持ち上げようとする彼女の意図を察して、みちるは少し狼狽した。煽ったの
は自分だけれど、そこまで無分別ではない。


「君が悪いよ。こんな無防備な部屋で、身繕いしようだなんて。だから、あんな奴が
入り込んでくるんだ」


 腿の内側に、唇を押しあてながらもう一度、「君が悪い」とはるかは言った。

「・・・でも、誰彼かまわずではないわよ」

 諦めたようなため息が漏れる。熱く、戦慄くかのような。

「・・・・・・それ、捉え方によってはすごく誤解を与えるよ」

「あら」

 今のところ、この部屋に入ってきたのは三名。確かに、聞き手によっては、その三
名ともを特別にこの部屋に招き入れたと捉えるかもしれない。


「もう・・・」

 不貞腐れたままの表情で、はるかがこちらを見上げるから。ひどく愛しい気持ちに
なって言った。


「私が無防備になるのは、あなたの前でだけでしょう?」



                             END



 この二人、かなり好きだったなーと。それでもって、みちるさんはこういうの得意そうだなーと。(何)



                            TEXTTOP

inserted by FC2 system